自己紹介と福祉の仕事を志した理由①

1年前位からたまーに見ていたnote。
書いてみたいことはあったし、今までも書いてみようと思う事は何度かあったが実際にはそこ止まり。
とりあえず、私の書きたい事は
①福祉の仕事の事
②子育ての事
③幸せに生きる事とは(趣味の話、哲学の話)
④自分の思考の整理
ってざっくり過ぎるだろ!
とツッコミが入りそうだが、それで良い。
あくまで自分の思考の整理、アウトプット。
途中で関係ない話も沢山するかもしれないが、気にせず書く。
ただ、もしかしたら、この記事を最後にもう書いていないかもしれない笑
とりあえず今日は書く気になっているので書いてみる。
アウトプットしたい事が有りすぎてまとまらない。とりとめなく話が枝分かれする事もポジティブに捉えて、まずは書いていこうと思う。

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さて、少し自分の話を。
私は障害者福祉に関わる仕事をしていて、2歳の子供と妻と3人暮らし。
福祉の仕事は10年以上している。
10年も経つと色々思いの変化や環境の変化もある。
私は大学でも福祉を勉強していたのでかなり長い事福祉の事を考えている。    
その話もまたそのうちに。

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なぜ、私が福祉の道を志したか。
今日はその話について書いてみようと思う。
この話をするには幼少期まで遡らなければならない。
私は物心着いた頃からアトピーがある。これは私にとって大きなコンプレックスだった。子供の頃に比べると今は多少落ち着いたが、昔はこれが本当に嫌だった。
だって周りと見た目が違うから!
時に周りに見た目をバカにされた事もあった。
話を逸らしたり、笑って誤魔化したり。性格は明るい方だった。根が明るいのか?と言われるとそうでもないかもしれない。そういったコンプレックスを隠す為に明るく振る舞っていたのかもしれない。大人になって聞いた話でアトピーの人で明るく振る舞ったりする事は良くある話らしい。
と、まぁそれは余談で、要は他人からの視線を気にして過ごしていたのである。
アトピーと付き合っていく事は私からしたら当たり前のことだが、本当は並大抵の事ではないと思う。
痒くて寝れない、落屑、ふけ、血だらけ、むくみ、それらを隠す為のファッション、食べ物の制限、病院通い、服薬など。
それらと付き合いながら普通に(見せかけて)生活するのが相当な根気と努力がいる事だったと思う。こういった経験も後の自分の考えの根源に大きく影響を与えていると思う。

長くなってしまったが(また、アトピー の話もまた書けたらと思う。)幼少期からの自分の体について話をしてきたが、このコンプレックスのせいで夢を諦めた経験がある。
思春期の僕はサラリーマンにはならない!という事だけ決めていた。
理由はスーツを毎日着たくない、満員電車に毎日揺られて仕事に行きたくない、毎日誰かにペコペコ頭を下げたくない!(サラリーマンの皆様、すみません。思春期の子供の偏見です)
そんな思いから、手に仕事をつけて資格を活かした仕事で且つ人と関わる仕事がしたい!と中学の頃から思っていた。(今思えば立派な考えだ)
そしてそんな私の夢はリハビリの先生になる事だった。
何故、このコンプレックスでこの夢を諦めたか。
PTやOTの資格を取得する為には専門の学校に行く必要がある。こうした学校に行く為に幾つもの学校のオープンキャンパスに参加した。
その中で体の勉強をする為に自分達の身体を使って身体について勉強をしていく過程がある。
これが当時の自分には耐え難い事であった。全身失神だらけの身体を人前にさらすなんぞ、思春期の私からすると人前でウ◯コさせられるのも同然。(失礼しました)
高校3年生の当時、この現実を知った自分は何故自分の身体の事で夢を諦めなければならないのかと絶望し、人知れず毎日泣いていた苦い記憶がある。
第三者が見れば、そんな事で夢を諦める必要があるのか?と思われそうだが、思春期の盛んな自分は当時『そんな事』で片付けれる様な話ではなかったのだ。
それからというもの、何も手のつかない私はその事を気の知れた友人、家族、先生に相談をした。この様な話を人に相談するのもとてつもない勇気がいる事だった。
泣きながら相談したのを覚えている。皆、話を受け止めてくれ、心が楽になったのを覚えている。
この頃、周りの皆んなは進路が決まっていき、それも焦りの要因のひとつだったのだが、相談した先生の紹介してくれた進路の一つに『社会福祉士』という資格を取得する為の大学があった。なんやそれ?調べても良く分からんが、まぁ福祉で困った人の相談にのる仕事!そういう認識だった。うん、良いじゃないか!ん?いや、ちょっと待てよ。給料が安い!?それはいかん!んー、でももう進路を決めないとマズいぞ。まぁお金はどうにかなるか!人と関わる仕事だし、資格もある!指定校推薦もあるから勉強しなくてもいけるぞ!よし!と勢いで進路を選択したのだ。
そうして、福祉系の大学へ進学する事を決意した。

思いの他長くなってしまったので今回はここまで。
文章を書くのは苦手である。因みに祖母は国語の先生だった。関係ないか。
話を要約するのが苦手なのだが、もうここではある程度気にせず書く。

次回に続く。(次回があるかは分からないが、、)

#福祉
#障害者福祉
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#アトピー
#思考の整理

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