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「さまよう船」としての被災地――池澤夏樹『双頭の船』(新潮文庫、2015年)

震災2週間後に被災地に入り、その後も繰り返し東北地方を訪れているという著者による、東日本大震災と被災地の再生をモチーフにした物語。全般的に幻想的な神話のような筆調だが、その随所におそらくは著者が実際に被災地で見聞きしたであろう諸々のできごとがちりばめられている。

その舞台は、タイトルにもなっている「双頭の船」。ボランティアをのせて被災地を往来する(ボランティアバスならぬ)ボランティアフェリーだ。ふつう船には船首と船尾があるが、その船はどちらも船首(あるいは船尾)となっていて、つまりそれは前にも後ろにも進めず、被災地とその周辺をぐるぐるうろうろさまよわざるをえない存在である。物語は、この「さまよう船」とそこに仮に居ついた人びと――主人公の自転車修理ボランティア・海津知洋がまさに居場所をなくして社会をさまよう故郷喪失者である――が被災したさまざまな土地をめぐる幻想的な放浪記となっている。

船には行く先々で傷つき孤立した人びとや動物たち、ボランティア、NGOやマフィア、さらにはすでに命を失ってしまった者たちなど、多種多様な人びとを受け容れる。彼らはそこに住み着いたり、働いて家を建て、まちをつくったりしていく。船は拡大し、固有名を獲得し、主権を訴え、やがては洋上の独立国家たらんと主張、船で生きる人びとは陸か海かの二者択一を迫られる。果たして「さまよう船」とその住人たちはその彷徨の果てにどういうみちを選択するのか――。

さまざまな含意に富んだ物語だが、筆者にはとりわけこの「さまよう船」とそこに集った人びとのそなえる冗長性とその意味が印象に残った。この船とは、「喪」の時空間の表象である。喪失の傷(トラウマ)を抱えた人びとや動物たち、そしてそれらをとりまく社会は、そこからの回復のために一定の広がりをもった自由な時間と空間とを必要とする。それは、世俗の時空間と一定ていど切り離されていなければならず、同時にまた一定ていど接続していなくてはならない、そうした〈あいまい〉で〈あわい〉の時空間でなくてはならない。

傷(トラウマ)のきっかけは震災だけではない。多くの人びとがさまざまな経緯で傷(トラウマ)を抱え、脆弱性のなかを生きているような現在の社会においては、同時にそれをリアルタイムで治癒し、回復していけるような恒常的な「喪」の時空間が不可欠である。筆者はそれを〈居場所〉と呼んでいるが、この物語が描く「さまよう船」はそうした〈居場所〉の表象そのものである。(了:2024/03/10)

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