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かつて海辺だった街で

東京都23区の東の方に住んでいます。
地図の上では海の近くですが、ふつうに暮らしていて海を感じることはありません。
せいぜい自転車を買い替えるとき
「ここは潮風で自転車が錆びやすい」
と、お店のおにいちゃんに言われるくらい。
それに、わたしが「海」と聞いて思い浮かべるのは、広い砂浜、打ち寄せる波、そして遠くに見える水平線。
コンクリートと人工物に囲まれた海は、たとえ水が塩辛かったとしても、ちょっと違うなぁ、という気がします。

もちろん、昔は違ったそうです。
地域の町内会長さんが、いつだったか子供たちに、自分の子供時代を聞かせてくれたことがありました。

「すぐそこは葦の原っぱでしてね、その向こうが海でした。今は埋め立てられて、海が遠くなりましたね」

その埋立地には、マンションやショッピングセンター、病院などが建っていて、海の気配はまったく感じられません。
町内会長さんは、昭和20年3月の東京大空襲も経験されていて、
「向こうに大きな通りがあるでしょう。あのときは、そこに焼死体が山のように置かれていました。地獄絵図のようだった」
という話も聞かせてくれました。



わたしの住む街から少し東に、「夢の国」と呼ばれるテーマパークを持つ街があります。
華やかなイメージのその街も、かつては漁業中心の小さな町だったそうです。
そこの高齢者施設で働いていたとき、漁師をしていたという利用者さんから海の話を聞きました。

「海へ行くときはさ、あの川を泳いでいくわけ。ぷかーっと浮いてるだけで流されるから、楽だし速い」
「海の中で、立って、こうやるんだよ。(少しガニ股になってドンドンと足踏み)
すっと、こっちの足元は〇〇貝、こっちの足元は××貝って分かるんだ」
「踏んだだけで分かるんですか?」
「そりゃそうさ!」

若い漁師さんがのびのびと川を泳ぎ、海で貝をとる姿が浮かんできました。昭和20年代の話だそうです。
それはとても牧歌的に思えて、わたしは面白がって何度も聞かせてもらいました。
(その方は貝の名前をちゃんと教えてくれたのに、申し訳ないことに忘れてしまいました。ひとつはアサリで、もうひとつはなんだっただろう…)

「海苔も作っててね。このあたりの海苔は、東京湾で一番、高級品だったの」
「え、大田区の大森じゃなくて?」
「いいや、ウチが一番。
海苔をとるのは冬だから、海に入るのが冷たいのなんのって」
そう言って、顔をしかめながらも得意そうでした。
しかし、その町の漁業は、次第に深刻になる水質汚染の影響で、昭和40年代半ばに終わったそうです。
そして、海はどんどん埋め立てられていきました。
「今もときどき海へ行くんですか?」
「もう行かねぇ。遠いし、あんなの海じゃない」
そういえば、漁師以降の話は、あまり聞いた記憶がありません。

あるとき、こんな話も聞かせてくれました。

「オレが子供のころ、まだ戦争中で、アメリカの飛行機が海に落ちたぞって聞いてね。
大人は行くなって言うけど、見たいだろ? 友達と見にいったの。
そしたら浜辺に白人が死んでてさ。
ぎゃーって逃げたけど、いやー、驚いたのなんのって。
白人を見たのは、あれが生まれて初めてだった」
「驚きましたか」
「だって、白くて、デカくて、腕なんて、こーんなに、ぶっといんだもん。おっどろいたねー」

その話を聞いたのは、3月10日の東京大空襲があった日だったか、8月15日の終戦記念日だったか。
話の最後に、「そういえば今日は…」と言ったその顔は、いつもの明るい顔とは違って見えました。

※※

その話は、映画のワンシーンのように、わたしの脳裏にスッと焼き付きました。

浜辺に落ちた戦闘機と、横たわる大柄な白人兵士の死体。
「おまえが先に行けよ」「おまえ、怖いのかよ」と騒ぐ少年たちの声が、遠くからだんだん近付いてくる。
やがて少年たちは死体を見付け、ぎゃーっと叫び、逃げていく…。

そして、町内会長さんの話も。

東京大空襲のあと、大通りに山となって置かれた焼死体と、それを見つめる少年。
少年の家は無事だったのか。家族はみな大丈夫だったのか。葦の原っぱはどうなったのか。

ふと、そんなことを想像します。

※※※

たまには海でも行こうか、と気兼ねなく言えた日を懐かしく感じるくらい、遠出や、近場のお出かけさえ、ためらう日が続いています。
なんとなく気持ちがふさぐ日は、気分転換に、自転車かジョギングで、家から一番近い海へ出かけます。
海というより河口でしょうか。砂浜も、打ち寄せる波も、水平線もありません。
わたしの思う海とはぜんぜん違うけど、滔々とした流れと、広い空を眺めていると、まぁいいか、と思えてきます。

たとえ今、世の中が不穏な空気に満ちていたとしても、空から爆弾が落ちてくることはない。
打ち捨てられた死体を見ることもない。
家族は元気だし、眠る家はあるし、食べたいものは食べられるし、なにかあれば連絡を取り合う友達もいる。
それで、もう十分じゃないか。

海には干潟が少しあり、たぶん葦だろう、と思う植物が生えています。
昔の話は、重く、暗いものばかりではありません。
かつて葦の原っぱの近くで、潮の香を浴びながら、少年だった町内会長さんは遊んでいたでしょう。
戦後まもなく、まだ海も川もきれいだった時代、もう少し東の町では、若い漁師さんが川をのびのびと泳ぎながら海へ向かったでしょう。
いろんな出来事がある中で、それは、とてものどかで微笑ましいものに感じます。

土地や海には、さまざまな記憶が刻まれています。
しかし、時代と共に埋め立てられ、整備され、新しい街が造られていく。昔を語る人が少なくなり、人々の意識も変化して、過去のものが遠くなる。
それでも、聞かせてもらったお話は、その方々の言葉や表情と共に、わたしの中に残っています。
映画でもなく、ドラマでもなく、わたしの目の前にいるその人が、実際に見たもの、感じたものの、その一端に触れることができたことを、とてもありがたく、奇跡のように感じます。

もうすぐ、8月15日。
76回目の終戦記念日です。

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