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小説

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レビューが難しいなら小説を書けばいいじゃない ライブから生まれた小説
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美咲

美咲

「恋に落ちるのは簡単だけど、愛を持続させるのは難しいね」
ママがワイングラス片手に深刻そうに言うもんだから、あたしは盛大にむせた。塾から帰ってきて夜食のわかめうどんをすすっていたところだったから。
「なになになに?どうしたのママ」
お箸を置いてキッチンでワインをあおっているママの方を見る。パパがママの誕生日にプレゼントしたワイン、3分の1ぐらい空いている。
今日は塾で模試の結果が返ってくる日だった

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恵美子

恵美子

わたしはゆるやかな檻の中にいる。
スクリーンの中の暴力沙汰に目を奪われていても、数時間後には家で家族の夕食の支度をし、明日の弁当のためにおかずを取り分けることも忘れない。月曜と木曜には燃えるゴミを出し、週4日時給1000円のパートに勤しむ。
50歳既婚女性という檻。妻であり母であるという檻。簡単に抜け出せそうに見えて、結局はこの中でしか生きられない。抜け出せたとしても、また別の檻に入るだけ。わたし

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凛太郎

凛太郎

隣人の姿を初めて見た。
朝の散歩に出るために豆柴の小太郎を抱いてエレベーターを待っていると801号室のドアが開いて若い小柄な男が出てきた。
「おはようございます。802の内藤です」
「どうも、イヌイです。乾電池の乾で、乾です。」
ああ、乾。サッカー選手にいるな。乾貴士か。
「あの、犬、大丈夫ですか?あれだったら、お先にどうぞ」
このマンションにエレベーターはひとつしかない。ペット可物件ではあるが住

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礼央

礼央

むずむずもやもやする。春のせいだ。イライラする。体の奥で渦巻いている醜悪な欲望を誰かにぶちまけてしまいたい。相手は誰でもいい。大学にもバイト先にも僕のことを憎からず思っている女の子は複数いる。僕は何とも思っていないし下手すりゃフルネームすら知らない女の子たち。彼女たちの中から誰かひとりを選んで家に連れてきて享楽の限りを尽くしたところで虚しいだけだし、あとあと面倒なことになるから実行はしない。僕がい

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奈津

奈津

麻衣子に彼氏ができた。
P大文学部史学科古代史ゼミのエルサと陰で呼ばれている麻衣子のあんなにデレている姿、親友のわたしでさえ初めて見た。ハンス王子と出会って恋に落ちた夜のアナにも負けないくらいフワフワしている。
麻衣子の恋人はハンス王子じゃなくて27歳の学芸員。古墳マニアの二人の出会いは埴輪づくりのワークショップだったらしい。
もう一人の親友梢とわたしは、その彼に今日会ってきた。早く秀樹に報告した

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広海

広海

いつもの信号待ち。だいたい7時3分。2月も半ばを過ぎてずいぶん日の出が早くなった。交差点を隔てていても彼女の頬が赤いのがわかる。ほんの一瞬だけ、彼女が俺の方を見た気がした。
信号が青になる。
毎朝すれちがうだけ。
ひとつにまとめた長い髪。S女子高の制服。紺のハイソックス。黒のローファー。マフラーは白。自転車のフレームも白。学校指定の鞄と、スポーツブランドのリュック。
すれ違う瞬間は下を向いてしまう

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京子

京子

はあ、やっと着いた。わが故郷、クソ田舎。一応バスターミナルなんだけど、人がいない。かろうじてタクシーは1台待機していてほっとする。3年ぶりか?前帰ってきたときはじいちゃんの七回忌かなんかだったか。親戚からの彼氏はできたか結婚はまだかはやく親に孫の顔をうんぬんに心の底からうんざりしたし、空港から2時間強の距離も足が向かない理由には充分過ぎた。
それでも休みをやりくりして帰ってきたのは、樹里に会うため

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「こんにちは」
えーっと誰のママだっけ、ん?
「こんにちは。あ!」
わたしたちは、お互いのTシャツを見て指さしあって笑った。
デザインは違えど二人ともZAZEN BOYSのTシャツ。
子どもを迎えに来た幼稚園の門の前でこんなふうにわたしと美幸ちゃんの友情が始まった。

「フジロック今年も配信あるじゃん」
公園のベンチでわたしは美幸ちゃんとコンビニのアイスコーヒーを飲んでいる。
年長の遥と年少の晃、

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美幸

美幸

「じゃ、もう一回頭から」
テツヤの声。
わかってるよ。わかってるけどなんで?なんであたしがセンターでギター持って立ってんの?
ギターのトモちゃんもベースのケイコもうなだれて何も答えてくれない。そしてテツヤなんでお前がそこにいる?そこはあたしの場所!
「おかーさん!」
は?あたしはあんたのおかあさんじゃない!

「ねえ、おかーさーん!ちーちゃんのカエルさんのくつしたどこー?」

幼稚園の体操服姿の娘

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優子

優子

紙おむつ、トイレットペーパー、カゴのなかには6缶パックのビールと各種おつまみ、お菓子、パン、冷凍食品、そして抱っこひもでかかえた赤ちゃん。
ねえあなた、それどうやって持って帰るつもり?お節介かな?でもどう考えても途方にくれてるよね。
ドラッグストアのサッカー台。私はリップクリーム一本買ってポケットに突っ込んでさっさと帰るつもりだった。でもやっぱりこれは見過ごせないでしょ。
「カゴの中のもの、袋に入

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詩織

詩織

お腹が空いて泣く人に初めて会った。
それは私の息子。もうすぐ3か月になる。

そういえば前付き合ってた男が空腹で不機嫌になる奴だった。不機嫌になるのはいいとして、それをこっちが察して「お腹すいたよね。そこの○○で何か食べようか?」って解決策まで提示しないとならないという非常に面倒くさい奴だったのですぐに別れた。彼はきっとすごく世話焼きなお母さんに育てられて感謝も湧かないほどそれが当たり前になってい

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ゆい

ゆい

ずっとおかしいと思っていた。わたしがおかしいのかそれともこの世界がおかしいのか。

知らないおじさんに「かわいいね」と言われるとゾッとして吐き気がした。
祖父母と両親とランドセルを買いに行った時、ピンクじゃなくてブラウンを選んだらみんな少しがっかりしているように見えた。
漫画の主人公が男の子を好きになって、告白して手を握ってキスをして背景がお花畑になるのが理解できなかった。
修学旅行の夜はみんなの

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美華

美華

「田嶋美華って名前、かっこいいよな。」
多田が言った。
放課後の教室。今日は二人で日直なので、わたしは日誌を書いている。多田遼太は机と椅子の乱れを直して、床にゴミが落ちていないかチェックしている。
 「は?名前はかっこいいけど、顔はイマイチってか。」
こちとら伊達に16年間この名前で生きてきてないんだよ。
 「あ、ごめん。そういう意味じゃなくて、単純に四字熟語みたいでかっこいいなって…」

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秀樹

秀樹

 電話から彼女の声が飛んでくる。
「もしもし」
金曜日の23時過ぎ。
「あ〜もしもしぃ〜」
 酔ってるな。
「秀樹何してた?」
「ん〜、そろそろ寝ようかなって思ってた。」
歯、みがかなきゃな。
「どこ?家にいるの?飲んでるでしょ。」
 彼女、奈津は酔っ払って歩きながら電話してくる癖があるので前から心配なんだ。
「もう帰ってきたよ!秀樹が心配するから!」
ならよかった。
「今日ゼミの発表の日

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