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秀樹

 電話から彼女の声が飛んでくる。
「もしもし」
  金曜日の23時過ぎ。
「あ〜もしもしぃ〜」
 酔ってるな。
「秀樹何してた?」
「ん〜、そろそろ寝ようかなって思ってた。」
 歯、みがかなきゃな。
「どこ?家にいるの?飲んでるでしょ。」
 彼女、奈津は酔っ払って歩きながら電話してくる癖があるので前から心配なんだ。
「もう帰ってきたよ!秀樹が心配するから!」
 ならよかった。
「今日ゼミの発表の日だったんだけど!」
 ああそうか第4金曜日。
「ちょっときいてよ!秋山の奴が!」
秋山は奈津の同級生、僕の2年下の後輩。奈津の友だちの梢ちゃんとつきあっていたはず。
「梢と別れて2年のクソバカ女に乗り換えたんだよ!」
えっ、なんでまた。
「今思えばあいつゼミ入ってすぐから秋山にターゲットロックオンだったよ。それに引っかかる秋山も秋山だよ。もー腹立って腹立って!」
 人のものを盗ることで自分の力を誇示するタイプの人間はどこにでもいる。目の前のエサに何の迷いもなく食いつく輩も。
「それより梢がわたしと麻衣子に話してくれなかったのがショックでさ…」

 梢ちゃんと麻衣子ちゃんは奈津の親友だ。僕が新幹線で2時間の距離の町に就職を決めたとき、二人に呼び出された。
 「先輩、奈津のことはどうするんですか。」
 身長170センチ越えモデル並みのスタイルでクールビューティーの麻衣子ちゃんが僕をギロリとにらんだ。
 「どうするって…僕は別れるつもりないよ。距離はどうしようもないし、生活も変わるから、今までどおりにはいかないけど」
 いつもは怖い(失礼)麻衣子ちゃんとおしゃべりな奈津の影で控えめな梢ちゃんが僕の目をまっすぐに見て言った。
「奈津も同じ気持ちだと思うので、これからも奈津のことよろしくお願いします。」
「そんな、僕の方こそ。奈津のことよろしくお願いします。」
僕は思わず頭を下げていた。

「梢ちゃんは二人に心配かけたくなかったんだね。それに、奈津と麻衣子ちゃんで秋山とその女の子になんかしそうだし…」
「ぐっ…秀樹、梢と麻衣子とわたしのことよくわかってるじゃん…」
やっぱり。
「今日梢が発表のあとの飲み会行かないっていうからおかしいとは思ってたの。梢いつもおとなしいからわたし全然気がつかなくて。」
ゼミ発表のあとは大学裏の居酒屋で飲み会をするのがならわしだ。
「で、飲み会で秋山とあいつ、あやかっていうんだけどさ、歌手の絢香とおんなじ絢香。二人でいちゃつきやがって!もうわたしと麻衣子は心を無にして中村先輩のバイクの話聞いて1時間半我慢して、会費置いて梢ん家に凸して連れ出して」
絢香の姿だけが「?」だけど、それ以外は容易に目に浮かぶ。
「3人で3時間歌って踊って甘いものもいっぱい食べてきた!」
「梢ちゃんは?少しは元気になったの?」
「うん。ていうか麻衣子が珍しく泥酔しちゃって、今日は梢が泊めるって」

 いつもこんなふうに彼女は自分の話したいことを機関銃みたいに僕の耳にふりまいてくれる。それがとても心地よくてこのまま眠ってしまいたくなる。そして、今日も別れ話じゃなくてよかったと胸をなで下ろすんだ。

 「ねえ、クリスマスはどうしてる?わたし、そっち行こうかな。」



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