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誰も知らない近世ヨーロッパの戦略思想家の著作をまとめた選集『戦略の創造者』の紹介

リーディング大学教授ベアトリス・ホイザー(Beatrice Heuser)は19世紀の軍事思想家カール・フォン・クラウゼヴィッツ(1780~1831)の戦略思想を専門にする研究者ですが、彼女の関心はクラウゼヴィッツだけにとどまっているわけではありません。

戦略の創造者:マキアヴェリからクラウゼヴィッツまでの戦争と社会の考察(The Strategy Makers: Thoughts on War and Society from Machiavelli to Clausewitz)』(2010)はホイザーがこれまであまり知られていなかった16世紀から19世紀までのヨーロッパの戦略思想家の著作をまとめた選集です。ヨーロッパの戦略思想史に興味がある方に一読を推奨します。

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1 はじめに:戦略の文献の主題と背景
2 レイモン・ド・ベッカリ・ド・パヴィ(1548)
3 フランソワ・ド・サイヤン(1589)
4 マシュー・サトリクフ(1593)
5 ベルナルディオ・ド・メンドーザ(1595)
6 ポール・ヘイ・デュ・シャトレ(1668)
7 サンタ・クルス・デ・マルセナドとツァンテイアー(1724–30/1775)
8 ド・ギベール伯爵(1772)
9 アウグスト・フォン・リリエンシュテルン(1816)

ヨーロッパでは軍事学の著作が数多く執筆されてきましたが、今でも読まれている著作は少なく、研究者から忘れ去られてしまった戦略思想家も一人や二人ではありません。この記憶の断絶はヨーロッパの軍事学で戦略がどのように研究されてきたのかを明らかにしようとする上で大きな壁となってきました。ホイザーはこの壁を突破する上で大きな貢献を果たしています。ここでは3人を取り上げて簡単に紹介してみます。

第2章で取り上げられた16世紀のフランス貴族レイモン・ド・ベッカリ・ド・パヴィ(1509~1574)はイタリア戦争で戦闘の経験を積んだ軍人であり、1548年にパリで『戦争指導の規則』を出版しました。この著作でレイモンは正当な理由に基づいて戦争を始めなければならないことや、戦争において兵士が守らなければならない規則があることを細かく説明しました。開戦するためにさまざまなハードルを設け、可能な限り非軍事的手段で目的を達成すべきであると考えていたことから、彼が正戦論に強く影響されていることは明らかです。やむを得ない形で戦争が勃発したとしても、可能な限り戦闘状態を避けるべきであり、それによって敵軍に兵糧を浪費させ、退却せざるを得ない状態に追い込むことが最善だと考えられています。これはあまりにも消極的な運用に見えるかもしれませんが、可能な限り小さな犠牲で政策上の目的を達成しようとする戦略として理解することができます。

第5章のスペインの軍人ベルナルディオ・ド・メンドーザ(1540?~1604)の著作『戦争の理論と実践』(1595)で打ち出された戦争観にも正戦論の影響が見出だされます。ただし、それは厳密な意味での正戦論というよりも、勢力の拡大を進めるスペインの政策を正当化しようとする議論であり、君主が他国の領土を征服しようとすることは自然な欲求であるという奇妙な論理で正当化が試みられています。ただし、メンドーザの軍事に関する考察は豊富な経験に裏付けられており、説得力があります。彼は戦闘において攻撃よりも防御の方が有利であるという主張しており、防者は攻者よりも少ない兵力で互角に戦うことができると述べました。さらに、戦略的なレベルにおいても軍隊を敵地へ侵攻させることは、要塞で守りを固める以上に危険が大きいとしています。政策のレベルでは征服を志向するとしても、戦争を遂行する上で防衛を重んじるべきという考え方を持っていたことは、この時代の戦略のパターンを理解する上でも興味深いものではないかと思います。

フランスの著述家ポール・ヘイ・デュ・シャトレ(1619~1682?)も『戦争に関する論考』(1668)で戦争を道徳的な観点から考察しており、戦争を正しい戦争とするために守るべき基準や規則について議論しています。彼は戦争で起こるあらゆる事象はすべて神の意志に従っていると述べていますが、戦争において司令官の意志が重要な役割を果たすことを暗に認めています。軍事学的に興味深いのは、彼がマケドニア国王アレクサンドロス、カルタゴの将軍ハンニバルの戦争術をモデルとしていることであり、敵に果敢に戦い挑み、決定的な勝利を収めることを作戦行動の基本にすべきであると強く主張していました。基本的に軍隊は防勢に回るよりも、攻勢をとった方が優位に立ちやすいと考えられています。戦闘が始まる前には味方の戦意を最大限に高める努力が必要であり、あえて退路を捨て、目の前の敵に勝てなければ、ここで死ぬことを理解させるように主張しています。

いずれも知られていない戦略思想家ですが、その議論の内容は驚くほど多種多様であり、フランス革命戦争・ナポレオン戦争以前のヨーロッパの軍事学の研究動向が読み取れます。戦略思想史を学ぶ人々にとって非常に興味深い著作であり、今後、ヨーロッパの軍事思想史を学ぼうとする人々にとって必読の一冊になるのではないかと思います。

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