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AI自動翻訳の技術進歩に対するアホみたいな妄想

いやー、翻訳技術の進歩ってスゴいですよね。近い未来にはマジでこの動画みたいな世界観が実現しちゃうんじゃないでしょうかと思うぐらい。この先、自動翻訳ってどう技術革新が進んでいくんでしょうね?、今日はそんなテーマに対する妄想です。ええ、ただの妄想です。どうしようもないぐらいの妄想を繰り広げます。


なんでこんな妄想をするかというと、「技術の進んでいく方向」に対して「社会の要請する規制」が生まれてきていて、その「規制の範囲外の社会」も同時に存在するなぁと感じたことがキッカケなのです。良いor悪いの二元論で捉えるのではなく、この構図で世界が進んでいくと何が起こるんだろ?と妄想してみたくなったのです。妄想した先に描いた未来は、中々のディストピアでした。

ちなみに僕はAI自動翻訳の技術動向にも、EU諸国の個人情報規制の流れも、各国の政治動態にも、スタートアップ勃興の潮流にも、なーーーーーーんにも、一切詳しくはありません。マジで。たぶん、この分野あたりが関連するんだろうなーとアタリはつけながらも、その分野についての知識がないので要素としてはスカスカです。

なので、マジで妄想です。ここからのテキストの随所に妄想と入るのはその言い訳です。つまりフィクションです。それを踏まえてご覧ください。


■自動翻訳の技術革新と、個人情報保護の潮流は対立軸かもしれない


僕の持っているAI自動翻訳に対する知識って「DeepLすげー」ってぐらいの、浅瀬の浅瀬で水遊びしているレベルです。ポケトークみたいなツールも世の中に出始めてきていますし、スマホでも一定の翻訳機能は備え始めていますね。

このまま技術が進んでいけば最初の動画みたいな世界観も近づいてくるのかな?、と思ったのですが、この流れにブレーキをかけそうな流れもありますよね。EUでは個人情報の保護に対する潮流が強く、その規制によって多くの国家や企業の個人情報保護のあり方が問われるような状況にもなっているようです。

少し前にはスマホの音声データが利用者の同意なしに収集されているなんてショッキングな報道もありました。ユーザーとしては勝手に自分の音声データを収集されるなんて何をされるか分からない怖さがある。だから個人情報を守ろうとする方向に進むのは至極当然な流れです。

一方で、翻訳技術の進歩には圧倒的なデータ量が必要になるのでしょう。もしかしたらそんな背景があって、僕らの音声は勝手に収集されているのかもしれません。収集を規制する方向に動くことは、技術革新に必要なビッグデータを集めにくくする状況になるでしょう。今後も音声自動翻訳の技術革新は進みながら、一定レベルまでくると進歩の速度が緩むのかもしれませんね。

これは、「良い・悪い」「好ましい・不快だ」といった二元論から離れて、ただ規制と技術革新の関係性を考えてみることから妄想される状況です。もちろん、自分の感情もすっ飛ばして考えていますよ。

もしかするとこの両者はシステム思考が言うところの「バランス型ループ」をもたらしているのかもしれません。

革新しようとする技術側の挙動に対して、そうさせないとする規制側の挙動につながる。両者は一定のレベルで釣り合いが取れるような挙動をし合い、技術革新の速度が緩むのかもしれません。


■規制する社会・規制しない社会の2つが存在する


技術革新と規制がお互いに牽制し合い、世界中でその流れが緩やかになるのだろうか。と思いきや、そうはならないんじゃないかと妄想しちゃうんですよね。

だって、世界中がEU的世界観で動いているわけじゃない。特にその目指す方向性が「圧力」になってしまうと、そのカウンターとしての「抵抗力」も増えちゃうわけじゃないですか。

EU的な価値観に沿ってEU的な社会が情報の取得にブレーキをかけるとすれば、EU的な価値観が影響を及ぼす社会においては技術革新が緩やかになるんでしょう。でも、逆にEU的な価値観の影響が少ない社会においては相変わらず規制が為されないため、技術革新がどんどん進んでいくことだって考えられますよね。

もし、特定の国家が国策レベルで自動翻訳技術の向上のための個人情報収集に力を入れだしたら何が起こるんでしょうね。

片方はEU的な価値観で個人情報の保護は進むが、技術革新はスローになっている社会。片方はEUの対局にある価値観で個人情報の保護の概念は薄いが、技術革新がゴリゴリと進む社会。うーむ。

こうなると、あるタイミングから完全に技術革新については差が出来始めるんじゃないだろうかと想像しちゃうんですよね。「個人情報保護なんて知ったこっちゃねぇ社会」ではギュンギュンと技術革新が進む、しかも場合によっては国が主導してこの流れを加速させる。すると、技術はますます進歩して、個人情報保護の社会からは到底追いつけないレベルの自動翻訳技術が生まれる。うーむ。


■自動翻訳技術の行き着く世界はどんなモノ?


最終的に翻訳技術ってどこまで行き着いたらゴールなんだろう?って考えてみたことがあります。

いまでもキレイな表現であればソコソコの翻訳は出来てしまいますよね。ただ、キレイな言葉を使うのって限界があって、それは個人の力量の世界になってしまう。技術が乗り越えようとする壁は、まさにココな気がするんですよね。

行き着くところまで行き着くと、きっと「個人の文脈」に沿った翻訳が出来ちゃうんじゃないかなぁと思うんですよね。

同じ言葉を聞いても人それぞれの意味・認識はちょっとずつ異なるはずなんです。僕が「価値観」ってワードを使うときに込める意味と、この投稿を読んでいただいているあなたが使う「価値観」ってワードの間には、きっと重なっている部分とズレている部分があるはずなんです。

人は誰しもが、自分だけのモノの見方をするフィルターを持っています。そのフィルターはインプットのときとアウトプットのときと、それぞれで作用します。ある言葉をどんな意味として受け取ったのか、発した言葉はどんな意味から放たれたのか、これはマジで人ぞれぞれ。

だからコミュニケーションって難しいんです。同じ言葉であっても受け取り方が異なるから、微細なズレが出る。でもその微細なズレは認識されないまま流されてしまう。それがミスコミュニケーションを起こす引き金になる。

同じ言語を使っている人同士であってもコレです。異なる言語にある相手と対話しようと思っても、そりゃコミュニケーションはなかなかうまくはいかない。言語の背景には、それぞれのフィルターを形成する文化も影響していますしね。

でも、もし自動翻訳技術が行き着くところまで行き着くと、「個人の文脈」を「相手の文脈」に変換したカタチでの翻訳ができてしまうかもしれない。そこまでいけば、世界中の異なる言語・文化を持つ相手とフラットにコミュニケーションが取れるようになってしまうんです。

しかし、どうやって「個人の文脈」を翻訳しましょうかね。「たくさんの人」からデータを集めたとて、完全に個人に一致する文脈を拾い上げるのは難しそうな気もしますけどね。

コレが「個人情報保護なんて知ったこっちゃねぇ社会」だったら実現できちゃうかもしれないですよねぇ。

「個人の文脈」は個人の行動にしか現れない。でも、個人の行動を追いかけ続けていれば、そのクセや思考は読み取れるのかもしれない。仮に、ずーっと僕が発している言葉を全て収集されているとしたら、「僕の文脈」はとっくにAIによって分析できているのかもしれません。

で、「僕の文脈」に沿った翻訳をしてくれるなら、AI自動翻訳は他言語を使う人とのコミュニケーションだけでなく、同じ言語を使う人同士でも使われちゃうかもしれないんですよねぇ。同じ言語を使っているからこそ、一つの言葉に対する「認識の違い」には気づきにくくなる。結果、ミスコミュニケーションが起こりやすくなる。

そんな状況を防いでくれるのだとしたら、AI自動翻訳を使わない手はないって世の中の流れになっちゃうかもしれないですよね。当然「使う派」と「使わない派」の対立も起こるんですが、利便性に対する認識による価値観の変化や、社会制度が利便性を基準に組み替えられていくことで「使わない派」は徐々に勢いを失っていく。

個人情報を完全に個人のモノから切り離してしまう社会では、実はトンでもないレベルの自導翻訳技術が実現できてしまうかもしれないんです。重ねてお伝えしますが、ここでは「良い・悪い」「好ましい・不快だ」といった思考からは離れて妄想していますよ。それはお忘れなきよう。

仮に未来で、そんな「激しい自動翻訳技術」をある社会が生んだとしましょう。一方で、個人情報を守り続けていた社会も存在するのですが、そこでは翻訳技術の向上はそこまで大きくありません。

さてこの状況になったときに何が起こるんでしょうね。どんどん妄想していきましょうね。皆さんも妄想してみましょうね。

おそらく「激しい自動翻訳技術のある社会」はコミュニケーションの世界でアドバンテージを握ります。他の世界にもジワジワなのか、一気になのかは分かりませんが浸食してくる。すると、コレまで個人情報を守っていた社会でも、別の価値観側からの要請で規制緩和せざるを得なくなってくるかもしれませんよね。経済側が求めるのか、文化側が求めるのかは分かりません。

ただ、「手段としてのおぞましさ」を完全に横に置いておくとするならば、「個人の文脈に沿った翻訳」はとてつもない価値として個人情報を保護していた社会にも浸透してくる。そして、実際に「激しい自導翻訳のある社会」に触れた人・近くにいる人から価値観の変化が起こりだす。価値観の変化はやがてムーブメントになり、社会体制を変えるに至る・・・かもしれないわけです。

その利便性に抗えるのだろうか?とも思いますよね。結果、個人情報を保護していた社会はその保護する意義を失い、技術でも気づけば遅れをとる。そんな状況になっちゃったり?。なんて妄想です。


■想像すること、決めること


なかなか、妄想の果てにヤバい世界観へ辿り着いてしまいました。ユートピアの背後にあるディストピアみたいな、なんとも言えない世界ですねぇ。

ならどうする?って、ちょっと考えるのが難しい。ここでようやく僕個人の心情を表明しますが、「勘弁してくれ」ですよ。そういう意味ではEU的な世界観に近い位置に立っているとも言えます。

しかし、その世界観を「圧力」にして世界を塗り潰そうとするとき、きっと「抵抗力」が現れるということは忘れないでおきたいんですよね。

そもそも個人情報保護の流れはインターネット社会の広まりに対して発生したカウンターとしての現象ですよね。目の前で起こる問題に対しての解決策だったわけです。ただ、今回の妄想のようにその解決策が別の問題を招くことも当然考えられるわけです。

個人情報保護の流れにもカウンターが発生することも起こりうる。その結果、行き着く先はもしかしたらディストピアかもしれない。解決に向けた行動を「潰す圧力」に変換しすぎると対立が起こるのはよく見た光景ですよね。

僕らの住む社会が「一つの価値観」のもとに成り立っているのならメチャクチャ楽ですが、僕らはハイパーウルトラスーパー多様性の世界に生きているわけで、その複雑な作用はなかなか予見しようがないんですけどね。

まぁ、こんな妄想は現実にならないと思いますよ。だって、妄想で採用している「因子」が少なすぎるわけですから。

そもそも今回の妄想は「自動翻訳どう進化するんだろー?」って疑問を出発点にしていました。その次に「個人情報保護の流れって影響あるかもなぁ」という因子を追加してみて、さらに「保護しようとする社会とそうじゃない社会があるだろうなぁ」という因子も追加しただけの状態です。

だから、この妄想はたった3つの要素だけで想像した世界観です。

・AI自動翻訳は今後も技術革新が進む
・個人情報保護に対する動き・規制がEUで強め
・政治体制によって規制の方向性はまちまち

たったコレだけですからね。現実はもっと複雑な因子が絡み合うわけです。


さてさて、なんだか暗くなって終わりそうなんですが、それだけが言いたいわけじゃないんです。

たった3つの因子だけであっても、世界を広く捉えることと時間の経過を踏まえることで、どんな挙動が起こるのだろう?と妄想を広げていくことができます。当然、因子は増やそうと思えばいつまでも増やせる、その作業にキリなんてありません。

でも、どこかの段階で「決める」ことはできると思うんですよね。自分たちは果たしてどうありたいのか、そのために何をするのか、しかしその行動はどんな影響をもたらすのか。そこに自己決定性がある。

ここで、決めるにあたって自分の決断がどう社会に影響を及ぼすか、そこを「想像する」ことは忘れないようにしたい。想像したうえで、どうありたいのかを必死こいて対話する。どんな社会でありたいのかも必死こいて対話する。その連続なのかなと思うのです。

圧力で相手を塗りつぶすようなアプローチは、きっと抵抗力を強めてしまう。そもそも自分が「コレが解決策だ」と思うものを実行した先に、どんな社会が待っているのかも様々な因子から想像しなきゃですよね。

いつだって世界と僕らは繋がっている。それは時間差で思わぬ影響をもたらすこともある。しかしそんな世界で僕らは主体的にどうありたいのかを突き詰めて行動する。この両方はシステム思考とアート思考の反復横跳びと言えるのかもしれませんね。

僕もまだまだその領域については学ぶことがたくさん。今日も学んで、そして決めようと思うのです。何にも実りない妄想だったかもしれませんが、まぁ妄想なのでそんなモノだと諦めてください。でも、僕は自分の「あり方」にいま一度目を向けようと思いました。うん。

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