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  • サクラノ草紙@西湘納言

    書き散らしたエッセーやコラムをまとめました

  • カイゴロク

    GB戦連載始めました!

  • 薔薇の記憶

    小さな庭で育てたバラたちの写真です。

  • 百年の千振

    しばらくのあいだ無料掲載します。 海辺の町を舞台に大正から平成へ凜々しく生きる娘たちの愛と勇気と友情を描きました。

  • ソライロ・シンドローム

    ソライロ花写真・ときどき他の花も

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カイゴロク記事一覧

目次   はじめに  序 1 事変勃発・Bちゃんの入院 2 孫子の兵法・介護の兵法 3 倉庫街の悪夢〜家族介護敗北考 GBの二回崩れ 1 介護申請失敗 2 介護無用の老夫婦 3 Gの入院の効果 4 隠密掃除 5 豆の記憶 6 つむじ曲がりの帰還 7 介護坂は下り坂 8 大崩れ 幕間1 1 生協の変 2 消えた老人と自転車 相模の乱 1 入院前騒動 2 院内マル暴? 3 Bの混乱再び 4 忘却の薬   *閑話・携帯電話 5 夜襲始まる 6 Gよりメロン・夜間徘徊 7 対B

    • ぬっこといっぬとそして今

      介護戦を終えたとき 親の見送りについて心残りはなかった。 やれることは全部やったと思う。 なにせ親ふたりともがいろいろ難儀な問題を抱えていたから ヤバイところまであと一歩! みたいなことが頻発したり それでも 大きな事故や事件をあれ以上は起こさせずに あの状態の認知症の親ふたりが それなりにおだやかな晩年を過ごしたのち旅立ち、だったのだから。 まぁいいか… そんな… そんな感じ。 でも けれども 今でも思い出すたびに痛むことがある。 それは 私が親の介護のため

      • ここのところ仕事らしきことはしてないし 体調は順調に下り坂で外出もままならないから写真撮りにも行けてないのだけれども 途中で止まってるこのNOTEのなかのあれこれをなんとかせねば… 走れなくてもまぁいっか歩いていこか くらいのペースで再開したいと思いますハイ

        • ベローシファカ he,who,me

          【ブルーモーメント】 夜が明けた。わたしはベローシファカになっていた。 以前 もしも明日わたしが突然ベローシファカになっていたらどうする?  と尋ねたらパートナーは ちょっと待っていればもとに戻るかもしれないしあんたがベローシファカであってもロクセラーナであっても気にしない。 と答えた。 そのときわたしは笑っただろうか。 部屋のなかに木陰が見えるようにとオーダーしたデザインカーテンが揺れていたことは覚えている。 パートナーが、いつも木漏れ日のなかにいるような

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        • ぬっこといっぬとそして今

        • ここのところ仕事らしきことはしてないし 体調は順調に下り坂で外出もままならないから写真撮りにも行けてないのだけれども 途中で止まってるこのNOTEのなかのあれこれをなんとかせねば… 走れなくてもまぁいっか歩いていこか くらいのペースで再開したいと思いますハイ

        • ベローシファカ he,who,me

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        • ー Celestine ー セレスタイン物語
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        記事

          介護坂は下り坂 6

          GB籠城戦 老老戦線最後の抵抗 胡麻粒坂の戦い  ○△胃腸病院では診察のとき付き添って、Gちゃんと医師の話を聞いた。  Gちゃんはこの数か月、おなかの調子が整わず硬軟繰り返し、しばしば便秘という状態のようだった。診察室で珍しく、Gちゃんは自分から話し始めた。 「なんかデキてんじゃないかと思ってんですけどね」  Gちゃんの言葉に医師は首を傾げた。  その後、血液検査、尿検査、X線検査の結果が出そろうまで、一時間少々、待合室で待った。  結果、病と判断されるほどの材料は揃

          介護坂は下り坂 6

          介護坂は下り坂5

           ドスコイ茶会事件  Gちゃんは自分たちの荒んでいく生活や、隠しようのない衰えが、私に丸見えになることをいやがるようになった。  私が実家へ行くたびに、「来なくていい、帰れ」追い返そうとする。  自分が『ちゃんとやってる』ことを示したいがために、なんでもないふうを装い、さらなる無茶をしてみせる。悪循環である。  かつて騒動を起こして乗らなくなった自転車にも(消えた老人と自転車事件)再び乗るようになっていた。なので、容赦のないムスメ(私)は自転車の前後輪とも空気を抜いた

          介護坂は下り坂5

          介護坂は下り坂4

           危ない火の話  Gちゃんの視力があやしいことになってると感じたその日、実家を出たあとで、GBの平時のかかりつけ眼科医院へ電話をかけてみた。  移植手術を勧めてくれた眼科医院で、術後経過も診てもらっているし、医師の診断もされている。  通院患者の目の視力の程度、見え方についてお聞きしたいと言うと、 『お教えできません』  事務の人の素っ気ない返事ではあった。  これは当然で、どこの馬の骨ともわからぬ相手に、患者のことを電話で聞かれて答えるようなことは普通しない。  だが、

          介護坂は下り坂4

          介護坂は下り坂3

           花を捨てた老人  Gちゃんの角膜移植手術二回、Bちゃんの施設ショートステイ、その後の刃傷沙汰を経て、私の抜歯と本陣参りでこの年は終わった。  あれだけのことがあってよく無事に年が越せたと、安堵するやら呆れるやら。  年が明け正月も松の内を過ぎ、Gちゃんからさっそく電話がかかってきた。 『オメエよ、あの重箱はなんだ』  私が年末に届けたおせち料理のことである。 「なんだって、なんだ」 『あんなもん、食うとこねえよ、不味くってよ』 「そうかよ」  味なんかわかっちゃいないくせ

          介護坂は下り坂3

          介護坂は下り坂2

           おライカ様~本陣詣で  その年の秋から冬のはしり、抜糸の痛みをやり過ごすために私は数日間実家へは行かず、自宅で休んでいた。  歯は痛むし体重は減ってるし食べられないし。無理すれば実家へ行くこともできたかもしれないが、気力はともかくとして体力が足りない。  するとしびれを切らしたのか、Gちゃんから電話がかかってきた。 『オメエ、カメラ持ってんのか』  ホントにもうどうでもいい。ようなことを聞いてくるんである。写真は仕事の一部だから持ってるに決まってるでしょ。と言いそうにな

          介護坂は下り坂2

          介護坂は下り坂編1

          伏兵あらわる  GB刃傷沙汰の翌日、飛び込み受診の支払いのために医院と薬局へ出向いた。  その足で施設へ回り、Bちゃんのステイのお礼を言って、前払いしてあったステイ料金から利用しなかった日数ぶんの払戻金を受け取った。  GBの家に行くと、Gちゃんが凝りもせずBちゃんの古い服を捨てようとしていつものように喧嘩になっていた。  BちゃんをGちゃんから引き離して買い物に連れていき、その後でGちゃんに施設の領収書を見せて(見せても見えないが)ステイ代の支払いを要求した。 「手持

          介護坂は下り坂編1

          GBの大乱編4

            破綻  私が子供だった頃、BちゃんはGちゃんと喧嘩して負けると、私を蠅叩きでブッたたいて八つ当たりし、 『アンタなんか死んだってかまわないけど、お父さんが死んじゃったらアタシは生きていけない!』  感心できない意見を叫んで泣いたりした。 Gちゃんへの思いを子供に向かって叫んでもどうにもならないじゃん、と小賢しいムスメは思ったりした。  そしてGちゃんはBちゃんと喧嘩して旗色が悪くなると、私の両足首を掴んで二階の窓から逆さづりにし、 「そーら暴れてみろ、落ちるぞ」  ど

          GBの大乱編4

          GBの大乱編3

           ステイ終了に備えて その後、Bちゃんはときどき私の家に電話をよこして 『家に帰ることになったから』 なんて可愛い嘘をついたり、 『着替えがほしいわ』 身の回りを整える気持ちも出てきたりした。 私が会いに行くと腕をがっちり掴んで離さず、 「ちょいと歩いて来ますね」 施設の人に笑顔で言ってちゃっかり外へ出たりしたが、散歩をして気が済めば、 「おなかすいてきたわね」 帰ろうか、と施設へ戻る。総じて安定した状態が続いた。 「帰りたい」という気持ちは強くて、職員さんを困らせたり、フ

          GBの大乱編3

          GBの大乱編2

          3 鰤と柚子  とにかく、もう、どうしようもない気分で施設を出た。  Bちゃんの御放屁で救われたけれども、BちゃんがGBの親の介護をしなかったことなんて、何故口にしてしまったのか……。  たしかに早世したひとりを除く実親ひとりと亭主の親ふたり、都合三人の最期の看病と長期にわたった介護には、Bちゃんは、 「親らしいことは何もしてもらってないから、死ぬときも面倒は見ない」 「亭主の親の面倒は亭主の実家の嫁が見ればいい」 「アタシは年寄りは嫌い」 「年寄りの面倒をみるのはもっと嫌

          GBの大乱編2

          GBの大乱編1

           1 ショートステイに向けて〜2ショートステイ危うし  翌日の午後、Bちゃんを連れて施設へ向かった。  表通りから少し奥へ入った静かな立地で、外観は優しいベージュの綺麗な建物である。  受付で名前を言うと、施設長さんが出てこられてBちゃんともども少し話し、介護士さんと看護師さんには既往症他、現在の状態を説明し、必要書類に記入して、あとはとんとんと翌日からステイと決まった。 Bちゃんは私の用事で一緒にここへ来たものと思っているので、べつにいやがったりしない。 「いいところだ

          GBの大乱編1

          親の墓の墓じまい(後半)

          *前半のおおまかなできごと 父の葬儀が終わり、埋葬も終わったあとで市役所管理の墓の使用について問題発生、にっちもさっちもいかなくなったよ。というところに救いの手が。お寺さんと新しくご縁ができました。 さて。 墓じまい後半戦です。途中経過と後見制度、細かな情報をはさみます。 父の死去ののち、母に成年後見人がつくことになりました。 後見人は弁護士。裁判所による人選です。後見人制度についていろいろ思うところはありますが、ともあれ、母に弁護士を会わせないといけません。 面談前に、

          親の墓の墓じまい(後半)

          親の墓の墓じまい(前半)

          これもう、書くか書くまいか、かなり迷いましたが… お墓。 介護、葬儀、相続という一連の行事(?)のなかで避け得ない問題のひとつです。『墓わからん』という不安からの解放、そのヒントになれば…ということで、書いてみようと思います。 またまた経験からの事例となりますが。 おおまかな流れはというと。 1) 母が先祖から受け継いだ墓を没収される 2) 父が市役所管理の墓(霊園)抽選に応募する 3) 父、墓当選、墓所に墓を建造する 4) 父死去・埋葬 5) 母が認知症であることを理由に

          親の墓の墓じまい(前半)