2020.10.05函館教育大学韓国語授業資料「大学とは何か」

1.大学とは何か?

 皆さんが今通っている場所は何ですか?大学ですね。そんなわかりきったこと聞くなんて馬鹿にしてるのか!と怒られそうですが、では、大学とは何でしょうか?ソウル大消費者学科の教授キム・ナンドはこう言っています。

 -大学は単純に知識を伝達する機関ではない。高等学校よりさらに難しい内容を教える教育機関程度ではないということだ。大学が他の教育機関と本質的に違う点は、新しい学問的真理を探究する「研究」を遂行することにある。-(筆者翻訳)

 김난도(2010:284)「아프니까 청춘이다」,쌤앤퍼커스

 大学が「研究機関」だって皆さん知ってました?私は恥ずかしながら、大学生の頃知りませんでした。27歳になって韓国の大学院で韓国語教育を勉強するようになってようやく「大学、大学院というのは研究機関だったのか」と知ることになりました。ですから、いわゆる「教授」と呼ばれる人の大半が「研究者」で、自分の研究を弟子に手伝わせながら研究法を伝承したり、「講座」というものが研究者の研究テーマ、研究成果を披露する場なのだということは後から知りました。もちろん、文科省からは「教育をちゃんとしなさい」という決まり事があるので、大学で教える人は「大学教員」という役割もしっかり担っています。学生は卒業するためには、単位を取らなければ(授業を受けなければ)なりません。ただ、この大学教員の中には、私のように「非常勤講師」という人もいて、必ずしも大学で研究している人ばかりではありません。教授職や専任講師の立場だと、年間に何本論文を書きなさいとか、研究成果を発表しなさいとか条件が付きますが、非常勤講師の場合は授業をすると(自動的に?)給与がでます。時給ですから、言ってしまえば「アルバイト」です。そして、そのアルバイトができる条件も様々なので、大学院を出てるとか、研究成果があるとかいう人もいれば、専攻じゃないけどとりあえず知識はあるので講師をしているという人もいます。

私の場合、大学院は韓国の修士に行って単位も全て取ったのですが、結局卒論を書かなかったので卒業はできていません。韓国語教える資格は一応韓国の国家資格に「韓国語教員」という資格があるので、それを持っているのと、韓国で韓国語教師養成課程を修了したってくらいです。だから、「研究者」という肩書は持っていません。「バイト」です。

でも、バイトだからと言って適当に教えようと思っているわけではありません。皆さんが大学という場所で、研究とは何か、大学で学ぶとは何かを感じ取ってもらえるような授業を作りたいと思っています。特に、この授業は1年生の受講生が多いので、学問に興味を持ってもらい、それを追窮する姿勢を育んでほしいなと思っています。研究者じゃないけど。

2.この大学では韓国語は研究できない

ところで皆さんは、この大学に何の「研究」をしに来たのでしょうか?「日本語教育を学びたい」とか、「まちづくりについて学びたい」とか、大まかな目標があって、この大学に進学したと思います。もしかしたら、自分の成績に合わせたという人もいるかもしれません。でも、「この教授に指導を受けたい」と思って進学を決めたという人は珍しいのではないでしょうか(ちなみに私は大学院「入院」を教授で決めました。「入院時」27歳というある程度の年齢だったのもありますが)。皆さんはこの先、研究テーマを選んで、教授のもとで指導を受けることになるわけですが、教授の研究テーマと自分が研究したいことが大体一致するようにしておかないと、教授の方も十分に指導できなくなってしまいますし、学ぶ皆さんも十分に学べなくなってしまいます。例えば、この大学では「韓国語(教育)専攻」の教授はいませんので、韓国語をテーマにした研究は非常にしにくいと思います。もちろん韓国人のネイティブの教授はいらっしゃるので、韓国語についてあれこれ尋ねることはできますが、その教授のもとで韓国語研究はできません。韓国語(教育)を大学で研究したいのであれば、韓国の大学で学ぶとか、東京外大、大阪大外国語学部を再受験するとかしないといけません(韓国語母語話者を対象にした日本語教育というのであれば研究可能だと思います)。まだ研究テーマが決まっていないとか、この教授に指導を受けたいなとか、そういう人は、「この大学でどんな研究ができるのか」または、「できないのか」に焦点を当てながら、いろんな授業を受けてみてください。

3.大学で何をすればいいのか?

といっても、「大学が研究機関だって初めて知ったよ!」とか、「韓国語の授業があるから、韓国語専攻の教授もいると思っていたよ!」と、初めて気づいたという人(がもしいればですが)に、「この大学でどんな研究ができるのかを探して」と言っても難しいと思います。実際、私は大学4年間、大学が研究機関だということも知らず、指導教授の研究テーマについて深く考えず、大学でどんな研究ができるのかもわからずに過ごしてしまいました。最悪、単位取ることを目標に生きていても卒業はできてしまいますからね。でも、そんな私がなぜこんな話をしているかというと、大学が研究機関だってことを知っていれば、もう少し、いやものすごく大学生活が有意義なものになったと後悔しているからです。

「この大学でどんな研究ができるのかを探す」ためにどうすればよいのかですが、まず、気になる教授の論文を読んでみるというのも一つの手です。研究者プロフィールに研究テーマと執筆した論文が掲載されています[1]。論文には、参考文献というのが書かれているので[2]、さらに似たようなテーマで掘り下げていってみるといいと思います。このテーマ面白そうだなと思ったら、それをキーワードにググったり、CINIIなどで論文検索してみると、他にも似たようなテーマで書かれた文献が検索できると思います。研究論文を読むのは意外と面白いです。

あと、先生たちが参考にしている逆の意見を持つ人たちの文献を漁ってみるという手もあります。授業で聞いている内容がどうも納得できない、自分は違うけどなあ、と反対意見が浮かんでくるかもしれません。腑に落ちなかったり、理解しがたかったりする授業は興味がもてなかったりするかもしれませんが、「自分は反対にこう思う」という主張が言えるとしたらどうでしょう。つまらないと思う授業にも少し興味が湧いてきませんか。

大学は研究機関と上で述べました。小中高までの明らかに違う点はここにあります。研究というのは、「すでにある答え」を求めることではありません。キム・ナンド先生も言っている通り「新しい学問的真理を探究する」ことです。先生の言っていること、本に書いてあることと反対の答えを求めたとしても、それが「新しい学問的真理[3]」であれば、評価に値するのです。本来研究と言うのは、「先生はこう言っておけば良はくれるだろう」とか、「世間一般的にこう述べるのが無難だ」という基準で為営するものではありません。あくまでも、新しい学問的真理の探究です。

先生の言ったことと反対の意見を言えるって、結構楽しいものじゃないでしょうか。先生に「あんた間違ってるよ」と、直接言うのはどうかと思いますが、レポートで、「~という意見もあるが、必ずしもそうとは限らない。例えば〇〇によると、~」と、「根拠のある[4]」反対の意見を書いて先生を驚かせるなんてできれば、それはそれで素敵だと思います(ただ、全ての先生が私と同じ考えではないので、担当する先生にしっかりと、どういう基準で評価するのかを尋ねておいてから書きましょう)。

4.答えのない問題に取り組む場としての大学

話が長くなっていますが、まとめに入ります。結局、授業を担当する先生の言われた通りのことをするのもいいのですが、せっかく「大学という研究機関」に来たのだから、先生の言われたこと以外の事、それ以上のことをしてみてもいいわけです(先生の授業、研究テーマの範囲内ということですが)。

先日、ネットを見ていたら、大森武という人の「感じる科学、味わう数学」というブログに次のような表が書かれていました[5]

1.一人で何も見ずに誰とも相談せずに ⇔ みんなで力を合わせて

2.すでに身につけたものだけを使って ⇔ 調べたり新しい知見を取り込んだりしながら

3.答えのある問題に取り組んで    ⇔ 答えのない問題に取り組んで

4.限られた時間内に         ⇔ たっぷり時間をかけて

5.出題者が用意した答えを再現するのが⇔ まだ見ぬ新しいものを創っていくのが

これは試験と仕事の違いですが、仕事を「学び」「研究」と置き換えてもいいと思います。「みんなで力を合わせて(宿題を書き写したり、休校情報を共有したりするだけでなく)、調べたり新しい知見を取り込んだりしながら(フェイクニュースにはだまされないで!)、答えのない問題に取り組んで(といっても、結論は書いてね)、たっぷり時間をかけて(アルバイトやサークル活動も大事)、まだ見ぬ新しいものを創っていく(車輪の再発明だけは避けて!)」ことが、大学での学びであり、研究だと思います。先生から指示されていなくても、どんどんユニークな(必ずしもウケるとか、笑わせる必要はありません)テーマを見つけて、それを最終的に極めるつもりで、勉強を頑張ってください。そうすれば自然と、どの教授の下で、どんな研究をすればいいかが見えてくると思います。

<今回のオススメ図書>

末永幸歩(2020)「『自分だけの答え』が見つかる13歳からのアート思考」ダイヤモンド社

定まった答えを問題用紙に書くと加点される試験を繰り返す日々を通して、私たちは大学に入学するころには「正しい答え」を探す職人になっていたりする。答えのない問題に取り組んで解決することが『生きる力だ』とか言いながら、社会は問題を拡大させまいと社会問題はできるだけ見えないことに、なかったことにしようと忙しい。問題を問題だと思わない世の中で、問題をほじくり返したり、本音を言うことに疲れてしまうこともしばしばだ。しかし、それが世界の沈黙になり、静寂をもたらす。

この本は「大人」になって見えなくなってしまうものを、もう一度映し出してくれる。実は、「自分なりの答え」「自分なりのものの見方」を持つ人のほうが、現実世界を見ているのだと。本書は問う。

「誰かに頼まれた『花』ばかりをつくってはいないか」

「『探究の根』を伸ばすことを途中で諦めていないか」

「自分の内側にあったはずの『興味のタネ』を放置していないか」

世界はもっといろんな言語が飛び交って、「様々な答え」で、にぎやかであっていいはずだ。


[1] 私はバイトなので、学内公式プロフィールはありませんが、一応2005年から2011年まで韓国で日本語教師をしていて、2008年から2011年までソウル大学師範大学院国語教育科韓国語教育専攻というところで学びました。韓国語で書いた研究論文が一つあります。気になる方には差し上げます。韓国語教員資格と社会福祉士の資格を持っています。ちなみに大学時代の専攻は情報工学です。

[2] 参考文献とは、要は先生たちが参考にしている文献、つまり、先生たちが学んだ文献=先生の先生みたいなものです。

[3] もちろん、真理からずれていたり、「新しい発見だ!」と思っても、すでに何百年も前の人が同じことを言っている可能性もあります。「新たな発見だ!」と思ってたらすでにあるものだったということを「車輪の再発明」とかいうらしいですが、そうならないために、科学史を勉強したり、先行研究を探したり、先生の話を聞く。大学での授業の位置づけは、研究のための下準備をするためであって、皆さんをふるいにかけ成績順に分けるとか、試験を受けさせるための準備をするというものではない、と私は思っています。

[4] 根拠がないと信頼が落ちるので、必ず根拠を持たせましょう。

[5] 大森武「コチャン高校(韓国)の職業選択十戒」『感じる科学、味わう数学』2019年2月21日付の記事(引用日時:2020.09.25)< https://ameblo.jp/omori55/entry-12546568264.html>


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