「街の焚火場」を終えて。
仙台たき火ティー「街の焚火場」
feat「ことばの焚き火」
5/30 @青葉の風テラス
5/31 @ユーメディア
さて。
何が起きたんだっけ?
焚火をしただけ。
同じ一つの小さな火を、それぞれに、だけど一緒に眺めただけ。
それだけ。
前から知る友人や、初めて会う人や、
「ことばの焚き火」という本を作った人、
この地に住んでいる人、旅をしている人、
大人に子供。
迷いの無い人、迷ってる人。
誰かといる人、誰かを想っている人。
何を話したんだっけ?正直、もう忘れた(笑)。
誰と話したんだっけ?忘れた(笑)
映えようと思ったら、写真や動画撮ったのかもしんないけど、でも自分では一枚も撮らなかった。
だけど、
ゆらゆらと揺れる火を眺めるみんなの顔、場の空気の振動に、不意に吹き抜ける夜風。
何も話さなくても、
「なんか良いねー。なんだか良いねー」
って言ってる体の感覚。
それは残ってんですよ。
写真にでも動画にでもなく、身体に。
肌寒い外気の中で際立つ暖かさとして。
仙台で初めてビル街を背に裸火を焚いたこと、
それは奇跡なんだけど、
風が強くて危うく焚火禁止になりそうだったのに風がパタリとやんだ事、それも奇跡なんだけど、
だけど、
その場で皆で感じた感覚こそが、本当のそれで。
そもそも何がしたいと思ってたんだろう、とか
何ができたんだろう、とか、届けたい人に届いたんだろか、とか、ちょっと、いや結構、考えたりしたけれども、別にそれはいいや。
だって、あの感覚のほかに何が要る?
こんな一瞬、一瞬に出会うために、人や出来事と出会うんだよね、と。多分。
全員で。
そうしさえすれば、声じゃない声、を、本当は、聴くことが出来るのが自分たちなんだ、と。
それを対話、と言うのならばそうなんだろうけどさ。
だけど、一旦、呼び方はなんでも良くって。
いっつも長いんだ、僕の文章は(笑)ガーガーガー、ギャーギャーギャー、と。
でもですね、出てこないんですよ、今、なーんも。全然。
だけど、良いんです、それで。
皆が代わりに言ってくれているし。
ついつい「ありがとうございました」って言いたくなるんだけど、全然そうじゃなくって。
だって、僕の場とか、僕が作った場、とかじゃなくて、皆が望んで、皆で作った、皆の場なんですよね。
火を囲める仲間がいたら、他に何が要る?
自分はすったもんだしながら、もんどり打ちながら全力で皆と一緒にいて、全力で幸福だ。
今回の場は、来てくださった60名、皆が作った皆の場でした。
皆の明日もまた、あの炎のように、それぞれに自分らしく揺らめいて、それぞれにそれぞれの場で世界を照らしますように。
また、仙台たき火ティーで会いましょう。
https://www.facebook.com/groups/418620709996125
カズ、まみーた、太郎ちゃん、ありがとう。
そして、やっぱり、みんな、ありがとう。
と、
そして、書いてて気付いた。
鬱屈として「息が出来ない」と苦しんで、お守りみたくポケットにサリンジャーを突っ込んでた若い頃の自分に向けてこれを書いてることに。
大丈夫だよ。
大石豊
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