京子
はあ、やっと着いた。わが故郷、クソ田舎。一応バスターミナルなんだけど、人がいない。かろうじてタクシーは1台待機していてほっとする。3年ぶりか?前帰ってきたときはじいちゃんの七回忌かなんかだったか。親戚からの彼氏はできたか結婚はまだかはやく親に孫の顔をうんぬんに心の底からうんざりしたし、空港から2時間強の距離も足が向かない理由には充分過ぎた。
それでも休みをやりくりして帰ってきたのは、樹里に会うため。高校時代の親友で、あたしの初恋の人。
2週間前、樹里からLINEでなつかしいパフェの写真が送られてきた。高校生のころ、二人でよく行った喫茶店のプリンパフェ。「980円に値上がりしてた!」つづけて大きなお腹がよくわかる横向きの樹里の全身の写真。
「こっちで産むことにしたよ!今実家!」
「予定日クリスマスイブなんだけど!笑笑」
樹里とは小学校からいっしょだったけど、仲良くなったのは高校に入ってから。
「これ、自分で作ったの?」
黒のエナメル風の生地のペンケース、裏地はヒョウ柄のフェイクファー。
「あたしにも作ってよ、イロチで」
濃くて眩しいフューシャピンクのオーラが見えた気がした。これはイチゴじゃない、ラズベリーかクランベリーみたいな匂い。あたしの中で鍵穴に鍵がはまるような感覚があった。高1の春、休み時間の教室で恋に落ちた。
デザイナーを目指していたあたしは、樹里にあらゆる服を作って、スタイリングして、ヘアメイクして写真を撮りまくった。学校行って部活のバスケもやって、どんなふうに時間をやりくりしていたのか自分でも不思議だけど、そういえば授業中はほとんど寝てたんだった。
卒業後あたしは服飾の専門学校へ進んだけど、樹里というミューズを失ってモチベーションは下がるし、クリエイターとして職を得られるほどの才能はないと早めに見切りをつけて、地道にショップ店員をしながら友達の劇団の衣装制作を時々してなんとなく夢にぶら下がって30歳になった。
樹里は地元の国立大学に進学後、大手出版社を目指すも全滅、地元のタウン誌の編集部で雑用から始めて副編集長と言う名の中間管理職の極みみたいな役職で必死になっていたら心身ともに病んでしまって27歳で退職して暇を持て余して出かけた婚活パーティーで相手を見つけてサクッと結婚して専業主婦をしている。県庁所在地の人気エリアの新築マンションに暮らしている。
樹里にタクシーに乗ったとLINEすると、
「坂の下のコンビニでコーラとポテチ買ってきて!コーラはゼロとかじゃなくてふつうのコーラ、ポテチはコンソメで!」
と返信が来た。
あたしは坂の下でタクシーを降りて買い物を済ませて樹里の実家へ向かった。
この坂何回登ったかな。
チャイムを鳴らすと大きなお腹を抱えて樹里がドアを開けてくれた。
「京子ー!いらっしゃーい!」
あ、樹里、結婚式の時の100倍ぐらい幸せそう。表情と、まとってる雰囲気がまるくて温かい。お母さんになるんだなあ。
いつもの2階の樹里の部屋じゃなくて、リビングに通される。
「京子来るっていうからママがおまんじゅう買っておいてくれたよ」
樹里はポテチとコーラ、あたしは甘酒まんじゅうとお茶。ちょうどおやつの時間。
「えーもう2週間ぐらいあとには生まれてるかも?」樹里のまんまるいお腹、なんかドキドキする。
「そうよー。なんかいよいよって感じしてきたよ!」
「楽しみ?不安?」
「半々。
でもね、実家帰ってきてやっと楽しみも不安も自分のこととして感じられるようになったの。
義母さんがね、なんていうか、わたしを通り越して『うちの孫』を見てるんだよね。
いやありがたいしそうなって当然だとは思うけどどうしても息苦しくてさ。
だって腹ん中に入れてるのも産むのも育てるのもわたしだよ?
わたしが産むのはわたしと悟の子なの。まあ義父母とうちの親の孫でもあるけど。弟の甥でもある。あ、男の子だって。別に知らなくてもよかったけど、エコーで見えちゃったんだ」
樹里はお腹をくるりと撫でさすって笑った。
ああ、あたしはやっぱりこの人が好きだな。本当の気持ちを話すとき少し悪い顔をするこの人が好きだ。あたしはこの人の共犯者でいたい。
この気持ちを伝えることはないけど、ずっと樹里のことが好き。お母さんになる前の樹里に会えてよかった。
「ねえ京子、この子のさ、おくるみ作って」
「作る作る!東京戻ったらすぐ生地屋行く!どんなんがいいかな?」
夕飯食べて行きなよ、と引き止められたけど、
「3年ぶりだし自分の母親のご飯食べたいわ」と断った。
別れ際、樹里のお腹をなでて、
「待ってるよ。会いに来るからね」
と話しかけた。
母が仕事を終えて坂の下のコンビニまで迎えに来てくれた。車買い替えてたのを知らなくて、クラクションを鳴らされる。
助手席に乗り込む。
「ただいま。ご無沙汰してます」
久しぶりすぎてちょっと他人行儀になってしまう。
「おかえり。元気そうで何よりです」
母もやや他人行儀に返す。
「ねえお母さん。孫の顔見たいとか思う?」
多分あたしはお母さんに孫を抱かせることはできないよ。結婚も多分しない。2年近く付き合っている恋人は二つ年下の美容師をしている女性。今一緒に住む部屋を探してて、引っ越すタイミングで彼女のことをどう紹介しようか迷ってる。
「うーん、お母さんは、孫ができたらうれしいよ。
でもそれは、お母さんがうれしい、ってだけよ。
妊娠も出産も子育ても、京子がするんだから。
結婚してもしなくても、子ども産んでも産まなくても、京子が決めることでしょ。お母さんを喜ばせるためにすることじゃない。
今の京子は幸せそうに見えるよ。
お母さんはそれでいいと思ってる」
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