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対称図・Nの選択4

対角線上の電子key

午前10時前は電話には出ない。

健康管理は大事。
自己管理も大事。

だが。
室内に鳴り渡るドアフォンの音、玄関の向こうから聞こえてくる
「ねーねー! いるんですよね、センセー!」
という呼びかけの繰り返しには負けた。

画面のなかの来訪者の顔に見覚えがない。
誰だろう。

いつもは見知らぬ誰かの予告のない訪問などは無視するのであるが。
「わたしー、Yさんの同僚でーす! そしてー、エブリバデー保育園の園長の孫でーす。だーかーらー! わたしのこと無視するとー、わたしおじいちゃんに連絡しちゃいますよー、センセーが困ることになると思いまーす」

うわー…
やっだー

ということは。
たぶんあれだ。
Nの相方Yに野球を観させて、ややこしい方向へナビしてくれた後輩さんだ。
キーワードは、雨、野球、車、電話、お父さんはラップ好き、ネットで野球同時観戦…あたりだったか。

「室内へお迎えするわけにいかないのでね。ご用は外でお聞きしますよ。10分ほど待って」
「ドレスアップとメイクですかー(笑)」
返事をせずにいたら、
「気にしなくていいですよー、べつに素敵に見せようとしてくれなくても、わたしー、もともとセンセーに関心ないですから、うっふ」

むべなるかな。
E園長の孫要素100%だ。
トラブルの予感しかない。

着替え身支度窓ヨシ電源確認ヨシ、バッテリー確認、眼鏡と端末。万が一のときのための玄関キー。ヨシ。
以前、端末なしでうっかり外へ出て自動ロックかかって閉め出しくらった反省から、物理キーは必ず持ち歩くことにしている。
電子キーの意味がどこにあるのかという疑問は常に付きまとうが。

3分余ったので、最近始めたばかりのゲームのログインボーナスだけ受け取りしておく。

いざ。
外へ出る。
E園長の孫は
頭になんらかの耳
ショート丈のジャケット
ジャケットから溢れる大量のレース
極限まで短くしたチェック柄のスカート
スカートの下にトレーニングウェアと思しきダボパンツ
かかと十センチ以上はあると思われる厚底ブーツらしき履き物…
縦横筋肉量体重とも対私比20%は増量してあると思われる御仁だった。

「ご用の向きをお聞きします」
とりあえず、短時間で済みますようにと祈りつつ尋ねたところ
「えー。信じらんなぁーいこんなに待たせといて立ち話とかありえなーい」
「長話?」
「センセー次第かもー」
「要点をまとめて手短に。話し合いが必要な内容であれば、近隣のコワーキングスペースで」
「うわぁ」
「やだよね。わかる。私もいやだから、すごく」
「え、いやだなんて、そんなことないですよー、ただちょっと、センセーを待っててずっと立ってて疲れちゃったかなMちゃんとしては」
「疲れてるならどうぞ座って。立ち話はいやなんだよね」
「自宅前で可愛い子と楽しそうに話し込んでるとこ盗撮されてNeoXとかに晒されちゃったらセンセー困るんじゃないですかー」
「私の実年齢とあなたの年齢とであれば、何が起きてもあなたが不利」
「う」
「直に座るのいやならレジャーシート出しますよ。外収納ボックスに非常用品常備してるから」
「ほんっとむかつくなこのクソガキ」
「ガキは違うかな。ソーシャル年齢36認定は取ってるから。修飾語としてのクソは合ってるかもしれない」
「まじか。ソーシャル年上なのかよ」
外面をかなぐり捨てたMだった。


「NとYを別れさせて欲しいんです」
コワーキングスペースに入るやいなや、のっけからMの不穏な発言である。

「別れさせたい原因は?」
「決まってるでしょ、ランドセルですよ」
「あなたのお祖父様のE園長がお買いになる予定ですが」
「やめさせたい」
「何故?」
「クッソ高いから」
「E園長のお金であって、あなたの財布が痛むわけではな」
バンッと、デスクが鳴った。
Mの手の大きさに、正直ちょっと恐怖感を感じた私だった。

「くだらなすぎ。他人の子に何百万もするようなランドセルなんか買うなっての。遺産で遺してもらいたいんだよね本音言えばね」
「あなたがお祖父様にそう言えばいいんじゃない?」
「言えないでしょ常識で考えなよ」
へーえ。
E家って《今もっとも新しい常識論・近代社会編》(X0XX年某某書店発行)の信奉者だな。

「ランドセル購入回避のためにNとYを別れさせようとするのも常識的とは言い難いと思うが」
ふっふーん、とMは笑った。
「NとYとを別れさせて、わたしがYをもらいます。親権もわたしが取る。そして祖父を第一保証人にして祖母権を付与して、センセーを第二保証人つまりランドセルを買う人に指定するつもり」
「それは無理なんじゃない?」
「何故」
「あなたとYとでは、適切な養育環境を子のために用意可能かどうかという審査を通過できるとは思えない」
「Nが現状で子を虐待していて、Yが不安を感じ、その不安をわたしなら解消できると主張すれば」
「その捏造が可能だという根拠は」
「保育園経営者の孫だからわたし。そんなもの、保育記録をちょっと書き換えれば」
どうにでもなると言いたいらしい。

さて。
祖父Eはランドセルを買いたい。
孫Mは祖父にランドセルを買わせたくない。

祖父Eは、万が一、NとYが離婚したら、私を訴えると言う。
ランドセルを買いたいから離婚に反対。

孫Mは、NとYを引き離すために、保育記録を捏造すると言う。
ランドセルを買わせたくないから離婚を後押し。

M案は悪辣だが、実施可能な案件かもしれない。

園長とその孫。まとめて敵に回すと面倒。
ランドセル問題は当事者同士で話し合ってもらうのが1番だが、孫Mは祖父Eに対して、直接対話でもって説得する気はない。
また、直接対話しても、両者の平和的合意は、まぁ……望み薄だ。

「ちょっとさー、何かないのセンセー。小説書いてんでしょ、すったもんだどうしたこうしたみたいな感じの何か」
Mが腕組みして睨んでくる。
「すったもんだ…」
「その解決方法」
「ないな」
「ポンコツ」
「あるかな」
「おふざけはほどほどに」
何が怖いって笑顔が怖い。


「説明の前に質問。あなたのランドセル買ったのって誰? E園長?」
「うちは保証人の祖父祖母はここ数代いないと思うなー」
血縁家族か。まだ存在してるんだ。
「ランドセル保存してある?」
「知らない」
「電話して聞いて」
「えー。めんどくさ。古いランドセルがあるかないかなんてそれでどうなるっていうの」
「あなたが遺産欲しいと本気で考えてるなら今すぐ電話して。電話1分で数百万稼げるかどうかの瀬戸際だよ」
「するわ」
判断が早い。そして行動も早い。
「あー、おじい? あのさーうちのランドセル。まだある? あそ。園の? 倉庫か。うん、なんでもない。ちょっと聞きたかっただけ。切るよ」
孫と血縁祖父ともなれば、こんなものなんだろうなというスリムな会話。

「ってコトで」
「わかった。では。案1」
「はぁい」
両手を唇下でお祈りポーズで組んだ挙句、キラッキラ笑顔で見上げてくるのはやめてほしい。Yの説明では、最近の新入社員の中でMがトップクラスの可愛い子的評価だったような。だが、わたしには《可愛いということ》そのものがまったくわからない。
正直、怖さ滲むポーズ&避けたい笑顔だ。

「まず、あなたのランドセルを修理、再生する」
「なんで?」
「再生前にランドセルを、NとYと彼らの子に見せて、どんなふうにアップデートしたいかリサーチ」
「わかった。古いのを綺麗にして、それをプレゼントする。ってこと?」
「正解。その工程の全てについて文章化、ランドセルを使ってビフォアアフター映像化、感動ドラマ仕立てにして、それをユニVで公開する」
「文章化? 映像化?」
「ランドセル問題に悩んでる祖父達と家族にとって、救済の一例になると思う。公開までの全工程を私が請け負う。有料で」
「1000円くらいでひとつ」
「その300倍」
「えっ…」
「1分以内に決めて。無回答のときは提案を却下。スタート」
タイマー開始。
「30万かぁ…きっついなー。10万でどう?」
「10万ならランドセルの修理だけ。文章化と映像化は自分でどうぞ」
「うーん無理ぃ…ちゃんとした文章はまるっきりだめ」
「ランドセル再生と文章まで私が引き受けて20万。映像化はあなたが自分でどこかへ依頼する? それでもいいよ」
「全工程センセーに頼んで分割払いで」
「1年以内に全額支払い完了で。支払い不履行なら訴訟。残り30秒」
「えっぐ……25万では」
「30万」
「あんたその性格でよく今まで生きてきたね」
「褒めてる?」
「ユニVで公開してどうするのさ。広告入れて収入化?」
「収入にはしない。E園長とあなたの美談で有名になるだけ。E園長には晴れがましさと知名度アップ、そのオプションで満足感。あなたの家族ならびにあなたにはランドセルで浪費しなかったぶんの遺産。残り5秒」
「うわぁまじか。わかった、お任せしまーすセンセーに全部」
「了解」

と、話がまとまったところで。
「NとYを別れさせてあなたが子もろともYを自分のものにする陰謀についてですが。ランドセルに何百万も使わずに済んで、E園長の遺産が守られるのであれば」
「Yも子も要らない」
よし。一応最終防衛ラインは守れた。

「ところで。Mさん、あなたここまで録音してるでしょ。こっちもしてるけど」
「してない」
「嘘はだめ」
「してる。してます録音。あーあほんっとムカつくなー。特知法(特殊知性保持者保護法)なかったらさぁ、センセーとっくに◯されてると思うよ」
「そうねぇ」
「自覚あるんだ」
「望んで特知に生まれたわけじゃないけどね。で、話戻るけど。録音音声は双方許可なく外部に漏らさない。ランドセル問題が解決したら消去。それでいい?」
いいよ、と、Mはどこかしらさっぱりした表情。
「ランドセル、速配便で送るわ。3日以内でどう」
「うん」
「NとYって、別れそう? 大丈夫そう?」
「当事者のいないところで、部外者が推測でものを言うのはアウトだと思うよ」
そっか、とMは笑った。

自然な笑みだった。




























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