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世界のイチブをキンイロにした話



髪を金髪にして4ヶ月が経った。変わったことはといえば世界が少し金色になったことと、それなりに髪が痛んだことくらいだと思う。

初日は『え!どうしたの!?』というコメントがいちばん多かったのだけれど、それは大怪我をしちゃった人にかける問いであって、意気揚々と美容院から戻ってきたわたしには『わ!似合うね!』とかいってくれると助かる。そうなればわたしも「えへへありがとう〜実は気分転換で〜」などと調子に乗って話しだすので、結果的に "どうしたの?" に対する情報も得ることができるし大変にWin-Winだと思うのだ。
というわけでさっそくわたしの要望をみなに伝えたところ『うんうん似合ってるね』と死んだ目で繰り返すだけの人々が増殖してしまい、コミュニケーションマジいとをかしとなったのが昨年末のハイライトである。

そんなこんなで4ヶ月経った今、わたしの髪の色はみんなの日常になった。
大事な会議の前日に「あぁこんな髪色でぱっぱらぱーだと思われないかな、でも事実そうだしいっか。」とかあれこれ考えていたことすら遠い昔のようだ。
わたしがどんな風であろうと人は自分のペースでわたしに触れたり慣れたりきちんと飽きたりする。さらに言えば評価したり揶揄したりするその価値観はその人のペースでその時々移りゆくのだから、他人の目なんて山の天気みたいなものだと思う。
経験を積むことで予測の精度をあげてそれと上手く付き合っていくこともできるけれど、原則 "どうなるかまじでわからんもん" なのだ。

それはそうと、わたしは一度だけ人に『嫌いだ』と言われたことがある。おそらくもう何回か言われているのだろうが幸いなことにその一回しか思いだせない。
ひとに好かれたくて仕方のない人間であったわたしにとって "嫌い" というのはだいぶ重たいパンチだったのだけれど、誰それに嫌われるよりも自分が自分を好きになれないことのほうがよっぽど非常事態だというのをその時に学んだ気がする。

もちろんたいていの人はみんな誰かに好かれている自分が好きだしわたしだってそうだ。
でも誰かに嫌われたからといって自分を嫌いになってしまうのは、山で急に降りだした雨にいちいち落ち込むようなものである。
だからこそ、自分自身を好きでいられるかどうかをそんな不安定なもんに託してる場合じゃないのだ。


それでももし、どうしても急な雨に落ち込んでしまうことがあれば金髪になることをおすすめする。
結局のところ世界の一部を金色に変えられるのは自分しかいないんじゃないかしら。


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