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青天の霹靂(1/3章)/小説

【あらすじ】
 ニューヨークに引っ越してきた水谷まどかは、古いアパートの格安シェアハウスに入居する。住人で管理人でもあるペドロはゲイと公言しているブラジル人で、働き者で信心深い。もう一人の住人カミラはペルー人で、外見とは裏腹に家族思いの努力家だ。
 優しい住人に囲まれて、新しい生活のスタートに期待を膨らませるまどか。しかし、引っ越してからしばらく経った頃、いくつかの奇妙な出来事が起こり始めた。
 まどかは次々と起こる難題を解決して、平穏無事な生活を取り戻すことができるのか。

 シェアハウスで起こる奇怪な事件、表の顔と裏の顔に惑わされながらも、真実を追い求める姿を描いたサスペンスミステリー小説。


一、

 重いスーツケースを持ち上げながら暗くて狭い階段を登って、やっと五階までたどり着いた水谷まどかは、踊り場で一呼吸して、上がった息を整えた。
 物価が高いニューヨークでやっと見つけた、アパート一室の格安シェアハウス。家賃が安いだけに、建物が古くてエレベーターがない。
 休んで息が落ち着いたまどかは、五〇二号室のドアまで歩くとピンポンを押した。

 しばらくすると、ドアの向こうから話し声が聞こえてドアが開いた。
「ハーイ! 入って入って。マドカよね? ペドロよ。これからよろしくぅ」
「ありがとう、ペドロ。これからよろしくね」

 身体をくねくねさせながら、しなやかに握手の手を差し出す。ウィンクで迎えてくれたペドロは、背が低くてぽっちゃりめの色白のブラジル人。このシェアハウス物件を管理している不動産管理会社の社員で、管理人だ。
 この動作でもわかるが、ペドロはゲイ。契約前に見学に来たときに、本人が言っていた。
 
 ここ、ニューヨークでは、毎年六月にニューヨークプライドというLGBTのフェスティバルが開催されていて、最終日にはデモ行進としてゲイパレードがある。このゲイパレードの発端は、一九六九年に、ニューヨークのグリニッジヴィレッジにあるゲイバー、ストーンウォール・インが警察の不当な強制捜査を受けたため、その場にいたゲイたちが反発して起きた暴動にある。全米だけでなく世界のLGBT人権運動のきっかけとなったこのバーは、二〇一六年には、オバマ大統領によって国定史跡に指定されている。

 日本にいるゲイの友達が、日本は生きづらい、と言っていた。ニューヨークではゲイを多く見かけるが、日本で見かけることはほぼなかった。それは、日本にゲイがいないのではなくて、ゲイだったとしてもそれを隠しながら生きているからかもしれない。

「じゃあ、早速だけど。アパートの中を紹介するわね」
 ペドロの後について、説明を聞く。

 このシェアハウスは五階建てアパートの五階にある。玄関からすぐ真正面に見えるのが、共用のキッチンダイニング。四つのガスストーブ付きのキッチンと冷蔵庫、壁に沿って食器棚が置いてある。食器棚の向かいには、小さなテーブルが一つと椅子が二つある。玄関の右手にあるドアを開けると、共用のユニットバス。シャワー、洗面、トイレの3つが同じスペースに設置されている。玄関の左手には廊下があって、私の部屋を含む四つの部屋への通路となっている。ペドロの部屋へのドアだけは、廊下の右側、玄関から見るとキッチンダイニングのすぐ左側にある。

「はい。じゃ、これ、マドカの部屋の鍵ね」
「ありがとう」
 小指を立てた手で、ペドロが鍵をくれる。

 私の部屋は、廊下の突き当りを右に曲がって一番奥にある部屋だ。歩いて十歩弱で着く。小さなアパートだ。
 鍵を差し込んでドアを開ける。部屋の左角にシングルベッドが一つとその上に窓があり、シングルベットの足元側、部屋の右角にクローゼットが一つある。シングルベッドの左側角と壁の間を埋めるようにベッドサイドチェストが一つ置いてある。歩くスペースは、ベッドサイドチェストの前のベッドと壁の間のみ。広さは大体二畳ぐらい。

 ニューヨークは物価が高い。アパートのシェアハウスで、こんな狭い部屋でも、家賃は一か月千ドルもする。これでも安いほうなのだ。ニューヨーク渡航前、日本では一人暮らしを満喫していたが、今の私の給料ではニューヨークでの一人暮らしは到底無理だ。
 安いシェアハウスの部屋は人気があり、すぐに埋まってしまう。ニューヨークには、クローゼットに住んでいる人もいるらしいから、狭くてもこの部屋に住める私はラッキーなほうだ。
 そんな生活環境でも、ニューヨークに移り住む人は絶えない。エネルギーがあふれるこの街に魅力を感じるのだろう。私もそのうちの一人だ。

 ふと部屋の床を見ると埃が溜まっている。まずは掃除だ。掃除が終わったらスーツケースの中身を出して、部屋を自分仕様に変えよう。
 早速、さっきペドロから教えてもらった、玄関右手にあるユニットバスの横にあるドアから掃除用具を持ってくる。ヘッドホンをかけて、大好きな音楽に合わせて鼻歌を歌いながら掃除を始めた。

二、

 ある日、キッチンで夕飯を作っていると、腰まである艶々下ストレートの黒髪をなびかせながら女性が歩いてきた。黒いロングのダウンコートの下には、丈の短い銀色のミニドレス。褐色のすらりとした脚に赤いピンヒールがよく似合う。

「ハーイ、初めまして。私はマドカ」
「ああ、あたしの部屋の隣に越してきたのね。私はカミラよ。よろしくね」
 男性みたいな低い声のカミラ。マスカラとアイラインがばっちり入っていてかなり濃いメイク。キャバ嬢っぽい。ニューハーフかもしれない。

 廊下の突き当りにあるのがカミラの部屋。その突き当りの右にあるのが私の部屋。私の部屋のベッドサイドチェスト側の壁の向こう側にカミラの部屋があるような間取りだだから、カミラはお隣さん。

 カミラは冷蔵庫から飲み物を取り出すと「じゃあね」と言って、赤いピンヒールをコツコツ鳴らして颯爽と玄関のドアから出て行った。きつい香水の匂いがキッチンに残る。初めて会ったシェアハウスの住人。外見からすると少し近づきがたい印象だ。仲良くなれるといいが。

 この家に引っ越してから一週間。新しい家での生活にも慣れてきた。キッチンに行くとカミラが夕飯を作っていた。
「いい匂いだね」
「あら、ありがとう。これ、ペルーの料理よ」
 鍋の中の料理をかき混ぜながら、すっぴんのカミラが笑顔で答えた。今日のカミラはグレーのスウェットの上下を着ている。ラフな感じで、前回会ったときとは違う印象だ。

「ペルー出身なの?」
「そうよ。出稼ぎでニューヨークに来たの。親に仕送りしてるのよ。ペルーに比べてニューヨークの賃金は高いから、少しだけど仕送りできるのよね」
「親孝行、素敵だね」
「ありがとう。母親のためにペルーに家も建てたのよ」
「えーっ家建てたの?! それはすごい!」
「そんなことないわ。ペルーの家はニューヨークに比べて断然安いからよ」

 そう言ってカミラは謙遜しているけど、親に仕送りをするだけでなく、親のために家まで建てたなんて、相当なお金を貯めたのだろう。前回会ったとき、その外見から遊んでいる人かと思っていたが、しっかり働いてお金を貯めて、それを親のために使っている。人は外見によらない。

「お母さん嬉しかっただろうね」
「そうね。庭のある家に住めて喜んでいたわ。今までずっと小さなアパート住まいだったから。最近では庭で野菜作りにはまってるみたい。それより、料理できたけど、マドカも食べる?」
「えっ、いいの?」
「もちろん! お皿を取ってもらえる?」
 お皿を手渡すと、カミラが料理を盛ってくれて、二人で椅子に座る。

「いただきます」
「なんて言ったの?」 
 カミラに聞かれて無意識に言っていたのだと気づいた。海外にいても食べる前に、いただきます、と言う習慣は消えない。

「いただきます、だよ。日本語。食べる前に言う言葉なんだ」
「キリスト教の食前のお祈りみたいなもの?」
「うーん、違うかな。これは、食物に対して命をいただきますって、ことかな」
「素敵ね。い、た、だ、き、ま、す」
「カミラ、耳いいね。あってるよ」
「うふふ」

 私はこの「いただきます」という言葉が好きだ。肉や魚はもちろんのこと、野菜や果物にも命があると考え、食べ物に対して、あなたの命をいただきます、とそれぞれの食材に感謝の気持ちを表している。現実主義の私は、見えない神様よりも、見える食材に感謝をする、という方が理にかなっているのでは、と考えてしまう。

 カミラの作ったアヒ・デ・ガジーナは、黄色唐辛子やタマネギ、パン、牛乳、ブイヨンスープなどで作った濃厚ピリ辛スープに、細かく裂いた鳥肉を入れて煮込んだ料理だそうだ。ごはんと一緒にジャガイモとゆで卵が添えられてあって、彩り豊かで美味しそう。

「美味しい! このスープコクがあるね」
「じっくり煮込んだからね。唐辛子が入っていて、寒い日にいいのよ」
 二人でふーふーしながら、食べる。唐辛子が入っているからか、身体の芯から温まってくるのを感じる。

 テーブルの横のペドロの部屋のドアが開き、ベージュのダッフルコートに赤と緑のギンガムチェックのマフラーをしたペドロが出てきた。
「あらぁ、いい匂い」
「うふふ。ペルーの料理よ。ペドロも食べる?」
「ありがとう、でも遠慮しておくわ。今から仕事なのよ。じゃ、お二人ともよい夕食を」
 ウィンクをすると、ペドロは玄関のドアを開けて出て行った。引っ越してきて一週間が経つが、ペドロが家にいることはあまりない。不動産業には詳しくないが、忙しい仕事なのかもしれない。

「いけない、もうこんな時間!」
 そう言うと、カミラは急いでご飯を食べて席を立った。

「私はこれからクラブに行くけど、鍋にまだたくさん残ってるから好きなだけ食べてね」
「クラブに行くの?」
「そうよ。私、クラブで踊るのが好きなの。毎週、友達と行ってるのよ。それを楽しみに日々働いているようなものね。じゃあ、ごゆっくり」
 カミラはウィンクをすると、片手をひらひらさせて自分の部屋に戻った。

 キャバ嬢じゃなくて、クラブに行くための格好だったんだ。第一印象は近づきがたかったが、話してみると、優しくて働き者の親孝行なカミラ。シェアハウスの住人と一緒に夕飯をとったのは初めてで、また、カミラと仲良くなれたことが嬉しくて、その夜は幸せな気持ちで眠りについた。

 引っ越してきて一か月が経った頃、夜中に物音がして目が覚めた。

 このシェアハウスの管理人、ペドロの部屋から話し声に混ざってきゃっきゃという笑い声が聞こえる。ペドロの部屋は、私の部屋のベッドの足元にあるクローゼットの壁の向こう側にある。このアパートの壁は薄いので、ちょっとした物音でも聞こえてしまうのだ。

 時計を見ると午前三時。これまで、夜中にペドロの部屋から大声が聞こえたことはなかった。こんな時間に一体何をしているんだろう。

 しばらくしても話し声が止まらないので、ベッドから出て、クローゼットの横の壁を叩いてみた。叩いた音が聞こえなかったのか、話し声は止まらない。五回ほど叩くと、やっと気づいたようで、話し声が止まった。

「静かにしてもらえる?」
 壁越しにペドロに叫ぶ。向こうで数人がコソコソ声で話しているのが聞こえる。

 「ごめんねー」と壁越しにペドロが謝る。苛々しながら、念のために耳栓をして目を閉じた。しかし、一度起きてしまったからなかなか寝付けない。すぐに朝が来た。寝不足でだるい身体に鞭を打ってベッドから出ると、ペドロの部屋からはいびきが聞こえる。
 何とか会社に行ったが、眠くて集中できず、その日は一日中仕事にならなかった。

 週末、仕事休みの日曜日にキッチンで朝ごはんを作っていると、黒い艶々した髪を七三分けにして、ベージュのダッフルコートの下に紺色のスーツを着て、大きな十字架のネックレスを首から掛けたペドロが部屋から出てきた。

 ペドロの部屋はキッチンの横にあるので、空いたままのドアから部屋の中が見える。ベッドが二つ置いてあり私の部屋の三倍くらいはありそうな広さだ。あんな広い部屋、いいな。自分よりも広い部屋に住んでいるペドロをうらやましく思った。

「ハーイ、マドカ! うぅん、いい匂い。何を作ってるの?」
「オムレツだよ。素敵な恰好して、お出かけ?」
「ええ、今から教会のミサに行くのよ。うふふ。じゃあね!」

 ペドロは私にウィンクをして自分の部屋のドアを閉じて鍵をかけると、鼻歌を歌いながら嬉しそうに玄関から出て行った。ミサに行くなんて信心深い。ペドロの意外な一面だ。

三、

 冬の寒さが一段と厳しくなってきた日の夜、仕事を終えた私は、凍える手でアパートのドアを開けて中に入った。

 ーー寒い。

 えっ。アパートの中なのに、まるで外にいるような寒さだ。
 自分の部屋のドアを開けて確かめるが、部屋の中も寒い。部屋にある備え付けの暖房の管を触ってみると、凍えそうなくらい冷たくなっている。暖房が故障しているのかもしれない。

 家には誰もいないようだ。コートを着たままキッチンで熱いお茶を作って飲んていると、玄関のドアが開いてペドロが帰ってきた。

「ハーイ、マドカ!」
「お帰り、ペドロ。ねえ、アパートの中寒くない? 暖房が故障してるのかな? 私の部屋の暖房も故障しているみたいなんだけど、見てくれない?」
「確かに。うぅぅ寒いわ。マドカの部屋だけじゃなくて、アパート全体のガス暖房の調子が悪いのかも」
 
 二人で私の部屋に向かうと、ペドロが暖房管に触った。その後、アパート全体用の暖房の管だという廊下の暖房管も確かめる。

「ふぅ。マドカの部屋だけじゃなくて、アパート全体のガス暖房が故障しているみたいね。明日、業者に来てもらうわ。私の部屋に予備の電気ストーブがあるから、とりあえずそれを使って」
「ありがとう」

 ペドロの部屋から電気ストーブを借りてきて、電源をつける。ちゃんと動いた。よかった。こんな真冬に暖房がなかったらとても眠れない。ストーブに手をかざして暖を取る。
 寒さのせいか疲れていたので、さっさとパジャマに着替えて歯磨きを済ませると、火事にならないように、電気ストーブのタイマーをセットしてベッドに入った。

 翌日、仕事から帰ってきて玄関のドアを開けてアパートの中に入る。

 寒い。

 今日、業者に来てもらうって言ってたのに。念のため、廊下と自分の部屋の暖房管を触ってみるが、昨日と同じ、冷たいままだ。部屋に入ると、早速電気ストーブを付ける。

 キッチンの横にあるペドロの部屋のドアの隙間からは明かりが見えない。まだ帰ってきていないようだ。
 十時まで待ったが帰ってこないのでベッドに入った。
 
 翌朝、キッチンのテーブルで朝ごはんを食べていると、白いバスローブを羽織ったペドロが部屋から出てきた。

「おはよう、マドカ!」
「おはよう、ペドロ。昨日、業者どうだった?」
「あっ......あのね、業者が忙しいみたいで、つかまらなかったのよ。今日、また業者に連絡してみるから」

 そう言いながらペドロは急いでシャワーに向かう。今日も業者がつかまらなかったらどうするのか聞きたかったのに。悶々としながら朝ごはんを食べ終えると、ピンク色のパジャマの上に白いウールのナイトガウンを羽織ったカミラが青い唇をしてやってきた。

「うぅぅ、寒いわ。朝方帰ってきてベッドに入って寝ようとしたんだけど、眠れなくて」
「ペドロが業者に直してもらうって言ってたんだけど。昨日は業者が忙しくてつかまらなかったみたいで、今日また連絡してみるって」
「そうなのね。もう、嫌になっちゃう」

 カミラが両手をこすり合わせて、ぶるぶると震えた。
「しかし、本当に寒いわ。これじゃあ風邪を引く」
「私はペドロが貸してくれた電気ストーブがあるから、私の毛布使いなよ。この寒さじゃ眠れないでしょ」
「そんな、悪いわよ。マドカが寒くなっちゃうじゃない」
「大丈夫。私、毛布余計に持ってるから。寒がりだからたくさん買ってあるの」
「あら、そう? じゃあ、使わせてもらおうかしら。ありがとう」
 カミラの役に立てて嬉しい。いつ会っても笑顔で優しいカミラは、私を幸せな気持ちにさせてくれる。

 しかし、次の日も、またその次の日も暖房は故障したままだった。ペドロは仕事が忙しいのか、私とは時間が合わないのか、家で見かけない。

 暖房が故障したまま、四日目を迎えた。キッチンのテーブルで雑誌を読みながら夕飯を食べているときに、ふと、テーブルの上の手紙の横に紙が置いてあるのが目に入った。

『今月から、掃除代として一人、毎月十ドル支払ってください。ペドロより』

 えっ。何これ? 暖房が故障したままなのに。そのことには一切触れず、掃除代を要求するペドロの手紙の内容に思わず目を疑った。しかも、掃除代は家賃に含まれていたはず。どういう意図なのかさっぱりわからない。

 自分の部屋に戻って、ペドロの勤める不動産管理会社と私との間のシェアハウスの契約書を探し出して読む。月の家賃の内訳に『掃除代』としっかり書いてある。追加で掃除代を請求しようとしているのか?

 そもそも、家賃に含まれている掃除代の内訳も不明だ。掃除専門の人を雇っているわけではなく、ペドロ自身が床をほうきで掃いたりトイレの掃除をするだけだった。キッチンとシャワーは、住人達がそれぞれ使った後に綺麗にしているし、掃除代として考えられるのは、ペドロの人件費、キッチンとトイレの洗剤、スポンジ、ゴミ袋の費用くらい。

 ペドロは家にいない。念のためにカミラに確認を取ろうと、カミラの部屋のドアをノックした。
「どうしたの、マドカ」
「ねえ、キッチンにある手紙見た?」
「見てないけど。どうしたの?」
「ペドロがね、今月から掃除代として一人、毎月十ドル払ってくださいって言ってるの」
「はぁっ? 冗談でしょ! まず、暖房どうにかしろっての!」
 突然、やくざみたいな声でカミラがどなった。目は吊り上がっている。おしとやかなカミラがこんなに怒ったことにびっくりした。暖房がない日が続いて、寝不足で風邪気味だから、相当機嫌が悪いのだろう。

「しかもね。契約書みたら掃除代って既に家賃に含まれてるんだよ」
「えっ? 何? じゃあ、私たちから追加でせしめようとしてるの?」
「そうみたい。ねえ、払わなくていいよね?」
「当り前じゃない。そんなもん払わなくていいわよ。あームカつく! ペドロに言いに行く!」
「今、ペドロいないよ」
「じゃあ、こっちも手紙で書いてやる!」
 そう言うと、カミラはペンと紙を取り出して書き始めた。

『暖房はいつ直る? 使っていない日数の暖房代は家賃から引くから。掃除代は既に家賃に含まれているのにどういうつもり? 追加で要求している掃除代の説明をして』

「これでいいわ。キッチンのテーブルに置いてくる」
「ありがとう、カミラ」
 温厚なカミラが書いたとは思えない内容だ。今のカミラが、それだけ過酷な状況に追い込まれているということだろう。
 不動産管理人として、暖房を直そうともせずに、掃除代という名目で住人からお金を取ろうとしているペドロの気が知れない。

 次の日、キッチンのテーブルに置いてあるカミラの手紙に、ペドロの返事が書き加えられているのが見えた。

『契約書に記載の通り、設備の修理には二週間の猶予期間を取っているため、家賃から暖房代を引くことはできません』

 何これ! 謝罪の言葉は書かれていないし、早く直そうっていう気持ちが伝わってこない。しかも掃除代についての説明は何も書かれていない。やはり、掃除代というのはただの名目で、ただただ私たちからお金をせしめようとしていたのか。こんなの詐欺だ。

 念のため契約書を確認する。悔しいことに、ペドロの返事の通り、契約書には設備修理に二週間の猶予期間を取るという内容が書いてあった。

 直接ペドロと話して詳細を知りたいけれど、今日もペドロは家にいない。怒りが収まらず、手紙を持ってカミラの部屋に行く。

「カミラ、これ見て!」

 じっと手紙を読むと、カミラは静かに話し出した。
「予想していたけど、やっぱりペドロね......暖房を直すなんて口だけ。契約書に記載があるし、家賃から暖房代を引くことだけは阻止するだろうから、二週間以内には直すと思うけど......急いで直す気なんてないわね」
「ひどくない? しかも、掃除代に関しては一切触れてないんだよ! やっぱり私たちからお金をだまし取ろうとしてたってことだよね?」
「残念だけど、そういうことね。返事の中で掃除代について一切触れていないことが、それを物語っているわ。正当な代金なら、その内訳をちゃんと説明できるはずだもの。しかも、追加料金になるなら、契約書に追記をして両者がサインをするのが正当なやり方。それをしないで、ただの手紙で要求してきたところが怪しいわ。不動産管理会社の社員という立場を利用して、あたかも本当のことだと信じさせて、私たちからお金をだまし取ろうとしていたってことね」

 日曜のミサに通うほど信心深い一方で、人を騙してお金を取ろうとするペドロ。人を騙すことってキリスト教の罪に値するのではないか。信仰と実際の行動が矛盾している。

 電気ストーブを借りた私はまだましだけど、カミラの部屋には電気ストーブがない。寝不足で免疫力が落ちているカミラ。冬の寒い時期に、暖房も電気ストーブもない部屋にいたら、風邪をこじらせて肺炎になる可能性もある。

「ふぅ......仕方ない。暖房がなおるまで彼氏の家に住むことにするわ」
「うん、それがいいよ。カミラに会えなくなるのは寂しいけど、このままだと風邪をこじらせちゃうもん」
「マドカ、気を付けてね。ペドロの笑顔に騙されたら駄目よ」
「うん。気を付ける」

 カミラがいてよかった。自分一人だったら、疑問に思いながらも、不動産管理会社の社員が言うのだから正当なのだろう、と思い込んで、追究せずに支払っていたかもしれない。
 今回の件で、ペドロの裏の顔が見えた。これからは、ペドロの言うことを真に受けないように用心する。少しでも疑問に思ったら、きちんと真実を見極めよう、と心に決めた。

 暖房が故障してからちょうど二週間が経った。
 仕事から帰ってきて玄関のドアを開けると、アパートの中が暖かい。念のために廊下と自分の部屋の暖房管に触れる。うん、暖かくなっている。暖房が直ったようだ。
 カミラの言う通り、猶予期間の締め切りぎりぎりに直った。業者が忙しくて捕まらないと言っていたが、ぎりぎりに直ったところが怪しい。忙しくて捕まらないというのも嘘だったのだろう。 

 ペドロから私たち住人に対して、暖房が直ったという連絡はなかった。ペドロは、暖房が故障しているせいで、カミラがしばらく彼氏の家に住んでいることを知らないのだろうか。いや、知っていたとしても気にしないのかもしれない。ペドロの思いやりのなさに嫌気がさしながら、暖房が直ったことをカミラに連絡した。

***
◆続きはこちら
・第2章

・第3章

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