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優子

紙おむつ、トイレットペーパー、カゴのなかには6缶パックのビールと各種おつまみ、お菓子、パン、冷凍食品、そして抱っこひもでかかえた赤ちゃん。
ねえあなた、それどうやって持って帰るつもり?お節介かな?でもどう考えても途方にくれてるよね。
ドラッグストアのサッカー台。私はリップクリーム一本買ってポケットに突っ込んでさっさと帰るつもりだった。でもやっぱりこれは見過ごせないでしょ。
「カゴの中のもの、袋に入れましょうか?」
20代後半かな?サラサラの長い髪を束ねた色白な彼女は振り向いた。
「えっ、いいんですか?」
私は2枚のレジ袋をシャカシャカいわせながら開いてどんどんわしわしカゴの中身を詰めていく。
「歩いてきたの?お家は近く?」
「はい。T公園の上のマンションです。」
あらうちのとなりのとなりじゃない。
「はいじゃあ、あなたおむつと、こっち持って。」
軽いものだけ詰めた袋を渡す。
「うちはあなたのマンションの二軒先だから、いっしょに帰りましょ。」
「えっ、あっ、ありがとうございます。」
彼女がついてきているのを確かめてから、私は出口に向かった。
「助かります。いつもは生協とネットスーパーですませてるんですけど、今日なんだかすごく風が気持ちよくて散歩のつもりで出てきたんですけど」
紙おむつのパックを提げた右手で赤ちゃんのお尻を支えて彼女が口を開いた。後れ毛がふわふわだ。
「ドラッグストアできてたの知らなくて入ってみたら何でも安いからついつい買いすぎちゃって…」
「ね、ここ安いわよね。私もビールと冷食はいつもここで買ってる。」
赤ちゃんは抱っこ紐の中ですやすや眠っている。白い肌とふさふさのまつ毛がママそっくり。
「かわいいね。3か月くらいかしら?」
「はい。来週で3か月です。ゆうたっていいます。悠久の悠に太いと書きます。」
「あら、わたしはゆうこっていうの。優しいに子どもの子よ。」
話しているうちに彼女が住むマンションに着いた。彼女は左手に持ったレジ袋を右手に移動させ、ジーンズの左のポケットから鍵を取り出してオートロックを解除した。
「玄関までいっしょに行くね。何階?」エレベーターのボタンを押しながら訊く。
「3階です。」
エレベーターは少し揺れながら3階に着いた。
「ここです。本当にありがとうございました。」
303と表示されたドアの前で彼女が振り返る。
「よかったらお茶でも、って言いたいところなんですが…」
「いいのいいの!そんなつもりないわよ。さあさあ入って入って!靴ぬぐとき気をつけてね。足下見えづらいでしょ。荷物ここに置くからね。」
彼女が鍵を開けて部屋に入るところまで確かめてから帰ろうと背をむけていたら、
「あっ、ちょっと待ってください!まだ帰らないで!」
しばらく待っていたらドアが開いた。
悠太くんはお家の中。彼女だけが出てきた。
「あの、LINE交換しませんか?今日のお礼もしたいし、また会ってお話ししたいです。」
あらあら。
「ふふ、いいわよ。こんなおばさんでいいのかしら。」
「そんな!よろしくお願いします!詩織です。ポエムの詩に織物の織です。」
「はい、改めまして、優子です。よろしくね。」

17年前、私は今日の詩織さんみたいに途方にくれていた。
3か月になったばかりの息子をベビーカーに乗せて買い物した帰り道、息子がふんぞり返って泣き出した。
どうしよう。荷物めいっぱいベビーカーにぶら下げてる上に、抱っこ紐持ってくるの忘れてしまった。
家までまだまだある。どうしよう。
「大丈夫?荷物持つから、はやく抱っこしてあげて!」
後ろからパンツスーツ姿の女性がベビーカーのフックにかけた買い物袋をサッサッととりあげた。
「ほら、大丈夫だから。」
「あっ、はい!」
ベビーカーのベルトを外して息子を抱き上げた。息子はしゃくりあげながらも大人しくなった。
「荷物、ベビーカーにのせるね。わたしが押していくから、赤ちゃんしっかり抱っこしてて。」
息子を抱いて、荷物をのせたベビーカーを押す彼女と並んで歩いた。
「赤ちゃんっていいわよね。奇蹟が服着て寝てるんだもん!」
ほんとだ。私は奇蹟を抱いている。
彼女は家までついてきてくれて、玄関の前にベビーカーを置いて帰って行った。
「あなたもいつか、今日のあなたみたいな人を助けてあげて。わたしもそうだったから。」

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