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進むか、逃げるか

良いも悪いも無いのですが、人間は無意識に「楽な方」を選ぼうとすると思うのです。

どっかのえらい人が、ちゃんとそういう研究をしていたと思います。多分。
生物の生存本能としては、正しいと思います。わざわざ危機に直面するよりも、逃げたほうが、生き残る確率は高いわけですから。

しかし逃げてしまうと、同じレベルのことが再び起きてきた時に、前回逃げてしまったものだから対処法が分からず、やっぱりまた逃げるしかなくなってしまうのです。

逃げ続けても、生きてはいけます。しかし、とてもゾーンというか、活動できる範囲が狭くなってしまいます。狭くなっていくのを放っておくと、いつか強者に攻められた時には、ぽっきり負けてしまうのです。人間で言うと、声が大きい人、という人種でしょうか?

それもまた人生、と言えばそうなのですが。

私は、自分を含め、私に関わる人には、逃げる時があっても良いけれど、逃げ癖だけはつけて欲しくないなと思います。そして、逃げることを実行してしまう前に「本当に、これ以上工夫できることはないのだろうか?」と、自分を疑い、他人のアイデアを自ら取りに行ける人であって欲しいと思います。

最近のガンダムのアニメでも「進めば二つ、逃げれば一つ」と主人公が言っていました。本当にそうだと思います。
逃げるというのは、自分の想像できる範囲に収まるということ。進むというのは、進んだ結果失敗したとしても、チャレンジしたという経験と、失敗したのはなぜだろう?という課題。その2つを手に入れることができます。本当は2つどころか、もっと多くのものを手に入れているはずです。得たものの多さにどれだけ気付けるかは、個人によって異なるのですが。

「生物の生存本能としては、逃げるのは正しい」と書きましたが、おそらく歴史的に見ても、本当に生き残っているのは「危機に向き合い、適応できた生物」だと思います。生物の美しさとは、途中で挫折や弱気があったとしても、成長や変化にあると思うのです。

私たちが、映画・ドラマ・漫画・アニメ等で心惹かれる登場人物も、成長や変化があるのではないでしょうか?正義の味方はもちろんですが、敵キャラも同じです。成長や変化があるから、目が離せないのです。
(物語の登場人物は理想の反映だったりもするので、成長や変化というものが、現実において、なかなか難しいものであることも確かなのですが。)

進むことは、本当に怖いことです。なぜなら、自分にとっては未知の領域です。でも、本当に未知の領域なのでしょうか?勝手に、自分がそう思い込んでいるだけではないでしょうか?
誰でも、未知の領域の克服をしたことがあるはずなのです。産まれてすぐ、食器を正しく使って食事ができましたか?産まれてすぐ、初対面の人間とコミュニケーションを取ることができたでしょうか?いきなり、幼稚園・小学校というものに行かされて、集団生活を強いられませんでしたか?

その時の自分は、どうやって克服したのでしょうか?

先生に聞いたり、親に聞いたり、周囲の人間の真似をしたりして、自分に当てはめてみて、自分に合うように調整をしていく。自分では無意識かもしれませんが、試行錯誤して克服したのではないでしょうか?

いつからか、自分で自分に言い訳をして、自分に都合の良い、耳障りの良い情報ばかりかき集めて、試行錯誤する生物の美しさを、自分の意思で放棄してしまってはいませんか?

自分の中に答えがあるなら、とっくに解決しているはずです。大体の疑問・不安・問題に対するアイデアは、自分の中にはありません。
逃げずに進むためには、多くの人に自己開示し、そのリアクションに耳を傾け、得た情報をすぐに実行して、結果を検証して、また実行する。この繰り返しです。

人生は、どんなゲームよりも難易度の高いゲームです。だからこそ、全ての物語の原作になるわけです。残機は一つ。どうせなら、たくさん進んで欲しいなと思うのです。

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