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心臓病の息子が僕に教えてくれたこと

僕にとって父親になることは、息子の心臓病が発覚するというショッキングな事件がなければ難しかった。

2016年7月に息子が生まれ、その翌年息子の心臓病が発覚した。

心臓病であることに気づかずに1年が経過してからの発覚だった。

それくらい違和感なく当初はスクスク成長していたので、僕は息子が生まれる直前直後、独身時代と変わらず仕事に明け暮れていた。当時の僕はまだ父親になりきれていなかった。

家庭を省みない男業界「期待の超新星」現る

どれくらい仕事に明け暮れていたかというと、出産の立ち会いでPCをカタカタやっていたくらいである。(今でも妻にネタにされるエピソードである)

過去の自分に問うてみる。

Q1
「妻が妊娠してこれから赤ん坊が生まれるというのにパパになるという自覚はなかったのか?」

多分あまりなかったんじゃないかと思う。正確には、頭ではわかっているつもりだったけど、実感がなかったんだと思います。生まれてくる子どものために今してあげられることは何かと考えた時に”仕事頑張る”以外の選択肢が思いつかなかった

Q2
「実際に生まれた子どもを抱っこした時、さすがに実感湧いた?」

もちろん、生まれる前と目の前に物理的に赤ちゃんがいる状態では実感の度合いは格段に高まった。しかし、それでも「仕事 > 家庭」の大小関係が変わるほどには僕には影響を与えなかった。初めて赤ちゃんを抱っこした時の感情をなんとなく覚えている。それは「嬉しい」「喜び」はもちろんある一方で「不安」「緊張」「重圧」のような感情がとても強かった。軽いはずの赤ちゃんがとてつもなく重たいものに感じて、僕はすぐに看護師さんか妻かに赤ちゃんを手渡した記憶がある。今思えば、心の準備をしないまま目の前にリアル赤ちゃんが現れたことで、一気にその重さを感じて心理的に逃げたように思う。

Q3
「生まれてから、赤ちゃんとの日々が日常化していく中で変化はあった?」

もちろんあった。寝かしつけ、おむつの取り替え、お風呂、ミルクなどなど、やれることはやっていたし、普通に赤ちゃんがいる生活に適応していった。しかし、今思えば、それは”適応”にすぎなかったと思う。相変わらず僕のマインドは「仕事 > 家庭」だった。子どものためにやっているというよりも、妻に怒られないように、あるいは妻を休ませてあげるため、という動機が強かったと思う。つまり、子どものことより、妻の顔色伺っているような、そんな感じ。

多分僕は、子どもと向き合っているのではなく、「タスク」と向き合っていたのだと思う。

そんなこんなで、なんとなく子育てをしなくちゃいけない状況に適応をしつつ、根本的には「子ども」と過ごすよりも、「仕事」している方がいいという気持ちは全く変わっていないもんだから、与えられた子育てタスク以外の時間は仕事に全振りという具合の生活を続けていた。
最近ではイクメンというジャンルの男性が身近に存在するようになってきましたが、当時の僕はその真逆にいるような男でした。もはや、家庭を省みない男性業界、期待の超新星(ルーキー)だったと思う。

何が言いたいかというと、それくらい当時の自分は「仕事 > 家庭(子育て)」という価値観が強烈に強い男だったのである。
しかし、ある事件を機にその価値観は反転していくことになった。

息子の心臓病が発覚

息子が生まれて1年が経とうとしていた頃、徐々に息子の体重が増えなくなり、とうとう3ヶ月ほど全く体重が増えないという状況になった。

そして、近くの病院に妻が連れていってくれたところで心臓に異常がある可能性を指摘された。

すぐに大学病院での精密検査を受けることになった。僕は何が起きているかをまだよくわかっていなかった。

大学病院での検査に立ち会った時のこと、医師の方からこんな説明を受けた。

「心臓病です。血液の一部が逆流しているために心臓が過剰に働いており、心肥大が進行しています。成長が止まったのも心臓にエネルギーを取られすぎていることが原因かと考えられます。」

ここのところ体重が増えなかったのは、心臓が原因だったのだ。

医師から今後の方針についての説明が続いた。

「血管を広げる作用をもつ薬を処方しますので、2週間経過をみましょう。もし2週間後も体重が増えていなかった場合は、手術が必要になります。心臓の手術は当然リスクがあります。赤ちゃんの心臓となるとなおさら手術の難易度とリスクは高まります。最悪のケースも・・・」

ここまで説明を聞いて、医師が何を伝えようとしているのか、今どういう状況にいるのかを理解した。要するに、

「2週間後、息子が成長していなければ子どもを失う可能性があることを覚悟してください。」

そういうことだった。

病院からの帰り道、不安そうにしている妻に僕は気の利いた言葉をかけることができなかった。正確には自分自身にさえ、どんな言葉をかけてやればいいのかわからなかった。

「・・・とりあえず、オフィス戻るわ」

この極限状態においてもなお、僕の脳は仕事場へと体を運ばせた。

そして何事もなかったかのように、オフィスでPCを開き、仕事を始めた。

Sくん(友人兼当時の代表)が心配して声をかけてくれた。

Sくん「・・・病院行ってきたんだよね?どうだった?」

「心臓病だった。2週間後、再検査して息子の体重が増えてなければオペが必要になるみたい。最悪の場合もありうると。」

PCに向かいつつ、確かこんな感じでやりとりをした。

それを聞いたSくんは、何かに突き動かされるようにこう言葉を返した。

Sくん「今すぐ帰って。今、仕事なんかやってる場合じゃないよ。」

「でも、おれが抱えている仕事はどうすればいい?ほったらかして離れられないよ。」

Sくん「全部やらなくていいよ。なんとかする。仕事のことは一切考えなくていいよ。」

明確に、強烈に、即座に、僕の目を見つめて放たれた言葉。

その時の凄みを今でも覚えている。そして感謝している。

「・・・わかった。帰るわ。ありがとう!」

僕はオフィスを急いで飛び出した。

”仕事のことは一切考えなくていい”

この言葉が僕の中で何かを変えた。

帰り道、これまで遮断していた脳の奥の方にブワーッと一気に血が流れていくのを感じた。それと同時にいろんな感情が込み上げてきた。

「なんでうちの子なんだよ」という怒り

「息子と過ごせる時間があと2週間しかないかもしれない」という恐怖

「子どもに向き合うこともせず、おれは一体何をしていたんだ」という後悔

色々な感情が出てきたけど最後にあったのは「もっと子どもと一緒に居させてくれよ」という願いだけだった。

この想いは多分、この時生まれた想いではなかった。むしろ、ずっと最初からあったのに、理性で押し殺されていた想いだった。それが解放され、立ち現れたのだと思う。

気づけば、僕は涙が止まらなくなっていた。最後に涙した日のことを覚えていない。それくらい泣くことさえ忘れて生きてきたことの異常さを感じながら、自宅へと向かった。

雨のおかげで、顔がぐちゃぐちゃに濡れていることは、とくに周囲の目を引かなかった。

家にかえる、そして父になる

「ただいま」

帰宅すると、妻が驚いた表情で僕は迎えてくれた。

これまでのワンオペ育児と病院での診断結果で妻はすごく疲れ果てているようだった。

”仕事のことは一切考えなくていい”

これまで仕事でほぼ100%を占めていた僕の脳みそ領域は、今や100%解放され、家庭のことだけに使うことを許されていた。

もっと息子と一緒に居たいという『感情』が僕の思考を加速する

帰り道の時とは逆に、今度は脳の奥から外側に血流が押し出されていく。

感情と思考の2つのギアが噛み合っていく感覚。

「2週間しかないけど、2週間はあるな」

なぜだかこの状況で一人、ガソリン満タン状態の男がいた。いつも通りの冷静な自分が戻ってきた。

「2週間で体重を増やす」

要するにこれが僕のミッション。

過剰に運動してしまっている心臓にエネルギーを奪われているから体重が増えない。

それなら消費されるエネルギー以上にカロリーを摂取できればいいんでしょ?

食べる量を増やそう。

そのためには、運動量も増やそう。

まだ歩くこともできない息子の運動ってなんなんだ?

とにかく散歩でもしまくるか!?

季節はちょうど春だった。

咲き乱れる桜を一緒に眺めては、喜び、興奮しながら、息子に語りかける。

散っていく桜に気付いては、寂しさと不安を感じながら、息子に語りかける。

僕が感じる驚き、美しさ、喜び、悲しみ、それらを息子に聞いて欲しくて語りかける。

息子はまだ1歳にもなっていない。おそらく僕が話した言葉の意味なんて全く理解していなかっただろう。

それでも、不思議だったのは、僕が心のままに語りかける時、息子は僕の目を見つめながら、真剣に耳を傾けているように感じることである。そして、僕の中で息子と何かを共有できたなと感じた時は息子も「キャハ」と笑うのである。

何かが伝わるって言葉じゃないのだなと。外をほっつき歩いて、感情に触れる何かに遭遇しちゃって、その感情のままに振る舞ったとき、そういう熱量みたいなものが確かに伝播するんだなと。

これまで僕が教育の仕事に携わる中で、当たり前のように「そうだよね」と思ってきたことが、言葉さえ伝わらない相手にも通用することを実感して「やっぱりな」に変わっていく。

この日から、毎朝の早朝散歩が僕の大好きな日課になった。そして、ほっつき歩くことは命を繋いでいく。

歩いて、話して、刺激に満ちた時間を過ごすとお腹が減る。

僕は食事の計画と記録の工夫を徹底した。

  • 容積あたりのカロリー数が高い食材をひたすらリストアップ

  • 食べた食事量を計測してエクセルで記録して摂取したカロリー数と体重増加の予測値を自動で弾き出す仕組み

  • そこから逆算して、毎日何をどれくらいの量食べさせればいいか目標を設定

仕事で鍛えまくった、仮説→検証のループが家庭内でぐるぐると回り出す。

今思えば、エクセルでKPI管理する育児は異常な光景である。

でも、僕にはこれしかできなかった。仕事しかやってこなかった僕は、この”一本槍”で戦いぬくことしかできなかった。

僕と妻はその数字を信じて、息子に食事を与えていった。

目標を達成できた日は安心できたし希望を持てた。
食べさせすぎて、全部嘔吐してしまい落ち込むこともあった。

ほどなくして体重よりもわかりやすい変化があった。

それは、息子も妻もよく笑うようになったことである。

僕は二人の笑顔が増えていく様子をみて、たぶんもう問題は解決していると感じた。そもそも問題解決のゴールは問題を解決することじゃない。問題なんて一生解決しない。

むしろ、問題が解決しなくたって、笑顔でいられるようになれたのなら、それはもう解決だ。

こうして2週間後、大学病院での再検査を迎えた。

ここ3ヶ月もの間、成長がぴたりと止まっていた息子の体重はこの2週間で増えていた。息子はちゃんと成長していた。

担当医の方もこの結果に驚き、また喜びつつ「このまま体重が増え続けるなら、リスクの高い心臓オペはせずに成長を見守りましょう。」ということになった。息子の命の危機は回避された。

その後も僕たちは毎日の散歩、運動、食事の工夫を毎日続け、息子は成長を記録し続けていった。

でも本当に成長したのは僕の方。

息子のことを興味ぶかく見つめていると、むしろ僕の方が息子に見つめられていることに気づく。

相手に見つめられていることは、自分が見つめたときにしか気付けない。

一体いつから息子は僕のことを見つめてくれていたんだろう?

申し訳ない気持ちになって、僕は息子を抱きかかえる。すると、むしろ息子が僕を抱擁しているんじゃないかという感覚に包まれる。

自分が愛しはじめてやっと、初めから愛されていたことに気づく。

交差する眼差しと身体。その時間の堆積が僕を父っぽい存在へと変容させていった。

そうして今日までなんとか紡がれた時間の延長線上に、もうすぐ7歳になる息子がいる。これ以上ない”有り難きこと”だと、感謝の念で胸がいっぱいになる。

大切にしたい想い

息子の心臓病が発覚した時、「なんでうちの子なんだ。」と怒りの感情に支配された。それは自分が選んだわけではないもの、すなわち「運命」に対する怒りだった。

今では怒りではなく、フラットな気持ちで「なんでうちの子だった?」と、この運命の意味を考えさせられる。

そして、今、僕の中に何があっても”絶対に大切にしたい想い”があることに気づく。それは、

「親子で過ごせる時間は、はじめから短く、その時間は奇跡的な楽しさに満ちている」ということである。

僕たちは残された時間がわずかであることになかなか気づけない。
気づいた時には、もう過ぎ去った後ということばかりである。

自分に残された時間。
子どもに残された時間。

僕の場合は息子の心臓病という強烈な事件のおかげでそれに気付かされた。

でも、本当は「息子が死ぬかもしれない」なんて劇的なシチュエーションじゃなくても、最初から親子に与えられた時間は必ず終わりを迎えるし、共に過ごせる時間はとても短い。

自分自身のこども時代を思い出しても、親子で一緒に過ごすのは大体10歳くらいまでであったような気がする。そこから先は親よりも友達である。

だから、どんなに願ったとしても、どんなに親子ともに健康体であったとしても、子どもと過ごせる時間は最初から短い。せいぜい10年間である。

そして、子どもが生まれた瞬間からカウントダウンが始まっている。

息子も気付けば、もうすぐ7歳である。残り3年しかない。

だから僕は「親子で過ごせる残された時間を最高の時間にしたい」と心から今思う。

そして、もう一つ。
「夢中でパパやると、マジで奇跡的な楽しさがあるよ!」ってことを、その気持ちを、興奮を、世の中にシェアできたら、と心から願う。

息子が心臓病になった意味は、このことを、僕の人生の意味として気づかせることだったのだと思う。

これからの自分の人生をこの想いの延長線上にプロットしたい。

その原点を忘れないようにこの文章を残し、胸に刻み、僕はこれからの人生を歩んでいく。

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