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文章は「最初」に「最後」を決めると、書きやすい。/書かないよりは、まし。30

打ち合わせ場所の渋谷から、株式会社ピースオブケイクまで徒歩22分。

グーグルマップで経路を見て、僕は歩いて向かうことにした。混んでいるだろう銀座線に乗るのが、どうにも気が進まなかったから。

少し前のことだが、12月19日、こちらのイベントに参加した。

「左ききのエレン」の大ファンとしては、体調の悪さを考えても、どうしても見逃せないイベントだった。

この日、先行上映された(原作でいうと)「広告営業の奔走」にあたるエピソードは、U-NEXTで特別限定編としてまだ見られる。論より証拠というか、気になる方はぜひ見てほしい。

このnoteでは、同日行われた「左ききのエレン」原作者・かっぴーさんと、ドラマ版の監督・後藤庸介さんの対談からインスパイアされた話を書く。

いい癖か悪い癖かわからないが、僕はいいと思った話はだいたい「編集」や「文章」や「本」のことに置き換えてしまう。これからする話がいまいちピンとこないとしたら、お話をされたお二人の責任ではなく、自分の「翻訳」の仕方が悪いということで許してほしい。

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お二人の対談で気になった点をいくつかメモしたのだが、一番印象に残ったのは、かっぴーさんが言った次のような言葉(一字一句正確ではないのでお許しを)。

「始まり」と「終わり」が決まった時点で、物語だ。

原作「左ききのエレン」については、最初のシーンと最後のシーンは、はなから決まっていたらしい。というか、それを決めたからこそ、そこに至るまでの「物語」が成立したということだろう。

面白いのは、描いているうちに、キャラクターが自由に動くようになって、ストーリーに変化が出る(たとえば、岸あかりの当初の出番はもっと少なかったとか)。それでも、けっきょく「最初」に決めた、「最後」のシーンに向かっていくのだという。

最後のシーンは作品にとっての「ゴール」。途中でどんなコースを選ぶとしても、結局はそこにたどり着くというわけだ。

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かっぴーさんは「漫画」の、後藤さんは「映像」の話として語っていたけど、僕は、「文章」についてもまったく同じことが言えると思った。

世の中には、文章を書くのが苦手だという人も多いのだろう。そういう人は、(あくまで僕の想像だが)この「最初」と「最後」を決めないまま、書き出しているのではないだろうか?

少し前に、文藝春秋の編集者の方のnoteがよく読まれていた。

この村井さんの言う「書き始める前に、記事の構成を作る」というコツと、僕が言いたいことはほぼイコールだろう。

ただ、より安直というか、あるいは無謀というか、僕のすすめる書き方は、とにかく「最初」と「最後」を決めればいい、というものだ。

「最初」と「最後」が決まれば、途中の「経路」は自ずと絞られると思う。僕があの日、ピースオブケイクに向かったときのように、目的地までの最短のルートなんて、そうそういくつもないのだから。

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念のため書き添えると、僕は、「最初」に「最後」を決める書き方がベストだと言う気はない。あくまで、そのほうが書きやすいだろうというだけ。

目的地を決めない移動が時に予想以上のハプニングを起こすように、どこに向かっているか決めずに書く文章もスリリングで、楽しく、見たことのない場所に自分を連れて行ってくれる可能性がある。

少し文章を書くのに慣れたら、そういう書き方にチャレンジするのもいいだろう。

蛇足だが、僕は文章を書きながら、「スタート地点」をずらすことが、しばしばある。今回の文章で言えば、途中で「株式会社ピースオブケイクまでの経路」の話からスタートするのが(個人的には)いいなと思って、冒頭を直した。

文章なんて、何度でも書き直せるのだ。

だから、「最初」に「最後」を仮決めする。それくらい軽い気持ちで、まずは書いてみるのが、「 #noteのつづけ方 」の一つの方法ではないだろうか。

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