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「結果だしてなんぼ」と言われる本当の意味について

─ 「結果を出している人」と「結果を出せない人」の違いを ❝ 図解 ❞ で読み解く─


世の中「結果」がすべてなのか?

ここでいう「結果」とはおそらく「良い成果」のことでしょう。

ですが、結果を出せと言われたからといって、その結果を出すためにはどうすりゃいいんだよって話。

つまり、「とにかく結果をだせ」「結果がすべてだ」「結果を出してナンボ」といわれても、結局は、「結果を出すためにはどうすればいいかを考ろ」っていってるわけです。

既に結果をだしている成功者が「結果がすべてです」とか自信たっぷりに言ったとしても、おそらく僕みたいな凡人は、「そんな簡単に結果なんてだせねーよ」、「結果にこだわるよりも過程が大事なんだ」って思ってしまいます。

だけどこれってなんか、負け惜しみを言ってるだけにしか聞こえないですよね。

結果を出す能力がないから、努力したプロセスを美徳化した、言い訳しているだけにも思えます。

あなたはどうでしょうか? 結果を出すことが大切なのはわかるけど、たとえ結果に結びつかなかったとしても、そのプロセスは讃えてほしいし、讃えたいとは思わないでしょうか?

それとも、結果もプロセスもどっちも大切。
人によって結果重視のタイプもいるし、プロセス重視のタイプもいる。

このような解釈をしてはいないでしょうか?

ですが、この解釈の仕方は、
結果を出す人との大きな違いがあるのです。

「結果がすべてだ」と言い切る人は、ちゃんと結果を出しているからこそ言えることで、その成果を周りの人が称賛してくれるからこそ結果の重要性を語っているのだと思う。

でもじつは意外にもどうではありません。

結果をだす人が「結果がすべてだ」といってますが、
それ以上にプロセスに目を向けています。

そして、

結果を出せない人が「結果がすべてじゃなくてプロセスが大切だ」といっているのは、ほとんどプロセスに目を向けていない

どういうことでしょうか?意味わからないですよね。

僕のような凡人は「結果がすべてじゃない」ともいってるし、プロセスにもフォーカスしていない?

いったい何を意識してがんばっているというのか?

その真実をこれから明らかにしていきます。


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読んで頂いている途中でスミマセン。👨
僕、たーキンくんの本名である三木基晶は、Twitterでもそこそこタメになりそうなことをつぶやいております。💬
もしよろしければ、ちょこっとだけでものぞきに来てみませんか?
もしかすると、あなたにとっての気づきを見つけることができるかもしれません。お越しいただければ、僕、たーキンくんも泣いて喜びます。😭

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それでは続きをお読みください。


目指している「結果」がまるで違う



まず初めに、下の図解をご覧ください。

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どうでしょうか?

よくわからないですよね。

詳しく説明します。


成功者がいう「結果」というのは、なかなか結果が出せない人が目指している「結果」と同じではない。

なぜなら、

結果を出せないでいる人が思っている「結果」を「勝利」だと思い、
プロセスにおいては他者との「競争」ばかり意識しているからです。

つまり、結果(成果)を出すことを目指しているわけじゃなくて、勝利。

すなわち、ライバルに勝つことを目指しているということ。

勝利という結果をだすためには、そのプロセスにおいて必ず「競争」が生じ、ライバルのことばかりを気にしてしまいませんか?

たしかに、我が国は競争社会。競争したほうが、競い合うことで能力を最大化させ、より結果を出しやすくなるし、だからこそ進化を遂げてきた。

しかし、これはマクロ経済(経済社会全体の動き)の視点でのことであり、ひとりの個人が、ゴリゴリの競争精神で相手に勝つことを意識していたとは限りません。

あなたが競争によって「勝利」したときや、「敗北」したときのことをよく思い出してみてください。

その「勝利」という結果は、
自分の努力ではなくて、すでに備わっている能力や才能と結びつけてはいないだろうか?

反対に、「敗北」という結果は、自分には能力も才能もないと思ってしまってはいないだろうか?

つまり、

「結果=勝利」はプロセスで競争精神に傾き、勝利しようが、敗北しようが、努力云々よりも、自分の能力や才能と結びつけてしまうのです。

これって、なんかおかしいと思いませんか?

「結果がすべてじゃなくてプロセスが大切だ」といいながら、そのプロセスは無意識に競争することしか考えていないということは、

結局そのプロセスは、他人のことに気を取られてしまって「勝つ」ことしか意識していないということ。

結果を出せない人がプロセスに目を向けていないのは、「勝利」という結果を意識してばかりいるからです。

しかも、この勝利や敗北という結果を、自分の能力や才能だと思っています。

おかしいですねぇ。


お客さんの存在をないがしろになってます。


成功者がいう「結果をだしてナンボ」の結果というのは、ライバルに勝る商品力やサービス力で勝利することではありません。

顧客やクライアントの望む成果を出せたときに初めて「結果を出せた」ということ。

勝利を目指せばライバルに意識が傾いてしまうが、顧客やクライアントが望む(あるいはそれ以上の)成果をだすことを目指せば、結果をだせたかどうかは周りの人達が評価してくれるはずです。

では、ちゃんと結果をだしている成功者は、なぜ、結果がすべてといいながらも、それ以上にプロセスに目を向けているのでしょうか。

それは、ちゃんと結果を出す人のプロセスは、

自分の「成長」に目を向けているからです。

他人との比較よりも、自分と会話して、自己成長にあきれるくらい集中している。

なので、勝利という結果なんて目指してなくて、当然ながら競争することに躍起になることもありません。

しかしなぜ、そこまで自己成長にこだわるのか。

顧客やクライアントの望む成果をだし、良い結果をだすためです。

すなわち、

自己成長を意識したプロセスの間、結果(顧客やクライアントが望む結果)という目的意識が常に頭にあるのです。

どうでしょうか?この違いはわかりますか?

結果が出せない人は「勝利」という結果をだすために「競争」することに必死になっているが、

結果を出す人は「求められた良い成果」をだすために、自分が「成長」することに必死になっているということです。

それではもう一度、先ほどの図解をご覧ください。

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理解していただけたのではないでしょうか。この違いを。


間違った努力


努力したからと言って必ずしも結果がでるとは限らない。
このようなことを聞いたことがあるでしょう。

結果が伴わない努力の事を一般的に「間違った努力」ともいってます。

でも考えてみれば、「結果につながる努力って何?」ですよね。

結果につながる努力を見つけるための努力をしないといけないわけで、それ自体が「間違った努力」といってもおかしくない。

そこで、視点をゴロっと変えてみましょうか。

そもそもですよ。結果をだすために「努力」にこだわらないほうがいいかもしれません。

あなたも知っているかと思いますが、努力に勝るものは「夢中」です。

正しい努力だろうが、間違った努力だろうが、
努力というものは「やらなくては」といった義務的な感じがします。

一方、「夢中」は正しいとか間違いとかなんてものはなく、ただ「やりたい」といった感情だけ。

夢中になると、なぜか結果をだしやすいが、努力は結果を伴わない間違いを犯してしまうこともあります。

この違いはどうしてなのか?

そのことに関して一つの答えをだしてみました。

子どもの頃は何をするにも「やりたい」という内発的な動機によって「夢中」だったはずです。

ところが、大人になるにつれていつの間にか「やらされている」という外発的な動機によって「努力」をするようになっています。

なぜ、内発的な動機による「夢中」から外発的な動機の「努力」になってしまうのか?

それは、「甘い誘惑」によるものではないだろうか。

子供が「夢中」になっているときは、結果なんてどうでもよくて、とにかくそれをやってる「過程(プロセス)」に没頭しています。

すると、いつの間にか夢中になっていることが得意になり、何かしらの「結果」をだせるようになります。

これはわかりますよね。あなたにもそんな経験あったはずです。

ですが、結果を出した子供に、周りの人たちは、称賛したり、賞状を差し上げたり、お小遣いをあげたり何かの褒美を与えます。

悪いことではないのですが、子供はそこで、結果をだせば褒美がもらえることを知ってしまうのです。

するとどうだろうか。

その子供は次第に「周りが求めている結果」にこだわるようになるでしょう。

ただ夢中になっていただけなのに、「甘い誘惑」をほしくて結果を出すことにこだわり始めるのです。

それだけならまだいいのですが、

他人からの評価を得ることで、ネガティブなプライドを持ってしまうこともあります。

「ほめてもらわないと」とか、「失敗するわけにはいかない」など、まるで他人から「やらされている」という努力をせざるをえなくなる。

本来なら、「やりたい(夢中)」という内発的な動機によって結果は、自分が本心から成し遂げたことなので、「自信」というポシティブなプライドが芽生えるはずです。

ところが、「やらされている(努力)」という外発的な動機によって結果をだしても、それは他人のためのネガティブなプライドです。

努力というものは、ときに、おかしなプライドを守るために浸かってしまうことがあるようです。

これを間違った努力とはいいがたいが、子供の時に正しいか正しくないかなんて関係のない、ただ「夢中」でやっていたことって今でも得意だったりしませんか?

「好きこそ物の上手なれ」ともいいますよね。


努力の「やる気」と夢中の「その気」


努力は大変で辛いことも多々あるが、
夢中になることはとにかく楽しくて仕方がない。

何か物事をやってみたとして、努力でやってみるのと夢中でやるのとでは、どちらか「自己成長」につながると思いますか?

おそらくですが、努力を重ねることで得られる成長と、自分が夢中になれることを突き詰めていくことで得られる成長は、結果的にどちらも同じ具合に成長するはずです。

そう考えると、自己成長するためには、

やる気とか、がんばりとか、自分を戒めるスパルタ条件は必ずしも必要としないといえます。

それに、

やる気という起爆剤は、それだけでエネルギーを消耗してしまいます。

本来やるべきことに全力でエネルギー使わないといけないのに、やる気を起こすために既に多くのカロリーを消費してしまっているということ。

マラソンをする前に、100メートルダッシュを10本ほどして、疲れ果てた状態でマラソンをスタートするようなものです。

仕事でクタクタになって帰宅したあとに、資格取得の勉強をしたり副業をやっても疲労困憊で集中できないですよね。これと同じです。

やる気を起こすことは必要です。
やる気をださないと動けないこともある。

しかし、

やる気は「よし、今から本気出すぞ!」という「やる」前の起爆剤なので、上手くいくかどうかは不安な状態でのスタートです。

つまり、

自信が持てていない状態で、しかも辛い思いをしながらの行動力。

考えてみれば、やる気を起こさないといけないということは、

そもそも嫌なことをしようとするから「やる気」を必要とする。

面白くも楽しくもない嫌で仕方ないことを「やる気」という劇薬によって動いても薬が効き目が切れたらおしまいです。

一方で、夢中になれることをするのに、やる気は必要としません。

子供が大好きなゲームをやろうとするとき、やる気を出してゲームを始めたりしないですよね。即、ゲームをし始めるでしょう。

夢中は「やる気」のような多くのエネルギーを消耗しない。
ほぼ準備運動なしで動き出すことができるので、より多くのエネルギーをやりたいことに注ぐことができます。

このように、楽しく夢中になれることをする前と、やる気を起こして楽しくもないことをする前とでは、すでにスタート地点で差があるわけです。

その最大の違いは、

楽しく夢中になれることは「苦もなくはじめられる」ところ。

なぜ、苦もなくはじめられるのかというと、

夢中は、やり始めるのに「やる気」になるのではなく、
「その気」になっているからです。

「その気」が見ている世界は、成功して到達した世界で

そこでは、もう成功して、ワクワクしている自分が実存します。

すなわち、

夢中になるということは、根拠のない自信に満ち溢れ、必ず上手くやれることを前提に行動しはじめているので、不安がありません。
覚醒しているともいえます。

「その気」は自分が到達する最終ビジョンを頭の中に作り出し、それがすでに成功していて、今から実現しようとワクワクしている自分を楽しんでいる状態です。

努力は、やる気を起こさないと行動できない「やりたくもないこと」。

夢中は、その気になって動きたくて仕方がない「やりたいこと」。

全く同じやることでも、気持ち的に真逆の力が働いていることが分かると思います。

ですが、いつも自分の好きなこと、夢中になれることができる状況でないことは確かです。

問題なのは、つまらないことを始めるのに、苦という突破口を超えなくてはならないハンデがあることです。

ですが、これは言い換えてみると、何かしらの「活力源」があれば、つまらないことを始める点火口となるにちがいない。

やる気とか、気合いとか、多くのエネルギーを消耗させてしまうよりも、即行動に移せる「活力源」を見つけることが大切だと思う。

たとえば、きれいな女性の前だと、すぐに動けるとか、子供の笑顔でスイッチがはいるとか、何かしらの動機によって動き出せることって、あなたにもありますよね。

もう気づいているかもしれませんが、

やる気を必要とする努力の精神は、成果を出すまで永遠に続くわけではありません。

動き出す直前のみ、起爆剤のやる気が必要なだけなのです。

つまり、

最初の一歩を踏み出せるかどうか。

一歩を踏み出せば、あとは勝手にエンジンが回り始め、気づけば夢中になっているのです。

おもしろいことに夢中になると、できるかどうかの不安が徐々に減り始め、自分が到達する最終ビジョンを頭の中に作り出し、それがすでに成功していて気持ち。すなわち「その気」になり始めてきます。

その気になるということは、あなたの目指している「結果をだす」ことを信じて強く意識しているということです。

さぁ、最初の一歩を踏み出し「夢中」になって辛い思いをしないで、結果をだそうではありませんか。

できる、あなたなら。


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またまた最後にスミマセン。👨
僕、たーキンくんの本名である三木基晶は、Twitterでもそこそこタメになりそうなことをつぶやいております。💬
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最後まで読んで頂き、
本当にありがとうございました😊



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