2019.01.28函館教育大学韓国語授業資料「福祉言語学」

「福祉言語学」って何?

~「外国ルーツの児童支援」「やさしい日本語」という社会保障の話~

 <やさしい日本語> 

「環境にやさしい」という言葉は、韓国語で「친환경(親環境)」と言います[1]。副詞的に使う時は「的」を付けて、「친환경적」と言います[2]。「地球にやさしい」とか、「目にやさしい」とか、最近は外国人にやさしい日本語、「やさしい日本語」なんてのも登場しました。「外国人にわかりやすい日本語」ということらしいです。阪神淡路大震災の際、「やさしくない日本語」のせいで、外国人が災害情報にアクセスできないことが起きたことを切っ掛けに、社会言語学者とNHKのアナウンサーらが協働して研究したのが始まりです[3]。「外国人にわかりやすい」という観点では、40年位前にすでに、「簡約日本語」[4]という考え方が提唱されていましたが、日本語を簡単にするという点でやっていることは似ていても、「情報弱者の救済」という点で目的が異なっています。阪神淡路大震災が1995年、その後5年を経て、松田陽子・前田理佳子・佐藤和幸(2000)「災害時の外国人に対する情報提供のための日本語表現とその有効性に関する試論」というのが発表されます。初期のやさしい日本語の代表的な資料です。2000年ごろからは災害時の情報提供という観点以外の研究が同時進行し出します。例えば国立国語研究所は、難解用語「外来語」と「病院の言葉」をわかりやすくする提案を行っていたりします。「皆が平等に情報にアクセスできる」ようにしなければいけないという風潮は、「外国人のためのやさしい日本語」だけでなく、「日本語母語話者のためにも」研究されていくのが2000年代(ゼロ年代)なわけです。2010年代(テン年代)以降は、東日本大震災という大きな災害によって、「やさしい日本語」の必要性が益々強調され、さらには、多様性、ダイバシティという言葉が流行し始めると、多文化共生という観点から、

 

(1)初期日本語教育としての公的保障のための<やさしい日本語>

(2)地域社会の共通言語としての<やさしい日本語>

(3)地域型初級としての<やさしい日本語>

<庵功雄(2016:66)「やさしい日本語―多文化共生社会へ」岩波書店より>

 

という、「やさしい日本語」が提唱されます。特に(2)地域社会の共通言語としての「やさしい日本語」は、外国人はもちろん、外国にルーツを持つ子ども、さらには日本語を母語とする人全て(障害者も当然に)含まれているのが特徴的です。難解用語のせいで情報にアクセスできないということは、日本語母語話者にもありうる話ですし、やさしい日本語は私たちの「ことば」として捉えなおさなければならない時代になってきています。

<ウェルフェア・リングイスティクス>

 

日本語がちょっとできる外国人が日本旅行をする時、なんとかわかる程度の文法・語彙のみで書かれていたり話しかけてもらえると日本旅行が楽しくなるよねとか、帰国子女や外国にルーツがある子どもが日本語のみで学校生活を送り日本語を習得する際、必要最低限の文法・語彙をまず学ぶのなら負担にならないよねとか、「やさしい日本語」は今、ツーリズム[5]、子どもの人権保障などにその範囲を広げています。ただ、「やさしい日本語」を「日本人のため」と捉える風潮があまり感じられないことに残念な思いがします。

昨年、NHKの障害者のための情報バラエティ「バリバラ」[6]という番組を見ていたら、知的障害者にもわかりやすいニュースとは何かについて放送していました。知的障害者の中には「読むのが早くて聞き取れない」「むずかしい漢字が多い」「政治のニュースがわからず選挙で困る」という人が多くいるそうです。多分これは、外国人や外国にルーツを持つ人の中でも問題になる事柄です。番組では、実際のニュースを聞いてもらって、当事者がどこで躓くのか、どうすればわかりやすいニュースになるのかをアナウンサーと当事者間で話し合う内容でした。私は、「これって『やさしい日本語』だよなぁ」と思いました。そして、特別支援教育や障害者支援を勉強する学生と、日本語教師を目指す学生が共に学びあえる場があれば、もっといいなあとも感じました。やってることが一緒なのですから。

「やっていることが一緒」で思い出しましたが、昨年認知症サポーター(認知症の人を理解しサポートする人)の研修を受けた時、見た動画の内容が、「ゴミ出しの曜日を間違えてゴミを出した高齢者にどのようにわかりやすく言葉をかけるか」「コンビニでお金を出すのに苦労している高齢者に、どのようにわかりやすく言葉をかけるか」というものでした。「ゴミの出し方を教える」とか「お金の支払い方に対する「やさしい日本語」」って、「あれ、地域定住外国人に対してボランティアがやってることと同じじゃん」って感想を持ってしまいました。

高齢者、知的障害者と外国人を一緒にするとはけしからんという反論を言う人がいるのは確かだと思います(実際こういう話を地域日本語ボランティアの研修会で話したりすると難色を示す人がいます。外国人は障害者じゃない!という反応と、私たちは障害者支援をしているわけじゃないという反応が大半です)。だけど、「やさしい日本語」や日本語教育ボランティアの観点によって、外国人を含め、地域に住む人皆が便利だねと言える世の中になっていく(そもそもバリアフリー、ユニバーサルという概念はそういうものでありますが)というのはとても良いことなはずです。

言語教育でも一緒です。言語教育では、「話す」「聞く」「書く」「読む」という4技能ができるようになるための指導法を研究したりします。これらの研究は大抵、『健常者』を対象としています。だから、知的な障害がないことが前提で、口や舌の形が正常で、耳も正常に聞こえ、目が見え、手と指の関節が動かせる人が対象ということです。そして、このような人を対象に考える研究では、「発音が下手なのは練習が足りないからだ(そもそも舌が短いとか身体的な特徴も関与します)」とか、「聞けないと話せない(難聴者の中には、死に物狂いで練習し健常者と同じように発音できるようになる人もいます)」とか、「見えないと読めない(点字も「読む」の内に入りますし、盲学校では、点字で英語の授業をしていたりします)」とか、障害者側からすれば「何言ってるの?」というような言説をばら撒いていたりします。このように考えると、言語教育は、「人が言葉を獲得する」という実像をとらえられないまま何十年も地道に研究しているんだなぁと思います。

私はなぜ今のいままで、このような人たちと共に言語教育を考えてこなかったのだろうと不思議に思ったりもします。もし、本当の意味で「人」に焦点をあてた言語教育研究を発想できていたなら、様々な分野が協力し合って、もっと人としての実像に近い、「人のためになる」言語学が確立していたんじゃないかと。そう思ってたら、もう既に、「人のためになる」言語学という言葉がありました。「ウェルフェア・リングイスティクス」というそうです。つい先週この言葉を見つけました(2019年1月23日のことです)。徳川宗賢とJ.V.ネウストプニーが対談の中で用いた言葉です[7]。お二方はもう亡くなられていて、どうやら、この「ウェルフェア・リングイスティクス」は、今それほど研究されていないようです。「福祉言語学」とも訳されるこの分野は、提唱者が亡き今、「福祉言語学とは何か?」を提唱者の言説を紡ぎ紡ぎ考えていかなければならない分野です。ちょっと面倒くさそうな分野です。だから、もう誰も手を付けない分野かもしれません。しかし、「やさしい日本語」が社会保障となりつつある現代において、「人のためになる言語学」という「ウェルフェア・リングイスティクス」とは何なのかを再考しても良いなと思います。私自身、先週出会ったばかりの言葉なので、何をどうしろという話まではできないのですが、学術分野は単独では発展しないと思っています。今やってる勉強に何か物足りなさを感じている学生は、「ウェルフェア・リングイスティクス」について調べてみてもいいかもしれません。すると、国際協働で言語教育をする学生も、地域政策でまちづくりを学ぶ学生も、地域教育で特別支援を学ぶ学生も、地域環境で環境デザインを学ぶ学生も共同で学べる場が作れるような気がするのです。

 

スペースが余っちゃったので、話は全然関係ないのですが、「自分の関心分野じゃないところから着想が得られるよという話」から、大学生が聞いたらいいんじゃないかなと思う私のオススメのポッドキャスト、ラジオクラウドを紹介しておきます。(今回の話とは全く関係ないので申し訳ないですが)

사부작(사이 좋게 북한 친구와 함께하는 작은 밥상)

*ポットキャスト

オール韓国語ですが、毎回20分くらいの内容です。

大学生が作るラジオ番組で、「脱北者」をゲストに呼んで、脱北者についていろいろ聞いていきます。韓国には今3万人を超える脱北者が住んでいます。韓国語を学んでいる学生の中には将来、脱北者と出会う人もいるでしょう。脱北者理解のためにも聞いておくといいかもしれません。

バイリンガルニュース

*ポッドキャスト

「あまり報道されない変わったニュース」をネタに、日本人の女性が日本語で、アメリカ人の男性二人が英語であれこれ語り合う番組です。英語の勉強にもいいですし、暇な時聞き流しても面白いかもしれません。スクリプトも公開されています。たまに出演するゲストも多様です。

文化系トークラジオ

「Life」

 

*TBSラジオクラウド

二ヶ月に一度TBSラジオで放送される、社会学者、哲学者、作家などの雑談です。この3年間の放送では、

2018/08/26「そのコトにプレミアム料金を払いますか? 〜課金化する社会のゆくえ」」

2017/08/27「Life貨幣論~お金について本気出して考えてみた」

2016/04/24「いま”大学のコストパフォーマンス”を考える」

というテーマがありました。たぶんまだクラウドで聞くことができます。

アフター6ジャンクション

 

*TBSラジオクラウド

扱うテーマは多義にわたりますが、本が好きな人、映画が好きな人は絶対聞いたほうがいいと思います。あと社会学が好きな人。言語関連では、各出版社の国語辞典はどんな特徴があるのか?移民関連では、日本語ラップをする外国ルーツのラッパーに焦点を当てた、「日本語ラップと移民」という内容がありました。

野澤和弘編著(2016:3-5)「障害者のリアル×東大生のリアル」ぶどう社より

 

東大生ってなんかおかしい、そう感じ始めたのは入学したばかりのころだったと思う。

東大では、四月初めに新入生向けのサークルオリエンテーションがある。様々なサークルや部活動が教室にブースを出し、新入生に説明をする。人だかりができるのはテニスサークルや国際系の学生団体が集まる教室だ。

長い受験勉強の末に東京大学に合格した新入生は、後から思い返すと恥ずかしいくらい全能感に満ちあふれていて、そのうちの一定数は国際系学生団体に集まってくる。世界の深刻な貧困や紛争問題に心を痛め、英語でバリバリ議論することや、「グローバル」「国際」といった言葉の持つかっこよさに無意識のうちに惹かれるのだ。まるで人気が少なくて、がらんとしていたのは、福祉系のサークルが集う教室だった。

私にはダウン症という知的障害のある六つ下の弟がいて、なんとなく福祉系サークルが気になり、のぞいてみた。手話を学ぶサークル、点字を学ぶサークル、脳性麻痺の人の介護のボランティアをするサークル・・・どれもしっくりこなかった。私はなんだか息苦しくなってその教室を立ち去ってしまった。

アフリカの貧困を考えるのは大人気で、国内の障害者のことを考えるのは不人気なのはなぜなのか。きっとそれは差別とかではなく、障害のある人たちの抱える大変さに無関心なわけでもないと思う。「障害のある人を差別してはいけない」「障害のある人に対して配慮やサポートをしなければならない」という絶対命題に辟易し、無意識のうちに腫れ物のように遠ざけてしまっているからではないだろうか。

そしてもう一つ。東大には、「福祉=自分たちが関わる分野ではない」といった意識があるのだろう。福祉分野で活躍してもかっこいいとは思わない。知的好奇心をかきたてられる分野でもない。

身近なところにいる障害者を敬遠し、アフリカの貧困に飛びつく額絵師が多いということに対して、悲しいとか心が痛むとかは思わなかったが、もうこういう空気を感じるの嫌だ、とても嫌だと思った。なぜ、「障害」という言葉や存在は人々から敬遠されなければいけないのだろう。なんで腫れ物のように扱われなければいけないんだろう。

東大生たちが障害者に目を向けるようになったら。「福祉」系のサークルが集まる教室が、柔軟な頭と高い感受性と強い意志をもった新入生であふれたら・・・。東大で障害者問題をメージャー化しよう、そう思った。

 



[1] 余談ですが、2019年の韓国トレンドに「필환경(必環境)」というのがあります。「これからは環境保護は急務な問題で、中国へのごみ輸出はストップされた今、ごみを出さないというのは当たり前、地球に優しくとかなんとかいってられない、もう『必(ず)環境(保護)に努めなければいけない』」という意味らしいです。

[2] 本当に余談ですが、先日の2019年センター試験韓国語の問題文に「열섬현상(熱島現象)」というのが出てきて、「何だこの4字熟語は!」と思ったんですが、意味は「ヒートアイランド現象」でした。

[3] 庵功雄(2016)「やさしい日本語―多文化共生社会へ」岩波書店

[4] http://www2.ninjal.ac.jp/nkanyaku/000269.html

[5] 東京オリンピック・パラリンピック準備局では「やさしい日本語」を使えるようになりましょうって宣伝していますよね。

[6] NHK「バリバラ」(4月22日放送)。バリバラはNHKの尖がった姿勢がもろに出ていて面白いです。特に、日本テレビの24時間テレビを放送する時には、裏番組で障害者当事者が「24時間テレビの当てつけ」をやったりして、すごい番組内容になっています。

[7] https://www.jstage.jst.go.jp/article/jajls/2/1/2_KJ00008439740/_pdf/-char/ja

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