06価値観の融合

ピンクローター風鈴【まったく異なる価値観が交差することで生まれるものとは】

ヒドいタイトルである。まさかの融合である。

とてつもないコラボレーション。奇跡のセッション。阿鼻叫喚のデュエット。


これ、私が10年前ぐらいに作ったアート作品という名の思考実験(兼 悪ノリ)なのです。思考実験を建前にした、只の悪ノリと言っても差し支えないかもしれません。

しかし、この作品を作ったときに考えていたモノゴトに対する考え方は、現代社会のビジネスにおいて新たな価値を創出する方法の一つとして認知されています。ピンクローター風鈴が、です。

いやぁ、ピンクローターの立場でも、風鈴の立場でも、まさかお互いに引っ付けられるとは思わなかったはず。


ピ「え、ボクが風鈴と!?、なんで!?、ボクに清涼感や季節感なんてカケラもないよ!」

風「え、ワタシがピンクローターと!?、なんで!?、用途もシーンも全然違うはずだよ!」



01.ありえない価値観が交錯した産物【ピンクローター風鈴】


写真を見ていただければ分かるとおり、これは実際に制作してしまった産物なのです。

もう10年以上前、私がとあるグループ展にアート作品を出展したときの作品です。このグループ展のテーマは「CROSS」という言葉でした。

このテーマを受けたとき、私には「決して交わらない二つの価値観」が交わったときに、そこでは一体どんな化学反応が起こるのだろう、という興味と、その思考実験にトライしてみたいという欲求が沸いたのです。

ひとつ、風流・清涼感の象徴としての「風鈴」

ひとつ、エロの象徴としての「ピンクローター」

求められる役割が全く異なるこの両者を組み合わせたとき、何が起こるのか、どんな音色を奏でるのか、という思考実験でした。

当時、25歳ぐらいだったと思います。思春期の中学生がそのまま大人になったような立居振舞の私は、言葉はイッチョマエに理由をつけ、実態は只の悪ノリであった行為に手を染めることになりました。

それから10年経ったいま、この作品のことを思い出してわざわざ引っ張り出す私は、思春期を20年以上引っ張っているような現役戦士なのかもしれません。(これでも2児の父という驚き)


さて、出来上がったものが、こちらです。再度の提示となりますが、ご査収くださいませ。

画像1


ちなみに、同じ形状の風鈴を5つ作りました。よって、ピンクローターも同じモノを5つ同時に購入しました。梅田の信長書店で、ギリギリ5つ同じモノがあったピンクローターを、少しドキドキしながら買ったことを覚えています。

この絵面を見て、あなたは何を思うでしょうか。端的に申し上げて、「ヒドい」と思うかもしれませんね。真っ当な感性です。


ちりんちりん・・・という清涼感あふれる風鈴の音色

ぶいーん・・・というピンクローターの振動音

決して交わらない二つの音色

そこは、まさにカオス。


グループ展の会場のなかで、コイツの放つ異臭(悪臭と言ってもよい)のヒドいことヒドいこと。

「何が起こるか」という興味は、結果としては「何も起こらなかった」と言わざるを得ないものだったのです。

そもそも、なぜ風鈴を苔で覆ったのか、当時の意図が思い出せません。まさか風流=苔だろうとう短絡的な意図ではないだろうとは思うのですが、何かを思いついてしまったのか、それとも明確な意図があったのか、今となっては思い出せないのです。

ただ、風流を代表するアイテムたる「風鈴」と、風流とは並べ語られることのないエロの象徴たる「ピンクローター」を交差させてみたいと感じた衝動。その衝動を、素直に表現してしまった結果が、この体たらくです。

しかし、今から振り返ってみても、このような「ありえない二点間を繋ぎ合わせる」衝動は、今でも私のビジネスの基本線・行動原理の一つになっています。そして、この行為は現代においては「イノベーション」の源泉の一つとも言われています。


02.異なる分野が交差することによる価値創造と、実現できる人材とは


社会に新たな価値観をもたらすアイデアとは、既存の価値観を「組み合わせた」ものであることが大半です。アイデアとは完全にゼロから新たな価値を生み出すわけではなく、今まで気づかれていなかった分野間の結合によるものが多いことは既知でしょう。

新たな価値観が生まれるかどうか、「イノベーション」と呼ばれる事象が発生するかどうか、これらの多くは、今まで交わらなかったジャンルを交わらせ、いかに社会に対する価値を提示できるかにかかっています。

このような社会であるからこそ、一つの分野に固執するのではなく、複数分野を横断し価値を創出できる人材も求められています。

例えば、二点間の分野を掘り下げたうえで、その価値を繋げることが期待されるH型人材。例えば、一つのジャンルを専門分野として掘り下げるのではなく、二つの分野を掘り下げることで価値創造に繋げることのできる人材を育てるダブルメジャー教育。

これらは、一つの分野を掘り下げる職人的専門性では、新たな価値の創造には繋がらないという社会の気付きが生み出した仕組みなのかもしれません。

そう、私たちには既存の価値観同士を組み合わせて、新たな価値観を生み出す営みが期待されているのです。


03.単に組み合わせるだけでは、社会に刺さらない


しかし、この作業は案外難しい。そして、既存の価値観を組み合わせたからといって現代社会に受け入れられるかどうかは、もちろん分かりません。どんなに優れた新たな価値であったとしても時代にフィットしていなければ人知れず消え去ってしまいます。

「なぜそれをするのか」というWhyの問いかけが重要であることは言うまでもないことですが、「なぜ今なのか」というWhy Nowの問いかけに対する重要性も、同じように現代では増しています。いくら価値のあるアイデアであっても、その時代で価値が無ければ受け入れられない。

新たな価値観を生み出すことが、一部の天才にのみ許された特別な行為ではなく、多くの一般生活者である私たちも実践する必要がある現代ですが、いきなり「新しい価値をつくれ」「アイデアを生み出せ」というシーンに直面しても、私たちがそれを実現できないことは目に見えています。


04.私たちに必要な思考訓練


成功するための方策には多くのポイントがあるでしょう。そして、その方法論については既に様々な手法が語られています。その中でも重要であり、私たちが普段から意識できるのは「試行回数を増やす」という方法論でしょう。

デザイン思考の基本的原理の一つ。試行回数を増やし、小さな失敗を増やすことで学んでいくアジャイル型開発という手法は多くの「開発」現場で実践されていることでしょう。「Fail fast, Learn a lot」という言葉も有名ですね。

試行回数を増やすことの価値は既に証明されているのです。であれば、私たちは普段から「価値観を組み合わせる」実験を日常的に繰り返すべきなのでしょう。日常的な訓練から、「組み合わせるコツ」のようなものを体感的に獲得しておけば、いざ「新しいアイデアを」という状況に直面したとしても、既に準備ができているはずでしょう。

とは言え、日常からこの作業を当たり前に行っている人や組織でなければ、なかなか「Fail fast, Learn a lot」を実行することは難しいはず。だって、普通は失敗とは恐いものですもんね、責められることですもんね。そのような文化にある場では、ビジネスの現場においては、中々実践し難い。

しかし、良い逃げ道になる言葉があります。言い訳と表現してもよいかもしれない。

それは、「妄想」という言葉。これは、思考実験に対する免罪符として機能します。

「妄想だから」という枕詞をつけてしまえば、思考実験を行うことに対する「後ろめたさ」など、そこには存在しないはずです。私たちが普段から行うべきなのは「妄想を垂れ流す」ことなのかもしれません。


05.妄想をアウトプットする場


幸いなことに、アウトプットの手段は山ほどある世の中です。noteがある、Twitterがある、Facebookがある。対外的に出したくなければ手帳に書き留めてもよい。そんな妄想をアウトプットする場は、いくらでもあるのです。

ただ、その妄想はカタチにしてアウトプットするべきでしょう。それが人の目に触れるかどうかは、どちらでもよいと思いますが、自身のアタマの外に妄想を垂れ流してみるところまでを、日常的に実践する。

もし、それが誰かの目に触れるものであるならば、もし、あなたが誰かの妄想に触れたのであるならば、「それはありえないだろう」と思ったとしても、少し立ち止まって肯定的な声をかけてほしいと思います。

肯定してくれる人の存在とは、とてつもなく大きな原動力となることがあります。たった一言でもよい、他者の妄想を自分の価値観で捉えるのではなく、前向きに捉えるという作業をしてみるだけ。

もちろん、自分自身が周りに「そうあってほしい」と期待するのであれば、まずは自分自身が「そうあるべき」と振る舞うことが先でしょう。私は、誰かの妄想が前向きな未来を目指す産物である限り、その妄想を肯定する立場を取り続けたいものだと思います。


06.オチはない


という、「組み合わせることで生まれる新たな価値」と「試行回数を増やす意味」から「妄想という言葉が原動力になる」と展開した、今回のお話し。

いろいろ言いたいことはあるかもしれませんが、悪ノリの要素が全体の何割を占めていたのかは言わないようにしときます。

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