『ひとりひとりの創造性を解放する』創造力開発ワークショップが出来るまで①
最初に申し上げておきましょう。タイトル詐欺です。
「創造力開発ワークショップが出来るまで」と謳ってはいますが、まだそんなワークショップは出来ていません。これから作るのです。ひとりひとりの創造性を開放する「創造力開発ワークショップ」を。
これから先、ワークショップが出来上がるまでの物語を書き記していこうと思います。今日はその第一歩です。ええ、プロセスを最初から書いてみたら面白いんじゃないかと思いまして・・・
と言いながら、正直なところ「ワークショップ」という形態に着地するのかどうかも分かりません。ワークショップを謳っているのにそりゃ無いんじゃないのと思われるかもしれませんが、私だって分かんないんです(笑)
でも、今の世の中に、ひとりひとりに、これからの社会に必要なモノだと考えています。だから、「ひとりひとりの創造性を開放する」何らかの仕組みをこれから作り上げたいのです。そのカタチがいまのところ【ワークショップ】という体を取っているだけ、仮説です。
さあ、一緒に「創造性を開放する」旅に出てみませんか?
01.なぜ創造性が必要なのか
ちょっと質問したいことがあります。
いま、1日にどれくらいの数のアイデアをアウトプットしています?
ここでのアウトプットとは「口に出す」「文章にする」など、アタマのなかから外に出した状態のことだと思ってください。
実現性や価値は横に置いておきましょう。「こうなったらイイなぁ」「こんなモノが面白いんじゃないかなぁ」、そんな単なる願望とも言えるものでオッケーです。さあ、どれくらいの数をアウトプットしています?
たぶん、数えられるぐらいなんじゃないでしょうか。いや、まったくアイデアを外に出していないという方もいるんじゃないでしょうかね。
私はコレをマズい状態だと思っています。
人間には「アイデア」を生み出す創造性が本来備わっているはずだと思っています。アイデアとは「変化を想像する」こととも言えますよね。人間は進化の歴史のなかで変化を必要としたからアイデアを生むチカラを獲得してきたはずなんです。
でも、近年の社会はひとりひとりのアイデアを生むチカラにフタをしてきたように感じます。社会にとっては、「同じような価値観」で「同じような生き方」をする人が多いことと都合よかったのでしょうね。社会が創造性を敢えて奪い取っていたように思えてなりません。
本来、人間がもっているチカラなのに、さながら湧き出る泉に無理やりフタをしている状態です。当たり前に日常に湧き出るはずの創造力にフタをしている。ある意味では「便秘的」な社会と言えるのかもしれません。
一方で、私は強い希望も持っています。
現代を生きる人々がアウトプットしている創造性で今の社会ができているのです。人々は創造性にフタをされてはいます、それでも人々からはチョロチョロと創造性が漏れ出ています。その、漏れ出ている程度の創造性でも今の社会ができているのです。
逆に考えてみましょう。もし、ひとりひとりが創造性を獲得し、いまの10倍、100倍のアイデアが社会にアウトプットされるとすれば、それはどんな社会でしょうか?
誰かの創造性は誰かに手渡された時点で、また違うものに変化します。多様な人の手に渡れば渡るほどアイデアの変化は大きなモノとなっていきます。社会でアイデアが勝手に拡散し、勝手に色がつき、勝手に変化していく。その化学反応は指数関数的に増えていくはずです。
アイデアに価値を見出し、それを社会に実装する。ひとりひとりが、そんなアイデアに出会えるかどうかはアイデアの総量に依るところがあります。
社会全体がアイデアの総量を担保している状態、自分の周りには常に無数のアイデアが生まれ・飛び交っている状態を想像してみてください。きっと、社会を変えるアイデアに出会える可能性も格段に高まることでしょう。
あと、もう一つ期待したいことがあります。
アイデアを生み出すことが出来ているということは、いまよりも「未来に期待するチカラ」が増えているとも言える、そう私は考えています。社会全体で「未来に期待するチカラ」が今よりも圧倒的に増える。間違いなくステキな社会になっているのではないでしょうか。
「私たちが自らのつくりだした社会」によって「私たちは自らの創造性にフタをしている」。。。そんな現状を憂慮しています。しかし同時に、社会が創造性を獲得したあとの姿をイメージするとワクワクするしかない。そんな相反する感情を抱いています。
だから、私は「創造性を開放する」活動を実践したいのです。
02.創造ってなんだろう?
想像?、創造?
ソウゾウと聞いて最初に思い浮かべる漢字はどっちですか?
この2つは何がどう違うのでしょう。皆さんご自身ではどんな解釈を持っていますか?
私の解釈は、「想像は思考」「創造はアウトプット」です。
アタマのなかで、あれこれとイメージしている段階が想像。そこから一歩でも体外に排出されればその時点で創造です。つまり、想像したコトを単純に声に出すだけでも「創造」になる。そう定義しています。
私たちに必要なモノは「創造力」です。
もちろん、「創造力」の土台には「想像力」が存在しています。思考したimageを体外に排出することでcreateになるわけですから、想像力と創造力は繋がっているものです。しかし、想像力で留まってしまうと勿体ない、創造力の獲得には至っていないのです。
これは「創造」と「想像」に対する私の解釈です。「そりゃ違うんじゃない?」と思う方もいるでしょうが、私がこう解釈しているという前提でここからも読み進めてください。
03.創造力は思考法×状況×人の組み合わせで増大する
世の中には創造力の培い方、アイデアの生み出し方についての方法論が既にゴマンと存在します。そんな情報を搔き集め、色んな方法論を試してみる中で感じた「アイデアを生み出すにあたって重要となる要素」を整理しました。
アイデアを生み出すうえでのカギになる要素は①思考法、②状況、③人です。
この思考法×状況×人をうまく掛け合わせることによって、アイデアは加速度的に膨らみ拡大します。
①思考法(フレームワーク)
アイデアを出すための方法を調べると、よく行きあたるのが思考法(フレームワーク)に該当するモノです。多くは一人でも実践できる方法論が多いですね。
オズボーンのチェックリストやマンダラートといった定番のフレームワークや、マインドマップのような方法論もココに含まれます。色んな書籍が出ていますが、一番わかりやすいのは「考具」という本でしょうか。気になる方はポチっとしてみてください。
「方法論なんて意識してないよ」という方でも、実際には世にある方法論と近しい思考法でアイデアを生み出しているんじゃないかな?
自分の発想のプロセスを体系立ててみると、どんなフレームワークに近い考え方をしているのかも見えてくるかもしれませんね。
一方、思考法やフレームワークを使っていても大きな広がりが無いという方もいます。「フレームワークはフレームワークに過ぎないよ」という言葉を聞くこともありますよね。
しかし、機械的に思考を展開できるフレームワークは、自分の先入観を取っ払ってみるには最適です。シンプルにフレームワークや方法論に従って思考しているだけなのに、自分のバイアスを取っ払った発想ができるという点は良いトコロですね。
②状況(時間、場所、道具)
アイデアが生まれやすい場所や状況などに思い当たることはありませんか?
朝のランニング中にアイデアが生まれる。シャワーを浴びているときにアイデアが生まれる。お気に入りのボールペンと手帳を使っているとアイデアが生まれる。そんな、ひとりひとりの「発想スイッチ」を刺激する時間・場所・道具などがあります。これが「状況」です。
「思考を促進してくれる状況」についての知恵は昔からあります。
欧陽脩という北宋の文学者が述べた「三上」が有名ですね。これは、文章を考えるにあたって「馬上、枕上、厠上」にあるときが都合よい、つまり乗馬中・寝床・便所にいるときは発想が生まれると述べているものです。今の時代でも共感できる方が多いのではないでしょうか。
まずは一つで良いので、自分の「発想スイッチ」を刺激してくれる状況を見つけてみましょう。
「もしかしたら、この状況かもしれない」というモノが見つかれば、その状況を因数分解することで別の状況にも転用できるかもしれません。
例えば、朝、公園でランニングをしているときにアイデアが浮かびやすいという状況が見つかったとします。この状況は「朝」という時間、「公園」という場所、「ランニング」という行為に分解することができます。
次に、解体したそれぞれの要素を別の要素と掛け合わせ、アイデアが浮かびやすい状況になるかどうかトライしてみましょう。「朝」×「カフェ」でも発想スイッチが入るかもしれません、「公園」×「休憩」なら発想スイッチが入るかもしれません。
一つの「状況」を起点にして様々なバリエーションを試してみるとよいでしょう。もし「朝、公園でランニング」という状況に限らず、「朝」が発想スイッチの起点であることに気づいたなら、そこからバリエーションを増していくことも容易です。
③人
アイデアを生み出すための方法論、創造性を加速させる手法として世の中で紹介されているモノは①と②がほとんどではないでしょうか。ですが、私はこの③が最も重要だと考えています。
例えば、アイデアを出す方法のなかでも「ブレスト」はとても有名ですね。企画畑にいる人ならよく使う手法ではないでしょうか。複数人でアイデアを考えるときにとても効果的な方法論です。
ブレストの原理原則としてよく紹介されているモノが4つあります。
この原則に沿ってアイデアを出すと、あら不思議!、山のようにアイデアを量産することができるようになります。
でも、この4原則だけが大事なわけではありません。この4原則を押さえた「他人」と一緒にモノゴトを考えるということが大事なのです。
ブレストは他人と行うことが前提なので、あまりそこに触れられません。でも、この他人の重要性が思った以上に大きいのです。
04.思考を活発にするのは「他人」の存在だ
他人の存在は重要です。自分だけでは浮かばなかったアイデアが他人からは生まれます。また、他人のアイデアによって自分のアタマが刺激され、新たなアイデアを生むことも良くあります。
他人のアタマを借りることを「借脳」と表現する人もいます。1人と1人のアタマを掛け合わせると2どころか3にも5にも10にも100にもなるものです。
ところが、この「他人」の存在についてはあまり世の書籍・情報発信などでは謳われていません。
なぜだろう?、と思ったときに一つ思い当たることがあります。創造力で世間を動かしている最先端にいる人たち(書籍を発刊するような方)は、既にブレストの原理原則を押さえたような他者の存在を持っています。だから、もしかするとそれを「持っていない」人を想像しにくいのかもしれません。
ちなみに、私の経歴はチョイと特殊です。全力の創造力が必要になるデザイン会社やイベント制作会社にいたこともあれば、「決まったこと」を進めることが当たり前だという文化を持つ組織として最たるものとも言える「自治体」にいたこともあります。
両方の組織に在籍していて思ったことは、「方法論以上に周りにいる人によって個人の創造力に大きな違いが出る」ということでした。
周りにいる人がアイデア体質であればあるほど、自分のなかの「発想スイッチ」が入りやすい状態になる。同じようなフレームワークを使って考えるときでも、日常的に自分が触れる人間関係がアイデア体質系かどうかによって、アウトプットがまったく異なるのです。
05.自分をアイデア体質にしてくれた他人の存在
私は自分のことをある程度のアイデア体質だと思っています。もちろん、世の先端をひた走る企画畑トップランナーの方々と比べれば大したことのないアイデア生産量かもしれません。
それでも、普段の生活から仕事からアイデアを実現させることを生業にしている分、「こうしたらどうだろう?」「こんなことはどうかな?」とアイデアが次々浮かぶ体質にはなっています。
しかし、昔からアイデア体質だったわけではありません。アイデア体質になれたキッカケがどこにあったのかなぁと思い返してみると、おそらく学生のときがターニングポイントだったように思います。
何か特定の面白いエピソードがあったわけではないのですが、ある種の「悪ノリ体質」な友人が複数いたため、くだらない妄想から実際の実行まで悪ノリを繰り返していました。
先に紹介したブレストの原理原則だと「④他人のアイデアに便乗する」に該当する部分ですね。ココを学生時代に日常的にやっていました。だからかな、学生時代から今までずーっとアイデアのアウトプットを繰り返し、とうとうソレを生業にまでしています。
06.健全な悪ノリが生む、「創造力の開放」と「あり方の整え」
他人のアイデアに便乗する、Yes, and・・・とも表現される姿勢です。
他人のアイデアをまずは一度「Yes」と肯定し、そのあとに「and・・・」と続け自分のアイデアを乗せ続けていく。その連鎖をどんどん繰り返していく作業です。
とっても面白いプロセスなのですが、やったことのない方には難しく感じられるかもしれません。
そこに必要なのは「健全な悪ノリ精神」です。相手を尊重しながら面白がる姿勢、同時に相手から否定されないという安心感、これらで満たされた場は、アイデア脳を刺激して創造的になります。
ブレストとはアイデアを生み出すための方法論です。しかし、ブレストを重ねることは相手と自分の「あり方」にも大きな影響を与えます。
世の中の対人コミュニケーションがブレスト的になれば、もっと平和な社会になっているだろうなぁ、ブレストの原理原則を理解した人が世の中に増えればステキな社会になるだろうなぁと妄想することも・・・
そんな「あり方」に作用するという意味からブレストを紐解くと、長期的に最も効いてくるのは「④他人のアイデアに便乗する」だと思っています。しかし、ブレストを体験するようなワークショップだと後回しにされがちな要素なので、勿体ないなぁと思ってしまうことも多いのですがね。。。蛇足でした、ゴホン。
方法論・状況は既に世の中にたくさん溢れています。でも、世の中は創造性を獲得していない。そして、創造性を獲得したいと思っている人が多くいる。
となると、方法論以上に大切にすべきことは、「人」が健全に悪ノリできるかどうか、そんな場をどのように用意するか、そこに尽きるんじゃないかと思うのです。
07.創造力開発ワークショップ?をつくりあげよう
ここまでの仮説を整理しましょう。
・創造力を加速させるのは「思考法」×「状況」×「人」の組み合わせ
・特に「人」が見過ごされがち、だから「場をつくる」
「ワークショップ」と掲げはしたものの、そこに着地するかどうか分からないと最初に述べたのはコレが理由です。「場」と「人」をつないで化学反応を起こすための装置として「ワークショップ」という形態を挙げたに過ぎません。
これはもしかすると「コミュニティ」や「オンラインサロン」のようなモノと表現した方が分かりやすいのかもしれません。ただ、「ワークショップ」という形態をつくってみたいと思ったことにも理由があるのですが、それは後で触れましょう。
どんな「場」なら健全な悪ノリが機能するのか。これからは仮説と実行の繰り返しです。そして、そのプロセスを全部ココに書き記していきたいと思います。
今はリアルでの集まりが憚られる時期、最初はオンラインでの実行が中心になるかな。方法論や状況を様々なパターンで掛け合わせながら、最も大切にするのは「人」がどう作用しあうかという場づくりです。
08.創造力は筋肉だ
創造力を育てていくにあたって「人」や「場」を大切にしたいと思った理由がもう一つあります。
「発想スイッチ」が入りやすい状態をつくるには日々のトレーニングが大切です。
〇〇力と名の付くものと変わらないですよね、習慣化が大切になるのです。筋トレと同じだと思ってください。筋トレも日常的なトレーニングによって効果が現れるものですよね。
同じように、私たちのカラダには「アイデア筋」があると考えてもらえばよいでしょう。アイデア筋を鍛えるためにはアイデア筋を鍛えるトレーニングを日常化する必要があるのです。
でも、「創造力」って身に付いたのか付いてないのか分かりにくいですよね。
筋トレは分かりやすく自分のカラダに成果が現れます。積み上げが分かりやすいから多くの人にとってモチベーションに変えやすいのでしょう。しかし「創造力」は身についているのかよく分かりません。だから、一人で習慣化しようとすると苦行になりやすいのです。
そもそも、「創造」が分かりやすく仕事に直結していないと強いモチベーションも感じません。でも、身に着けた方が良いとは心の奥底で思っているから何となくモヤモヤしている。
本来はどんな仕事や生き方であっても創造性は必要なモノなのですが、リアルな仕事などに直結しないと思ってしまうと実行が難しくなるのも当然でしょう。
だから、トレーニングが楽しくなる場が必要なのです。
トレーニングすること自体が楽しい、健全な悪ノリ精神を発揮することができる。そんな場があることでようやく創造性を体得できるのかなと思います。
私は学生時代にそれを繰り返していました。その数年の積み上げがあったから、卒業後もアイデアをアウトプットする自分であり続けていられるのです。
09.創造力で満たされた社会をつくりたい
もう一度、お聞きしてみましょう。
もし、ひとりひとりが創造性を獲得し、いまの10倍、100倍のアイデアが社会にアウトプットされるとすれば、それはどんな社会でしょうか?
逆説的ですが、それだけアイデアがアウトプットされる社会であれば、おそらくひとりひとりのなかにブレスト的な価値観が宿っています。
健全な悪ノリ精神、他者を尊重したうえで自己を表現する「あり方」。そんな社会を私は見たいと思っています。
さて、そのために何をするか?
その一つが「人」と「場」をつくること。創造性開発ワークショップという体を取るかどうかは分かりませんが、そんな場を生み出すこと。そして、その方法論を広く社会に届けることだと思います。
だから、まだ出来てもいない、ただの構想段階のアイデアをココに書き記しました。そんな場をつくるためのプロセス自体をオープンソース化するつもりだったからこその、第一歩です。
健全な悪ノリ精神を発揮できる「場」をつくる。そして、そんな「場」が世界中のアチコチに大量に存在する。
社会に届けるなら、そんな状況が必要になりますよね。だからオープンソース化です。アタマからプロセスを開示します。困ったことやコツや知見を放出します、垂れ流します。その先に、私が見たい未来があるはず。
と、いうことで私のおそらくはライフワークの一つになるであろう企みをご紹介させていただきました。
一緒に考えたい、実行したいという方がいれば嬉しいです。未来をもっと期待する自分たちであるために、創造性を獲得していきましょう。これからにご期待ください。
10.記事のその後・・・
実は、やっちゃいました!(爆)、①で終わったぁ!!
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