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「被災する」とはどういうことか

■わたしたちはいま、どんな時代を生きているか?
 みなさんが生きているのはいったいどんな時代でしょうか。簡単なワークをしてみましょう。「未来年表」といって、自分の未来予想図を書くワークです。横軸を時間、縦軸を人生の浮沈として、その座標空間にあなたのライフコースを矢印で――各時点でどんなイベントがあるかも含め――書き込んでみてください。
 さて、いま書いていただいた「未来年表」と照らし合わせながらすすめていきましょう。果たしてあなたの書いた未来予想図は、どこまで実現可能でしょうか。わたしたちそれぞれのライフコースには、自分ではコントロールできない不測の事態がおこりえます。それは、現代日本においてとくにそうだと言えます。
 ここで、筆者の知人がかつて作成した「未来年表」を紹介しましょう。彼は、災害NPOに従事していて、東日本大震災(2011年3月11日)の半年後くらいに、30年後までの印象的な未来予想図を書いてくれました。そこには、大きく落ち込んだ三つの谷をもつ右肩下がりのやじるしが描かれていました。
 彼曰く、三つの谷とは「首都直下地震」「富士山噴火」「南海トラフ地震」のこと。どれも今後30年以内に70~80%の確率でおこると政府が想定しているもので、首都直下地震の死者想定は23,000人、南海トラフ地震のそれは320,000人とされています(ちなみに東日本大震災の死者は約22,000人)。   
 このように、わたしたちは3.11という大災害の後(災後)、そして来たるべき巨大災害の前(災前)の時代を生きています。一方で、巨大災害は上記の三つに限りません。熊本地震(2016年)や北海道胆振東部地震(2018年)などのように、活断層型の直下地震もまた、近年全国のあちこちで頻発しています。
 さらには、気象災害や感染症など、災害級のできごとが生じるリスクは今後ますます高まっていくでしょう。そう考えると、いまは「災後」でも「災前」でもなく、「災間」――災害と災害の間――と呼ぶにふさわしい時代です。では、そうした「災間」の時代に必要なかまえとはどのようなものでしょうか。

■住まいの喪失と復興
 災害が生じると、それにより住まいを失ってしまう人びとが出てきます。その場合、彼(女)らに対してはどんな公的支援が行われることになっているのでしょうか。そしてそこでは、被災した人びとはどのようなプロセスをたどって再びその住まいを回復すると想定されているのでしょうか。
 被災直後は、基礎自治体(市区町村長)の首長が災害対策基本法に基づき「避難所(指定避難所)」を設置します。これは、住まいを失った人びとの一時的な生活場所で、公民館や小・中学校などの公共施設があてられます。ここが、災害の危険性がなくなるまでの必要な間、人びとを滞在させる施設となります。
 この「避難所」はしかし緊急対応ですので、まもなく閉鎖されます。それとともに、住まいを失った人びとは「応急仮設住宅」に移り住むことになります。「応急仮設住宅」とは、災害救助法に基づいて都道府県知事が設置するもので、自力での住居再建ができない人びとに対し、応急に貸与する仮の住まいです。
 「応急仮設住宅」には、プレハブ型の「応急仮設団地」(災害後に建設)と、民間の賃貸住宅を借り上げて提供する「みなし仮設住宅」とがあります。どちらも貸与期間は2年以内とされていますが、実際にはその後も1年ごとに契約が更新され、災後11年目(2022年3月)でも福島県内に入居中の方がいます。
 とはいえ、「応急仮設住宅」とは仮の住まい。住まいを自力で再建できない人びとに対しては、恒久的な住まいの代替案が必要です。それが「災害公営住宅(復興公営住宅)」です。公営住宅(地方自治体が提供する低所得者向けの低家賃住宅)と同じですが、家賃はさらに低く、所得制限もありません。
 こんなふうに、被災して住まいを失った人びとは、「避難所」から「応急仮設住宅」、そして「災害公営住宅」へと復興のプロセスを歩んでいくことになります。とはいえ、住み慣れたふるさとから引きはがされ、見知らぬ土地の見知らぬ集合住宅に暮らすことは容易ではなく、孤独死などの問題が報告されています。

 ■災害マネジメントサイクル(減災サイクル)
 「災間」の時代のかまえとは、というお話でした。災害社会学に、災害マネジメントサイクルという考えかたがあります。災害がおこった後、その地域がどのような過程をたどって復旧・復興していくのか、そこにはどんな段階があり、各段階で人びとにどんなことが求められていくのかをモデル化したものです。
 発災後の社会は、大きくわけて、①緊急対応、②復旧・復興、③平時(被害抑止・軽減)の三つの段階を順に経験していきます。地震や津波による破壊の後には、たくさんの人びとが住まいを失って身一つでそこにとり残されています。なかには未だガレキのなかに埋もれている人たちも。何が必要でしょうか?
 まずは緊急対応として、消防士や自衛隊、災害派遣医療チームによる人命救助、ガレキの撤去、支援物資の配布や炊き出し、避難所の開設・運営などがなされます。この段階では、平時なら対応主体となる行政が機能停止しているため、その穴を埋めつつ新たな対応のしくみをつくっていくことが求められます。
 避難所が閉鎖される頃、サイクルは次の復旧・復興の段階に移行していき、仮設住宅や復興住宅の整備、倒壊したインフラの再建、コミュニティの再構築、しごとや雇用の創出、人びとのこころのケアなどがなされていきます。この段階では、被災地/者が再びちからを取り戻していくための側面支援が求められます。
 そして、破壊されたまちが元に戻ったり、新たなかたちがアップデートしたりすると、人びとはようやく災害前の日常モード、平時に回帰していくことになります。この段階に期待されているのが、被害抑止・軽減のためのとりくみです。災後の社会が経験したさまざまな事々を次への教訓として活かす段階です。
 具体的には、実際の経験から学んだ災害対応のありかたを、今後の防災・減災の計画や組織づくり、避難訓練のありかた、ハザードマップの内容などにフィードバックしていくことがそれにあたります。そうやって私たちは、レジリエンス(災害耐性)を社会に埋め込みつつ、次なる災害に備えていくことになるのです。

 ■災害ボランティア・NPOは何をしているか
 「大地動乱の時代」の皮切りとなった阪神・淡路大震災(1995年)。その経験がその後の社会にもたらしたもののひとつが、ボランティア・市民活動など、人びとによる共助のうねりです。1998年にはそれを後押しするため、NPO法(特定非営利活動法人法)が成立し、NPOの活動が活発化していきました。
 では、ボランティアやNPOは、災後のそれぞれの段階においてどんな役割を果たしているのでしょうか。前章でも見たとおり、市民活動の強みとは、まずは行政や資本が手を出しにくいニッチ(すきま)、人びとの小さくはかないニーズに臨機応変に応えうる点、その柔軟性や冗長性、融通無碍さにあります。
 例えば、緊急対応の段階。避難所でのユニークなとりくみに、足湯ボランティアがあります。避難所ではたくさんの人が悩みやつらさを抱えています。それを、心の専門家の相談ブースではなく、たらいにお湯の即席足湯マッサージにより、おしゃべりしながら聴き出し、ニーズを把握して支援につなげていく方法です。
 復旧・復興の段階ではどうか。この時期、仮設・復興住宅では、それまで暮らしてきた地域のつながりを絶たれ孤立状態に陥ってしまう人びとが出てきます。このためNPOなどがその共有スペースにてイベント――カラオケ大会や学習支援など――を行い、新たなコミュニティづくりのきっかけを提供しています。
 平時の被害抑止・軽減に関しても、市民発のユニークな実践が増殖しています。例えば、岩手県陸前高田市の若者たちによる「桜ライン311」は、津波到達地点の10mおきに桜の木を植えるプロジェクト。毎年4月に家族や恋人などとお花見をすることがそのまま防災教育となる、防災を日常化する工夫があります。
 以上のように、市民社会による共助は、行政や資本が手を出しにくく放置されがちな社会課題に率先してとりくみ、それを乗りこえるユニークなしくみを各所でつくりだしてきました。それは、災害由来の課題に限りません。次章からは、災害以外の多様な社会問題とそれへのとりくみについて見ていきましょう。

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