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フリーライターとして14年も生きてこられました

新コロ騒動ですっかり忘れてたけど、こないだのGWでフリーランスのライター・編集者になって丸14年が経ちました。

これまで何度も書いている通り、この13周年の年はヒドかった。フリーになって最大のピンチと言っても過言ではない。収入のかなりの部分を占めていた二大クライアントを相次いで失い、その他の仕事も減った。せっかく友人に紹介してもらった案件もワイの力不足で途中降板してしまった。経済的にもそうだけど精神的ショックもデカかった。この歳になるとこういうのコタえるのよね……(今は、ボスだった人とは、いわゆる音楽性の違いが激しかっただけのことだと割り切れてるけど)。

このままではマジで路上とか公園で暮らすダンボールおじさんになってしまいかねんと思っていたところ、ポツポツと毎月ある程度は稼げそうな新規クライアントが見つかったり、長らく付き合いの途絶えていた出版社の仕事が復活するなど、これで今年も何とかなりそうかな・・・と思っていたところにこの新コロ禍ですよ。

2月終盤頃から徐々に動き始めた案件とか進行中の仕事が延期になったり停止したり、発注そのものも減少。3月中旬頃にはやることがない完全中年ニート状態になった。

でも幸いなことに、まさに14周年目に突入したGWあたりからようやく新規クライアントの案件が再び動き出し、さらに新規発注と隔月連載、それらすべての締め切りが見事に重なり、急激にてんやわんやの大騒ぎ状態に。

とはいえ、金額的には全然大したことないので、やはり2020年、14年目は収入はより下がることが予想される。
とはいえ、やることがあるだけ全然マシ。二度とあのニートな日々には戻りたくない。

で、こないだマブダチカメラマンと呑んでる時にも話したんですが、このタイミングでの新コロ襲来はどうだったんだろうと考えるわけです。
つまり、今回、元々落ち目なところに新コロが来たわけですが、もし、ものすごい絶好調の時に新コロが来るのとどっちがええんやろと。
ショックは後者の方が大きいと思うねんボク。
その方が損失もデカいし。
せやから元々落ち目だったところに新コロが来たから、そんなにショックやないというか。

でも新コロによっていまだに止まってる仕事も多々あって負の影響もデカいんだけど、そっちも新コロが落ち着いたらまた始まるんちゃうかなと。


しかしこの1年は何とか生き延びることができました。せっかくなので、常々考えていることを書いてみたいと思います。

人間の本能といえば食欲・性欲・睡眠欲の3つであるのは皆さんもよくご存知のことと思います。しかし私はこれにあと2つ付け加えたい。1つは、未知のことを知りたいという知識欲、あるいは好奇心です。

人類は700万年前くらいにアフリカで誕生し、そこから世界中に拡散していった。ずっと住み慣れたアフリカにいてもよかったのに、あえて見知らぬ土地を目指し一歩を踏み出したその原動力になったのは、この見たことのない風景を見てみたい、知らないことを知りたいという知識欲だと思うのはいささかロマンチシズムがすぎるだろうか。

そうじゃないとしても、この知識欲が人類文化の進歩発展の元の1つになったのは間違いないだろう。
『進撃の巨人』にもエレンが壁の外を見たいと魂の叫びを放つシーンがあるが、それがこの作品の核の1つになっていると思う。

個人的にもこれが生きる原動力の1つになっている。ノンフィクション系の本を読む時、ドキュメンタリー系の映画を観る時、見知らぬ土地へ出かける時、心が躍る。ワクワクが止まらない。そういえば、18歳で愛媛の片田舎から横浜に出てきて新聞奨学生を始めるときも、不安もあったが、ワクワク感の方が大きかった。

休みの日、新聞を配る50ccのヤマハ・メイトでいつも通る道をこのままずっと走るとどこまで行けるのだろうと、限界まで走ったことがある。あの走り出した時のワクワク感、頬に感じた風の気持ちよさ、そして次々と目の前に現れる見知らぬ風景の眩しさは、30年ちょっと経った今でも鮮明に思い出すことができる。

その知識欲は仕事においても同じである。取材は知らないことを知りたいという欲求を満たしてくれる。未知の、知りたいと思っていたことを知ることができた、その人の核心の部分に触れられたと感じた時、鳥肌が立つ。確かに何か変な電流が脳内を駆け巡る感触がある。

その次に、知り得た情報を誰かに知らせたいという欲求が沸き起こる。これが2つ目の本能である発信欲である。伝達欲といってもいいかもしれない。

自分の経験したことや知り得たことを人に伝えたいという欲求をもつ人は多いだろう。だからこそこれだけSNSやブログが流行るのだろう。

ではなぜ人は誰かに伝えたいと欲するのか。その大きな理由が「報酬」。この場合の報酬はリアクション。こちらが発する情報を受け取った相手からの反応だ。喜んだり笑ったり驚いたり、感謝された日にはもうやめられない。

逆にもし誰からも何の反応もなかったら、伝えるモチベーションを長く保ち続けられる人がどれだけいるだろうか。人は無視されることに耐えられない。人は人は社会的動物なのだから。

この辺は承認欲求とも絡んでくるが、そういう意味で特にFacebookは本当にうまいことやったと思う。「いいね」システムは革命的だと言っても過言ではないだろう。それを超えて「いいね」は麻薬に近いとも思っている。

私もSNSやブログに何かを書く際、読んでくれた人の反応がめちゃくちゃ楽しみだ。

それは仕事においても同じで、まずは自分の書いた記事のPV数がハネたらうれしい。それだけ多くの人に読んでもらえたということだからだ。しかし、それだけを追い求めるのはナンセンスで、ページの滞在時間やどのくらいの量を読んでいるのかというヒートマップの方が重要だ。何よりPV至上主義に陥ると記事の方向性がブレるし、クオリティも落ちる危険性がある。よって、PVはあくまでも指標の1つで、狙いにいかず、結果的に上がったらいいなくらいでいいと思っている。とはいえハネたらうれしいけど。

何よりうれしいのは読者の反応だ。これが間違いなく大きなやりがいの1つになっている。「おもしろかった」「ためになった」「読んでよかった」というコメントがつくと死ぬほどうれしい。最近書いた記事でもたくさん好意的なコメントがついていて、読んでいると自然と顔がにやけてしまう。本当にありがたい。

特にフリーライターの仕事というのは、取材を除けば1人の部屋で、朝から晩まで、最初から最後まで基本的に全部1人で作業するので、めちゃ孤独。だからこそ読者の反応がありがたく、それがあるから頑張れると言っても過言ではないのである。

ちなみに今まででものすごくうれしかったコメントは「つらい毎日ですが、この記事を読んだことでもう少し頑張れそうです」とか、ハイパーレスキューの隊長のインタビューを読んだ中学生が送ってくれた「僕も将来、絶対ハイパーレスキューになります!」というものだ。この時は涙が出るほどうれしかったのと同時に、人の将来を左右する可能性もあるわけだから生半可な気持ちでやったらあかんなと改めて襟を正した。

逆に「つまらなかった」とか「この記事に何の意味があるのか」というdisりコメントもありがたい。なぜなら一応、興味をもって読んでくれているからだ。最悪なのが読まれないこと。そしてノーリアクションだということ。それに比べれば全然マシなわけだ。中にはごくまれに内容に関して的確な指摘・批判をしてくれる人もいて、今後のよりよい記事制作のために非常に有益なのでものすごくありがたい。この辺は別業界・業種におけるサービスや製品の向上に繋がる部分もあるだろう。

もっと突き詰めれば、発信欲の裏側には、それによって自分自身のことを誰かに知ってほしいという欲求、さらに自分のことを認めてほしいという欲求があるのだとも思う。いわゆる承認欲求というやつだ。というか人間のほとんどの行動は承認欲求で説明できるかもしれないと思っていて、ならば承認欲求も人間特有の本能だと言えるかもしれない。

私も自分の書いた記事を読んだ人から「おもしろかった」と言われるだけでもうれしいのに、「こんな記事を書けるなんてすごいね」とか「文章上手だね」と数百年に1回ほど褒めてもらえることがあるが、そんな時は承認欲求が満たされまくって、多幸感に包まれてしまう。

そう考えたら仕事で承認欲求を満たせる私は幸せだなとつくづく思う。


そんなこんなで14年。まさかこのポンコツダメ人間がフリーランスのライターとしてこんなに長く生き延びることができようとは全く思っておりませんでした。


まあとにかくフリーランスは止まったら死ぬので、14年目も「前へ」の精神で泥水をすすりながらも匍匐前進していく所存です。
こんな私に仕事をくださる皆様、取材に協力くださる皆様には本当に感謝しかありません。
特にちょい前から始めた私の趣味インタビュー企画にお付き合いいただいた方々には大感謝であります。おかげさまで個人的にも楽しいし、仕事をカンを鈍らせずにすみました。急にドカっと仕事が来てもスムーズに進行できているのも皆様方のおかげであります。ちょっち今身動き取れないのですが、この山を越えたらまた再開するのでしばしお待ちを。

とにかく本当に皆様のおかげで生かされております。ありがとうございます。14年目もよろしくお願い申し上げます。

(っていうか来年15周年目に突入なのか・・・
光陰如箭
少年易老学難成
一寸光陰不可軽

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