”生きている”の定義とは?
”生きている”の定義とは?
心臓が動いていることですか?
身体は全く動かないけど、意思疎通がとれることですか?
自分で思考することがまったくできなくても、体は元気であることですか?
ICUに配属され、初めて患者さんを見た時、私は心の中でこう思ってしまいました。
「機械人間ばっかりだ。人間って機械がついていれば、生きていられるんだ。」
その光景は衝撃的でした。
人工心肺、補助人工心臓、人工呼吸器、持続人工透析の機械・・・
体中チューブやモニターの配線だらけ、起きたしまったら大きな苦痛を伴うため、鎮静剤、鎮痛剤を使用し眠っていただいています。
重症な患者さんは、あらゆる生命維持装置につながれ、生きているのです。
正しくは、生かされているなのかもしれません。
日本の医療水準は高い。新生児死亡率なんかは、世界的にみてもトップクラスに低いといわれています。その反面、
患者さんの社会的背景、ご家族のこと、入院に至った経緯などを知れば知るほど、「今の状態は、患者さんが本当に望んでいた状態なのだろうか」と考えてしまうこともありました。
でもご家族の気持ちを考えれば、1日でも長く、どんな状態でもいいから生きていてほしい=存在していてほしいと思うでしょう。
治療の選択をするのは誰か
治療を決定するのは他でもない患者さんご本人です。
しかし患者さんに意識がない時、自分で決定することができない時、決めるのは誰か。
ご家族です。場合によっては何年も連絡をとっておらず、疎遠だったご家族に連絡がいくこともあるかもしれません。
でも急にこの治療どうしますか、やらないと亡くなる可能性が高いですなんて言われたら、断れないですよね?(笑)
「もしものことがあったとき」の話し合い
患者さん自身が治療の選択をできない場合、追い詰められてしまうのはご家族です。
時間の猶予を与えられずに選択しなければならない状況も起こり得ます。そして患者様が亡くなったとき、ほとんどのご家族は
・もっと早くに病院に行かせていれば
・この選択をしたから早く死んでしまったのではないか
・苦しい思いをさせてしまったのではないか
と責任を感じてしまうようです。
でも違うんです。
患者さんが病気に負けたのでもありません。
今の医療が、病気に勝てなかっただけ。
誰も悪くない。
だから元気な時に1度でも「もしものことあったとき」の話を家族でしていてほしい。または大事な人に伝えていてほしい。
治療をする、しない、どちらの選択でもいい。病院には行きたくない。家で過ごしたい。痛いことはしたくない。
それだけでいい。
「これでよかったよね」
と患者さんも家族も、笑って死を受け入れられる。
そんな医療でありたいと思う。
読んでいただき、ありがとうございました♪
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