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「大石さんのは対話じゃない」

ですよねぇ。そうなんですよねぇ。
自分のは対話じゃないんだと思うんですよ。

唐突ですが、最近、こういう話が立て続けにあって。「そんなの対話じゃない」と言われましたし「仙台たき火ティーの場では対話は出来ない」というお言葉を頂いたり。実際、自分も「いやあ、そうですよねぇ」と思ってて、んで今日はたまたま、自分の中から言葉も出て来たので出そう、と思って出します。

自分でも分かってて。「対話、対話」「ダイアローグ、ダイアローグ」と言いながら、自分のやっていることが、その筋の方々からすると、全然「対話」じゃない、とか、過剰に大石の価値観や、狭い世界観の中で、それこそ「保留/Suspend」されていない、反応的な場じゃないか、とか言われても仕方ないものだな、って。いやあ、だよなあ。オレなあ。全然、オープンじゃないし偏屈だしなあ、みたいな。

それで、とりあえず、自分にとって、たき火ティーでやっていることは、グループページの一番上にあるペラのメッセージに尽きるなあ、と思ってて。そこに対しては一切自分は欺瞞がないなあ、と思えます。

例えば自分が組織開発やチームアップに関わる狭義の対話の場では、そりゃあ自分もにわかにアイザックスさんの4つの原則などを掲げることもありますし、秋保でクローズドに出来る時はチェックイン、チェックアウトとかも取り入れたりすることもあります。

でも、それは、あくまで狭義の「対話」でしかないし、そこにしがみつくことは、対話の巨匠であるボームさんが言うコヒーレントとは真逆なものだと思うのです。

それよりも、自分にとっては、小さな子供たちがパパやママと一緒にマシュマロを焼いた記憶をとどめて遠い未来まで人生を運んでいくことや、あの子供たちの笑顔を施設の従業員の方々が空模様とともに脳裏に焼き付けて、明日の事業を営めることの方が、本来対話が生み出そうとする、新たな流れを作れる行為なのではないか、と思ってて。

火を眺めその人がその刹那、ほっと自分に還るとともに、それと同時にその外周には、自分には都合や居心地の悪いことも含めた不確実な世界と接している体を感じてもらえれば、僕にとってはそれで意味を成すことだと思っていて。その後に時間を経て、ジワっと起き上がってくる思念も含めて。

対話、という言葉に前提を持つ方々からすると、亜流であったり、デタラメかもしれません。あるいは、僕のスタンスや、そもそも生き方や言葉の発し方は、特定の立場を握りこんだ人達にしてみれば看過・容認できないようなあり方なのかもしれないですし、実際そうだと自分でも思います。でいてかつ、自分は一旦それも保留したいな、と。そのことに対して声が出辛いことすら、僕の在り方の「不正解」さとして捉えられるとするならば、それはそれで仕方がないとも思いますし。ましてや、僕であれ、僕に対して批判的に感じる人であれ、現れ出て来ようとする新しい世界の流れの全体性の必要なパートなのでしょうから、僕はそのような形で僕なりに対話していきたいな、と思っています。

とはいえ、色んなことが起きますので、ただ七転八倒ですね。なんだかこれも弁明、釈明くさいしなあ。ぐふう。

でもね、やっぱりですね。来てもらっている人たちが笑顔で「幸せだった」とか「あったかかった」とか「空キレイ」とか言って帰っていく訳です。僕はそこに、未来への希望を見てるんです。いくらでもお金払える、と思える位尊いシーンを見せてもらっているんです。

だからね、何であれ焚き続けますよ。だって、今のところ、今の形でしかやり方を知らないし。

でも、対話のことは、もっと勉強したいし、自分なりに「Voicing/Listening/respecting/susupending」を研ぎ澄まし、自分自身が、生まれ出る未来に対する実践者でありたいと思っているので、色んな方と色んな機会を持ちたいと思っています。批判の場であれずっと矢面に立っていたいし。少なからず僕を応援してくれる方々がこんなにもいらっしゃるのは、僕が矢面にいることによってのみそうして頂いていると思っているので。がんばって、自分の信じる対話をしていきますよ。ではー。

仙台たき火ティー 豊

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