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戦後60年、私たちはどこへ――姜尚中×吉田司『そして、憲法九条は。』(晶文社、2006年)評

昨年9月の総選挙における小泉自民党の圧勝を受けて、いよいよ「憲法改正」が現実味を帯びてきた。憲法とは、戦後日本の国家・社会のありようを最も深いところで枠づけてきたもの。その「改正」は、わたしたちの歴史の極めて重要な分岐点となろう。「戦後」の終わりを迎えつつある今、わたしたちは一体どこにいて、そしてこれからどこへ向かおうとしているのか。

この困難な問い、「憲法改正」そのものというよりは「憲法改正」のコンテクストをめぐって、「在日」の政治学者・姜尚中と「東北」のノンフィクション作家・吉田司(山形市出身)が縦横に語り尽くした対談集、それが本書である。

両者に共通するのは、「日本国憲法とそれが生んだ戦後60年」というものを、徹底的に相対化して捉えるまなざしである。それもそうだ。「在日」とは、日本国内に存在するアジア=他者であるし、「東北」もまた近代日本の国内植民地である。ともに、周辺から中心を、外部から内部を、植民地から本土を観る視点だ。このまなざしのもと、「戦後60年」が「本土中心史観」によるある種の神話=視野狭窄であることが次々と暴かれていく。

例えば、「戦後」の出発点=「8月15日」神話。実際には、戦後の「高度経済成長」は、戦時に成立し温存され続けた「1940年体制」=戦時経済体制による達成であるし、またその起源は1930年代の実験国家・満州国の統制経済にある。「戦後」の出発点をずらして見る視点とは、このように、視野を日本本土への限定からずらす視点でもある。その含意は「日本国憲法」を、そして「憲法改正」をも、一国史的な視野から解き放ち、アジア的、またはグローバルな文脈の中で捉え返してみようという点にある。そうした発想こそ、戦後日本がアメリカという傘に視界をさえぎられ、持てずにきたものではなかっただろうか。

護憲か改憲か、拙速な判断を下す前に、今一度歴史を再考する必要が、現在のわたしたちにはありそうだ。(了)

※『山形新聞』2006年05月07日 掲載

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