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Gの独り正月


Bちゃんの施設入居が決まったあとで、豊臣による北条攻めの折の徳川本陣跡へ私は再び行ってみた。前年の暮れにここへ来たときは、

「400年と少し前に家康さんがここにいたんだ……」感慨。だった。

今回は「一歩前進しました」報告のつもり。でございます。

年が明ければ1月の末にBちゃんは施設に入る。
もうすぐ入居の支度も始まり、手続き、金策と、準備作業に入ることができる。
Bちゃんがショートステイのことを覚えているかどうかはわからないが、丁寧な看護と、快適な暮らしがあれば安らぎの余生が送れると思う。

残すところあとひとり。
Gちゃんをどうするか……。

来年が勝負です。よろしくお願いします。心の中で手を合わせて徳川さんにお願いした。
ご本尊はここにはおいでにならないが、とにもかくにも気は心。


さて、Bちゃんの施設入居が決まったあと、Gちゃんの幻覚症状はどんどんとグレードアップしていった。

「誰かが家に来て2階で騒いでいる」(座敷童子?)
「オメエ、夜中に来て騒ぐな、迷惑だ」(テレポートしてるらしい私)
「バーサンが二階で着物を散らかして困る」(たぶん着物じゃないよそれ)
「姉ちゃん(鬼籍)が来て酒盛りしてる」(……)
「カネを要求された」(誰に?)
「近所の誰それが、郵便物を抜き取りやがった」(それでミステリー書こうか)
「通販のやつらが箱に入ってうちに来た」(出張販売?)
「隣で飼ってる鳥がうちに来て、うるせえだ」(隣は鳥なんて飼ってない)
「ネズミと犬が走り回ってる」(猿もいるよねたぶん)

……もう、ノンストップ幻覚である。

だが、ヘルパーさんや配食の配達員さんの前では、「どうも」の、ひとことしか言わないので周囲の人達は気づかない。

年末になると配食サービスの内容について、
「残り物をぶち込んで来やがった」
「年寄りだと思ってなめてやがんだ」
被害者妄想も激しくなった。
「同じ価格帯で他の会社に頼む?」
変えてみたいというので変更したら、三日で、
「不味い。前のところのほうがましだ」
どこの何を食べても気に入らないんじゃん。という結果になった。

年末年始、配食サービスは四日間の休みとなる。
大晦日、三が日ぶんの食料とおせちのお重ひとつ、だし汁三日分(うち二日分は冷凍にして)、餅一袋と、茹で大根他雑煮用具材、パックのご飯、湯煎するだけのお総菜、日持ちする総菜パン、缶詰、瓶詰め、栄養補助食品を、これでもかというほど車に積んでGちゃんの元へ運び込んだ。

「三が日、来ないからね」
おかず類を冷蔵庫へ入れ、残りは冷凍庫に入れる。
「冷凍庫から出して、レンジで加熱して食べるんだよ」と言うと、
「わかってら」

この「わかってら」がアヤシイ。でも、あまりしつこくは言わない。Gちゃんの人生八十有余年で、おそらくは初めての、独り正月だろう。

Gちゃんはその日、紅白の時間帯に、
『餅がねえ』と電話をかけてきて、
「台所のテーブルの上に袋入りがあるよ」
『おう、あった』

納得して、それきり三日間、電話をかけてこなかった。
風呂で倒れてないか。火の始末は大丈夫か。心配なことは多々あるが、辛抱、辛抱、である。

放っておく介護、手を出さない介護。ここを通過しないとGちゃんの状態は改善されない。
Gちゃんが「俺ひとりでは、これはできない」と気づき、「こういうことをしてくれ」と言ってくれば、そこに合わせて、もう少し介護を上乗せできる。
Gちゃんが言い出す前にこちらが手を回すと「余計なことしやがって」と怒るから介護が進まない。

あけて正月四日、実家へ行ってみると、思った通り、猛烈な寒さだった。
冷蔵庫は要らないんじゃないかいという室温である。その冷凍庫を開けると、二日分の食品はパックのまま蓋も開けられた様子がなく、残っていた。

「三が日、ちゃんと食べた?」
「食うもん、ねえよ」

「パンは?」
パンは全部、食べきっていた。解凍とレンジ加熱はできないということか。

次に餅の減り具合を見ると、一回二個、三食三日分、減っていた。
だし汁と雑煮具材は半分ほど消えていて、かろうじてお雑煮は作れたと思われる。
三日間、栄養は足りていないが、飢えるほどではなかったようだ。

洗濯も一応はした様子があった。ただし、箪笥の中の肌着が湿っていて、生乾きか、脱水しただけでしまいこんだものと思われた。

掃除機をかけ、生乾きの肌着を洗い直して干し、台所周りを片付ける。
じつは掃除機は前年の冬に私が買って持ち込んだものだ。それ以前、Bちゃんはすでに掃除機を使って掃除ができる状態ではなく、おそらく年に数度の使用頻度だったと思われるが、掃除をしない理由が「掃除機がゴミを吸わない」だった。
ゴミを吸わない掃除機はそれ自体がゴミである。

「新しい掃除機を買えば?」
と私が言ってもGちゃんは
「どうせバーサン、ろくに掃除はしねえんだ。新しいのを買うだけ損だ」
と変な理屈をつけて、十数年にわたって反対していた。
なので、Gちゃんの一回目の入院をチャンスとばかり、私が掃除機を買って持ち込み、第一回大掃除を決行したというわけである。

私が台所の掃除をしていると、
「鍋がねえだ」
Gちゃんは珍しくこたつから出てきた。

「焦げた鍋ばっかりだ」
オトコの料理は道具から。かな?
「鍋、どういうのが要る?」
「ひとりだからな。小鍋ひとつ、フライパン」
「うん。買ってこよう」
「バーサンの鍋はダメだ」
「全部焦げてるもんね」
「玉子、ひっくり返すやつが要るな」
「フライ返しね。わかった」
古いフライ返しは60年ものであり縁は傷だらけ、食材がくっついたり引っかかったりで使いにくい。

ふと見るとシンクの横に、古いけれど未開封と思われる食器用洗剤が置いてあった。
むむむ。流し脇に洗剤はあるのに。どうしてここに新しい容器?
手にとってしげしげ見ていると、
「それ、油だべ?」
Gちゃんが聞いてきた。
「洗剤よ?」
「それで玉子焼こうと思っただ」
「使っちゃだめ! 死ぬよ!」(冷や汗!)
「油がねえんだもんよ」
「あるよ、ほら」
砂糖と塩と、醤油と油、常時使うものをセットにして、わかりやすいように置いてある
じゃないか。

「あとな、砂糖の容器がベッタベタだ」
「洗ってあるけどね」
「蓋にパッキンがねえから砂糖がしけっちまうだ」
「砂糖、使うことあるんだ?」
「煮物とかな」
煮物? 何を煮るんだろう? 根菜や芋類、魚は買わないGちゃんである。
買い物リストは判で押したように七種類。
『米、トマト、ほうれん草、釜揚げシラス、インスタント味噌汁、豆腐、茶』である
まさかほうれん草を砂糖で煮てるんじゃないでしょうね?
だがまあ、深くは追求しない。

「あとは何? いっぺんで済ませたいから、要るものあれば今のうち言って」
「オメエ、それ捨てちまうのかよ」
おせちのお重に残っていた食品を、そのとき私はビニール袋に入れようとしていた。
「保存料とか入ってないからね。二日以内で食べる、残ったら捨てる」
「ふーん……」
「欲出して、無理して食べてお腹こわしたらつまらないでしょ」
「うーん」
「次の正月にまた持ってくるからさ」

鬼、ニヤリ。

「へっ。俺は来年まで生きちゃいねえよ」
「そんなコドモ孝行、しなくていい」
ちょっときわどい冗談。Gちゃんには通じなかったようだ。

「バーサンの鍋はコゲコゲでよう……」

私の話は聞いていないGちゃんだった。



要介護から要支援? へ続く

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