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青天の霹靂(3/3章)/小説 #創作大賞2024

◆前回のお話
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六、

 翌日、早速カミラが教えてくれた市民相談センターに向かった。

 始業時間を少し過ぎた頃に到着したのに、狭い待合室は、既にたくさんの人でごった返していた。私以外にも多くの人が問題を抱えていることに驚く。
 受付で番号が書かれた紙を取り、空いている椅子がないので、壁に寄りかかって待つことにした。

 一時間くらい待った頃、やっと私の番号が呼ばれたので、声のしたブースの方へと向かう。

「今日はどういったご用件でしょうか?」
 椅子に座ると早速質問された。向かいに座っているのは、カラフルなワンピースに、黒いパーマの髪をお団子にして一つにまとめた黒人女性。この人が私の担当をしてくれるようだ。

 現在住んでいる部屋の壁を取り壊すから、二週間以内に退去するようにと言われたということ。その際に口頭で言ったことは法的に有効だと主張されて書面ではもらっていないこと。この口頭での要求が成り立つのかどうか、そもそもアパートの部屋の壁を取り壊してもよいのかということ。
 他にも、暖房をすぐに直してくれなかったこと、掃除代は家賃に含まれているのに追加で請求されたことなど、おかしいと思うことを全て伝えた。

 担当の女性は私が話し終わるまで聞くと、取ったメモを見ながら答えた。

「なるほど。では順番にお答えしていきます。まず、部屋の壁を取り壊すこと自体は違法ではありません。しかし、今回のような退去通知については、書面による契約が必要なので、口頭契約は認められません。法的効力を持つ口頭契約の例としては、中小企業とサプライヤーとの間の合意や、友人へのお金の貸し借りなどの個人的な合意があります。そして、口頭契約では、当事者の意思表示の合致が必要です。なので、仮に、退去通知ではなく友人間でのお金の貸し借りだったとしても、今回のように片方が承諾していない場合には成り立ちません」

 やはり、口頭で言ったことは法的に有効ではなかった。しかも、口頭契約だとしても片方が承諾しないと成り立たない、というのは、よく考えれば当たり前だ。契約は両者の合意のもとで結ばれるのだから。

「また、家主は最低でも三十日前にはテナントに退去通知をする必要があるので、二週間以内の退去依頼は法律上認められていません」

 猶予期間も嘘だったのか。短すぎると思っていた二週間の猶予期間が違法であることを知ってほっとする。

「また暖房が故障したという件ですが、暖房に対する家主の責任に関して、最低許容温度を規定する法律があります。外気温がマイナス一度の場合、寝室では少なくとも十八度、リビングルームでは少なくとも二十一度の温度を維持できなければなりません。ニューヨーク市では、暖房の故障は、健康上のリスクが生じる差し迫った危険な状態なので、クラスCとして取り扱っています。なので、賃貸物件を快適な温度に保つことができない場合、家主は二十四時間以内に暖房を修理して直す必要があります。もし、家主がその期間内に修理しなかった場合、テナントは家主を訴訟することができます」

 そんな法律があったとは考えつきもしなかった。しかし、危険な状態だというのは理にかなっている。この寒いニューヨークで家に暖房がないことは住人の健康が損なわれることに繋がるからだ。

「そんな法律があったんですね。知りませんでした。私の不動産管理会社の社員は、業者が忙しくて捕まらないと言って、なかなか直してくれなくて。さらに暖房を直さないだけでなく、掃除代を追加請求しようとしてきたので、家賃から暖房代を引く、と言ったんです。でも、契約書に暖房の修理期間として二週間の猶予期間を取ることが記載されているから、家賃から暖房代を引くことはできない、と言われました。その後、猶予期間の二週間ちょうどになってようやく暖房が直ったのです。直ったときも連絡はなくて......」
「法律上、家主が暖房の要件に従わなかった場合、ニューヨーク市の住宅保全局は、家主に対して一日当たりの違反につき二百五十ドルから五百ドルの罰金を科すことができます」

 一日当たり二百五十ドルから五百ドル?! そんなに高い罰金なのか。

「手順としては、まず、暖房の問題の詳細を書き留めて記録を作成します。証拠写真があると尚よいです。この記録は、弁護士に相談したり、裁判所に行くときにも役立ちます。次に、この記録を基に家主に書面で修理を依頼します。そして、家主が応答しない場合は、三一一に電話をしてください。このステップは、苦情の公式記録を作成し、あなたが問題を解決しようとしたことを証明することになるので、とても重要です。そして、住宅問題について三一一に伝えると、住宅保全局に苦情が送られます。そこで初めて、住宅保全局がニューヨーク市の住宅法を執行する、という流れになります」

 しまった。暖房の故障については記録していなかったし、ペドロに直してほしいと口頭で頼んだだけで、書面で大家への修理依頼もしなかった。全て口頭で書面として残していないので、証拠がない。ペドロからの手紙も捨ててしまった。

「暖房の故障について記録はしていなくて。大家へも依頼はしていません。家のことは全て、不動産管理会社の社員が管理しているので、その社員に修理を依頼しただけです。私たち住人が直接大家と話したことはないんです。大家と会ったこともないし連絡先も知りません」
「そうですか。家主ではなく不動産管理会社に対してでも、記録や修理依頼をしたという証拠が書面として残っていれば訴訟できる可能性があります。書面の証拠はございますか?」
「いいえ。直接、口頭で修理をしてほしいと頼んだだけなので書面としての証拠はないんです」
「残念ながら、口頭ですと物的証拠がないので訴訟は難しいと考えられます」

 ペドロに退去の話をされたときに、ペドロが口頭で言ったことは法的に有効だと主張されても、きちんと書面にするべきだ、と強く言い返したのに。暖房が故障したときにはまだペドロのことを信頼していたので、書面に残すことを思いつかず、全て口頭で行っていたことを後悔した。

「最後に、掃除代金の追加請求の件ですが、家賃の増額となりますので、書面として契約書に追記をして、家主とテナント両者が合意としてサインした場合には合法となります。家主は、リース期間終了時に家賃を市場水準まで引き上げることができますが、家主からテナントへの事前通知が義務付けられております。増額が五%未満の場合は三十日前、増額が五~十%の場合は六十日前、増額が十%を超える場合は九十日前までの通知が必要です。これは、この増額により、テナントがリース更新をするか引っ越しをするかを決定するのに十分な時間を確保できるようにするためです。

 そうか。掃除代の追加は家賃の増額になるんだ。増額の金額によって、事前通知をする日数にも違いがあるとは、しっかりしている。しかし、女性が言う『リース』というものが何かを知らなかったので聞いてみる。

「シェアハウスの場合、不動産管理会社が家主から建物を一括で賃借し、実際のテナントに転貸をします。なので、テナントに対する貸主は家主ではなく不動産管理会社となります。また、シェアハウスは一つの建物の中での共同生活であるため、入居者に対するきめ細かい管理や迅速な対応が必要となり、不動産管理会社が貸主になるほうが管理をしやすいこともあります。リースとは、この不動産管理会社とテナントの間の賃貸契約のことを指します」

 思い返してみれば、確かに、今回のシェアハウスを借りるときにサインした契約書では家主ではなく不動産管理会社と契約を結んでいた。日本に住んでいるときは一人暮らしだったので、不動産管理会社を通して家主との賃貸契約を結んでいたので、その違いに納得する。

「ところで、不動産管理会社の方はどのように追加請求をされたのでしょうか?」
「不動産管理会社の社員は私たちのアパートに一緒に住んでいるんですが、住人一人ひとりに口頭で依頼したわけではなく、住人全員への手紙を書いて請求していました。ある日、キッチンのテーブルの上にその手紙が置いてあるのを私が見つけました」
「手紙は書面ですが、双方ではなく片方からの一方的な依頼内容となるので、法的な有効性はありません。そのため、テナントの方が追加の掃除代金を支払わなくても違法ではございません。ところで、不動産管理会社の社員の方と一緒に住んでいらっしゃるんですか?」
「はい」

 担当の女性は眉を上げて目を丸くした。

「そうですか......不動産管理会社が賃貸しているシェアハウスにテナントと一緒に住むということは、これまでお聞きしたことがないもので。それを明確に禁止する特定の法律はないのですが、むしろ、不動産管理会社が、自身が賃貸する物件に住むことを好まない、というのが一般的です。というのも、不動産管理会社が家主とテナントの両方の役割を持つことになり、客観的な視点が失われて、ビジネスに悪影響が生じる可能性があるからです。例えば、テナントとしての個人的な利益が不動産管理者としての専門的義務と衝突する、毎日生活を共にすることでテナントとの関係性を良好に保つことが難しくなる、というような可能性があげられます」

 ペドロが一緒に住んでいることを、今まで疑問には思ったことはなかった。しかし、不動産管理会社とテナントの関係性を聞いて、不動産管理会社のビジネスにとってテナントと一緒に住むことはよくないのに、何故一緒に住んでいるのか、疑問が芽生えてきた。

「不動産管理会社の会社名を教えていただけますか?」 
「あ、はい。......ここにあるサンフレンズLLCというのが会社名です」
 バックから出した不動産管理会社と私との間のアパートの契約書を机に置いて、会社名の箇所を指さした。担当の女性の人が、契約書を見ながらパソコンのキーボードで文字を打ち込み、画面をじっと見る。

「ん?......会社の業種ですが、不動産業ではなくてホテル業として登録されています」
「えっ?」

 私にも見えるようにパソコンを動かして、業種の箇所を指でさす。サンフレンズLCCについての詳細がパソコン画面全面に映っていた。確かに、会社の業種の箇所に「ホテル業」と書いてある。ホテル業? 何で? ペドロの会社は不動産業なのに。会社名を打ち間違えたのかと思い、パソコン画面と契約書の会社名を見比べるが、両方とも同じスペルだ。

「会社の所在地は、契約書に記載のあるテナントの住所となっています」
 担当の女性が指さす会社の所在地の箇所に目を向けると、見覚えのある住所。私が住んでいるアパートの五階一室の住所だ。ペドロの会社は別のところにあるのに、何で会社の所在地として私が住んでいるアパートの住所が登録されているのか。予想外の内容に思わず自分の目を疑う。

 思いも寄らない展開に面食らうが、姿勢を正してパソコン画面に映っている会社の詳細の他の箇所も慎重に読み始めた。

 ーー『代表者:ペドロ・サントス』

 えっ? 代表者がペドロ? ペドロって会社に雇われている社員のはずなのに、代表者?一体何がどうなっているのか、頭が混乱する。

 パソコン画面に映っている情報によると、シェアハウスの入居時にサインした契約書にある会社は、私が住んでいるアパートの五階の一室にあり、ペドロを代表者として、不動産業ではなくホテル業を営む会社なのだった。

「以上でいただいたご質問に全てお答えいたしましたが、他にご用件はございますか?」
 パソコン画面を見てぼーっとしていた私に、担当の女性が尋ねた。

「あ......えっと、この画面を紙に印刷していただけますか?」
「申し訳ございません。こちらでは印刷はお受けしておりません。しかしながら、このページは公共のウェブページの情報ですので、お客様ご自身のパソコンでも閲覧可能です」

 パソコン画面にあるこのページのURLを紙に書き留めておく。

「こちらでは、法律に基づいて事実をお伝えしたり、公にされている情報を検索することまでしかできません。もし、訴訟などされるようでしたら、ご自身で弁護士をお探しください」

 お礼をしてから椅子から立ち上がり、放心状態のまま出口に向かう。

 まさかの展開だ。

 ペドロが言っていた壁を壊すと言っていた日は数日後。弁護士を雇うお金はないので訴訟はできない。しかし、退去通知をする場合には、口頭契約は認められず書面の契約書が必要で、最低でも三十日の猶予期間が与えられるということが分かった。尚且つ、契約書に記載のある会社は、不動産業ではなくホテル業で会社の所在地も代表者もペドロが言っている会社とは異なっていることが分かった。

 法律に基づくこの証拠を武器にペドロに抗議すれば、数日後に強制的にアパートから締め出されることはないだろう。ペドロがメキシコ旅行から帰ってきてからアパート退去の契約書を結ぶとしても、書類作成やサインなどで三十日以上はかかるはず、と見込みを立てる。

 市民相談センターに来る前までは、次のアパートを探すのにあと数日しかないと不安だったが、三十日以上の猶予があることを知って安心した。カミラと今日担当してくれた女性には感謝してもしきれない。

 


七、

 週末の土曜日。キッチンで朝食を食べていると、玄関のドアが開いて見覚えのある男性が入ってきた。中肉中背で肌は浅黒く、髪は黒髪でパーマがかかっている。ペドロが、勤めている会社のボスだと紹介してくれた人だ。

「ハーイ」
「ハーイ、前に一回会ったよね? ペドロのボスよね?」
「そうだよ、私はブルーノ」
「ブルーノね。私はマドカ。ペドロはまだメキシコ旅行中?」
 ブルーノはぽかんとした顔をして私を見つめる。

「えっ? 旅行? 聞いてないけど。それより、今日は壁の様子を見に来たんだ。ペドロから壁を壊すことは聞いてるよね?」
「うん、聞いてるけど。そもそも、なんで壁を壊すことになったの?」

 壁を壊すという点については、ペドロは嘘をついていなかったようだ。
 以前、ペドロからは壁を壊すことになった詳しい理由を聞き出せなかった。ペドロのボスならちゃんと説明をしてくれるかもしれない。

「ああ。このアパートの大家が銀行からのローン審査を再度することになってね。今、二部屋にしてある壁を壊して一部屋にしたほうが、よい利率でローンが借りられるらしいんだよ。こちらの勝手でここに住めなくなることになって申し訳ない。ところで、次に住むところは見つかった?」
「まだだよ。全然見つからなくて」
「そうか。じゃあ、僕のほうでも物件探してみるよ。希望条件とかはある?」
「今と同じくらいの広さで月千ドルの物件を探してる」
「千ドルか......難しそうだけど、トライしてみるよ」
「ありがとう」

 申し訳ないと謝ってくれたし、私の物件を探してくれるというブルーノ。不動産管理会社社員としてのまともな対応に安心する。

「でも、明後日には壁を壊すから、今の部屋にはもう住めないんだよ。申し訳ない。ペドロはもうここには住まないし、彼の同居人も出て行ったから、ペドロの部屋は空いているんだ。千ドルだとすぐには見つからないから、次が見つかるまで、しばらくペドロの部屋だった部屋に住むのはどうだろう?」
「えっ......? ペドロはメキシコに旅行に行くっていってたけど、この家から出て行ったの?」
「そうだよ」
 
 ペドロは何でメキシコ旅行に行くなどと嘘をついたのか。

「それなら......うん、そうしたい。でも、この部屋高いんじゃない?」
「こちらの都合だから、今の部屋と同じ値段でいいよ」
「えっ、ありがとう」
「とんでもない。こちらこそ迷惑をかけて申し訳ない。ペドロの部屋は、今日中に片付けや掃除をしてもらうように段取りを組んでおくから。急だけど、明日には移動してもらってもいいかな?」
「うん、いいよ。ありがとう」
 喜んで承諾した。

 さすがボスのブルーノだ。接客マナーがきちんとしているし、問題解決が素早い。ペドロとは大違いだ。
 しかも、今払っているのと同じ家賃でペドロの部屋に住めるなんて。ウキウキしながら部屋に戻って、片付けを始めた。

 ブルーノが言っていた通り、その日の内に掃除の人が来て、ペドロか同居人の荷物と思われるものを部屋から出して、掃除をしてくれた。そして、次の日にペドロの部屋に移動した。私の荷物は、スーツケース一つとボストンバック一つだけだから簡単だ。

 ペドロの部屋に荷物を置いて窓を開けると、新緑の匂いがしてとても気持ちいい。広い部屋を見渡すと、自然と笑顔があふれてくる。
 
 ペドロに口頭で立ち退きを宣告されたときのことを思い出す。あのときは突然のことで腹がたったけど、終わり良ければ全てよし。ニューヨークで、月千ドルでこんな広い部屋に住める機会なんて滅多にない。
 ブルーノも物件を探してくれると言っているし、とりあえずはこの生活を楽しもう。
 ルンルンと楽しい気分になった私は、キッチンから冷やしたワインとチーズを持ってきて、一人で新居パーティーを始めた。


八、

 ペドロの部屋に移動した週は仕事が忙しく、新しい部屋の掃除はできないでいた。ブルーノが手配してくれた人が掃除をしてくれたが、簡単なものだった。新しい部屋になったし、短い間かもしれないけどお世話になる部屋。自分で念入りに掃除がしたかったのだ。

 高い所から順に。カーテンや窓を掃除したあとに、床の上にあるものに取り掛かった。机と椅子、ベッドの他に冷蔵庫がある。ペドロは広い部屋に住んでいただけでなく、自分専用の冷蔵庫まで持っていたのだ。

 冷蔵庫の中を掃除しようと、ドアを開けるととんでもないものが目に飛び込んだ

 ーーえっ注射器?!

 黄色い液体が入った注射器が冷蔵庫の上から二段目に置いてある。これってドラッグ? ペドロはドラッグを使っていたの? 夜中に物音がうるさくてペドロの部屋を開けたときに、部屋からマリファナの匂いがしたのは気づいたけど、注射器を使うドラッグまでやっていたとは。注射器を見つめたまま愕然とした。

 こんなものが自分の部屋にあるのは嫌だ。直接触るのは気持ち悪いので、ビニール袋を持ってきて取り出した。

 掃除を終えて、部屋の机で夕飯を食べながらパソコンで物件を探していると、携帯が鳴って、カミラからのメッセージが届いた。引っ越した新居に遊びにきてほしい、というお誘いの内容だった。カミラが引っ越した後に色々なことが起こったと返信すると、カミラがすぐにでも聞きたいと言って、早速明日カミラと婚約者が住む家で会う流れになった。

 
 翌日、カミラの家に行くと、リビングのテーブルの上にはペルー料理がたくさん準備されていた。カミラとカミラの婚約者と私でワインで乾杯をすると、私はカミラに急かされて、カミラが引っ越した後に起きた出来事を順に話し出した。

 市民相談センターに行ったこと。退去依頼をしたときのペドロの主張は法的な有効性はなく、でまかせだったこと。契約書の会社は、不動産業ではなくホテル業で会社の所在地も代表者もペドロが言っている会社とは違ったこと。ペドロがメキシコ旅行に行くと言って帰ってこなかったこと。ペドロのボスのブルーノが来て今はペドロの部屋に住んでいること。ペドロの部屋の冷蔵庫にドラッグと思われる注射器があったこと。

 振り返って話してみると、カミラが引っ越してからは、怒涛の勢いの数週間だったことに改めて気づく。

「マドカ、それにしてもすごい展開ね。私もドラッグに詳しくないから、その注射器の中身がドラッグかどうかは分からないけど。もしドラッグだったとしたら、これまでのペドロの行動が腑に落ちるわよね。普段は真面目なペドロが、夜中にマットレスを落としたり、大声で叫んだり、全然違う行動だったから」
「確かに......ドラッグでハイになっていたのかもしれないね」

 マットレスを落とすという謎の行動は、日曜礼拝に行くほど信心深いペドロが起こす行動とは思えなかった。ドラッグの影響だったという説明に合点がいく。

「ねえ、ペドロが旅行に行くと言っていなくなったのって、マドカが弁護士に言いつけるって言ったからじゃない? 嘘がばれるのが怖くなって、姿をくらましたんじゃないかしら」
「あぁ、言われてみれば、そうかも。とっさの判断だったけど、弁護士なんていないのに言いつけるって言ってよかった。そうでなかったら、なんだかんだペドロに丸め込まれて、ホームレスになっていたかもしれないもん」

 私とカミラがおしゃべりに熱中している最中、ワインを飲みながら、私たちの会話を静かに聞き入っていたカミラの婚約者のガブリエルが、ゆっくりと話し出した。

「ペドロは詐欺を働いていたんじゃないかな。受け取った家賃をボスのブルーノの会社に渡す前に、いくらか自分の懐に入れていた、とかね。でも、僕はブルーノも怪しい気がするけどね。契約書にあるペドロの会社とブルーノの会社がどのように関わっているのかが分からないから、何とも言えないけど。ペドロは下っ端で、ブルーノが首謀者かもしれない。そうだとすると、ペドロはまだすぐそばに住んでいるかもしれない」

 ガブリエルはそれだけ言うと、あとは何も言わずまた静かにワインを飲み出した。私とカミラは顔を見合わせる。ブルーノのことは信じ切っていただけに、もしブルーノが首謀者だとしたら。

 ーー青天の霹靂だ。

(完)


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