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アメリカ政治の先行きが気になる人にお薦めしたい『民主主義の死に方』の文献紹介

アメリカ大統領選挙の論評を読んでいると、政治的な分断、二極化、党派的な対立が深まっているという見方をよく目にします。また、その原因として、ドナルド・トランプ大統領の歯に衣着せぬ物言いや、過激な言動などが注目される傾向にもあります。

しかし、政治学の研究者はそのような見方を必ずしも支持しません。2020年の大統領選挙で民主党候補ジョー・バイデンが勝利を収めたとしても、以前のような状態に戻る可能性は小さいでしょう。なぜなら、トランプ大統領がいなくなったとしても、共和党と民主党の対立が国を二分し続けるという構図が大きく変化するわけではなく、トランプ大統領のような政治家は今後もたびたび現れるかもしれないためです。

今回は、ハーバード大学の教授であるスティーブン・レビツキーとダニエル・ジブラットの共著『民主主義の死に方(How Democracies Die)』(2018)を紹介したいと思います。アメリカで出版してから間もなくして翻訳されたので、日本語でも読むことができます。今後のアメリカの政治を見通す上で大変参考になる一冊だと思います。

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この著作は比較政治学の視点で民主主義が終焉を迎えるプロセスを一般的に考察した上で、アメリカ政治の歴史と将来を考察した成果です。その見通しはかなり悲観的なものです。レビツキーは比較政治学の分野で世界各国の政治システムを調査してきた研究者であり、ジブラットはヨーロッパの政治史を専門とする研究者です。彼らは民主主義が決して盤石の政治システムではなく、アメリカの民主主義も決して例外ではないことを読者に伝え、共和党と民主党の対立が深刻さを増していることに警鐘を鳴らしています。

そもそも民主主義が機能するためには、憲法と法令によって定められた制度を維持するだけでは不十分であり、明文化されていない慣習と規範が維持されなければならない、と著者らは論じています。著者らは「憲法という制度だけで民主主義を護ることはできるのだろうか? 私たち著者の答えはノーだ。高度に設計された憲法でさえ、ときに失敗へとつながることがある」と述べた上で、次のように続けています(129頁)。

「多くの専門家が認めるように、合衆国憲法が優れた文書であることはまちがいないだろう。しかし、もともとの憲法はわずか4ページ分の長さしかなく、ときに矛盾するさまざまな解釈が可能だった。たとえば、政府と独立して存在するべきFBIなどの機関を体制支持者だけで満たすことを防ぐための憲法上の保護規定はほとんどない」(130頁)

著者らの見解によれば、アメリカの民主主義を守る上で憲法の意義を強調しすぎることは間違いです。アメリカの民主主義は「この国の膨大な富、大規模な中産階級、活気のある市民社会」などが相互に支え合う中で存続してきました(同上、131頁)。著者らは最も重要な要素として明文化されておらず、慣習化している規範を取り上げています。規範は単なる個人の習性や善良な性格ではなく、「特定の共同体社会のなかで常識とみなされている共通の行動規則」と定義されます(同上、132頁)。さらに民主主義を存続させる上で、特に重要な規範として著者らが強調しているのは、相互的寛容と組織的自制心の二つだと論じています。

相互的寛容とは、政争を繰り広げたとしても政治的に対立する勢力の立場を尊重すべきであるという規範であり、著者らは次のようにその特徴を説明しています。

「対立相手が憲法上の規則に則って活動しているかぎり、相手も自分たちと同じように生活し、権力をかけて闘い、政治を行う平等な権利をもっていることを認めるという考えである。相手に同意できず、ときに強い反感をもつことがあるとしても、私たちは対立相手を正当な存在として受け容れなければいけない」(133頁)

著者らは相互的寛容がなければ、国内の異なる政治勢力は共存することができなくなると、あらゆる手段で打倒するべき敵として見なすと述べています。第一次世界大戦が終結した後のスペイン、ドイツ、イタリアの政治史では、いずれも対立する政党や候補者を激しく敵視し、権力の集中が正当化され、民主主義の制度的な解体に繋がったと著者らは考えています(同上、136頁)。

もう一つの規範は組織的自制心であり、これは制度的な特権を行使することを抑制する規範です。著者らは組織的自制心が失われれば、憲法に違反しない限度で最大限の権力を行使する政治家が次々と出現し、大きな混乱が引き起こされると警告します。例えば、組織的自制心を欠いた大統領は、「最高裁判所を抱き込み」、大統領令によって議会を通さずに政策を決定しようとするだろうと述べられています(同上、140頁)。

相互的寛容と組織的自制心がない政治のことを、著者らは「ガードレールのない政治」と呼んでいます。これは、それぞれの陣営が相手と妥協する姿勢を見せず、合法的、あるいは非合法的な手段を総動員して権力を奪い合う政治です。

著者らはアメリカの政治が、「ガードレールのない政治」に移行しつつあることを深く憂慮しています。彼らはドナルド・トランプが2017年1月に大統領に就任した当時、まだガードレールはそこにあった、つまり相互的寛容と組織的自制心の規範は残っていたと評価していますが、トランプよりも前の政治家が時間をかけて浸食していたと指摘しています。変化の兆しは1990年代にすでに見られました。

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