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研究メモ 「宣戦布告」とは何か?

宣戦(declaration of war)とは、我が国が敵国に戦争状態を開始することを宣言することをいいます。注意が必要な点としては、現代の国際法では、紛争を解決する手段として、あるいは政策の手段として戦争に訴えることは禁じられており(不戦条約)、国際連合憲章では自衛の場合を除いて武力の行使と武力による威嚇が一般的に禁止されているので、宣戦を行うことはないということです。その意味で「宣戦布告」という手続きは過去の遺物になっていると言えるでしょう。

しかし、16世紀から20世紀の初めまでの外交史、戦争史を知りたい方であれば、「宣戦布告」がどのような法的、理論的な根拠に裏付けられているのか、歴史的にどのような発達を遂げた制度なのかを知っておくことは有益だとも思います。特に宣戦が「布告」されるようになった時期を知っておけば、開戦の仕方が時代によって変化していることがよく分かると思います。

そもそも宣戦とは戦争を正しい戦争、つまり正戦(just war)とするための重要な条件の一つと考えられていました。国家が戦争状態に移行するには宣戦が不可欠であると主張した法学者として、16世紀にイングランドで活躍したアルベリコ・ジェンティーリという人物がいますが、彼は国際法の父として知られるフーゴ―・グロティウスよりも前の世代に属する国際法学者です。

ジェンティーリの説によれば、宣戦が敵国に対して布告されない状態で武力による攻撃を加えることはまったく不当な行為であり、嫌悪すべき野蛮な行為です。彼は古代のローマ法を参考にしながら、宣戦のために2段階の手続きを踏む必要があると論じました。第一段階で、自国が相手に最低限度として要求する事項を伝えなければなりません。相手はそれを受諾するのか、あるいは拒否するのかを選択しますが、その判断には時間を要することが普通であるため、ジェンティーリは猶予期間が設けなければならないとも主張しています。要求が拒否された場合、あるいは猶予期間が終了した場合に、はじめて宣戦が行われ、それから軍事行動を開始できるようになります。

これがジェンティーリにとっての理想的な宣戦の流れになりますが、宣戦の方法を法的に規定する見方に対しては反対する意見もありました。そのため、ジェンティーリの説は実務的にあまり厳守されていません。宣戦の方法を一定にできなかった背景には、さまざまな事情がありました。例えば、君主の命を受けた使節が敵国に派遣され、敵国の君主に親書を渡して宣戦することが慣習となっていましたが、開戦を何としても避けたい君主は、使節に謁見することを許さない場合がありました。このような場合には、使節は一方的に宣戦を行って開戦せざるを得なくなったのです。

16世紀から17世紀にかけて、宣戦の方法は条件付き宣戦と無条件の宣戦に分かれていきました。条件付き宣戦は17世紀のドイツの法学者クリスティアン・ヴォルフによって議論されており、これが後に最後通牒(ultimatum)の方法として定着することになりました。これは自国の要求を受け入れなければ宣戦することを相手に認識させることを可能にする方法であったため、宣戦をより戦略的交渉に活用しようとしていることが分かります。外交の歴史では18世紀の初めにロシア帝国とオスマン帝国の露土戦争で複数回にわたって使用されています。

18世紀に使節を通じて宣戦する方式が廃れていったことも重要な変化として指摘できます。同時期の法学者エメール・ド・ヴァッテルによれば、18世紀の中頃からはヨーロッパにおける通信網の発達によって、元首の名において世間に宣戦を公布する方式に基づく宣戦が定着していきました。いわゆる「宣戦布告」はこの公布に基づく宣戦の手続きを指しています。戦略的な観点から見れば、これは単に宣戦を行う法的手段が補完されただけでなく、国内外の世論をイデオロギー的に操作する新たな手段になったと言えるかもしれません。

宣戦布告という狭いテーマであっても、それを歴史的な観点から眺めてみると、戦争を取り巻く国際社会の制度が少しずつ変化する性質のものであることが分かるのではないでしょうか。

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