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【映画解釈/考察】Netflixアニメーション映画『失くした体』(2019)「メルロ=ポンティの身体図式と身体と世界の共感」


『失くした体』(2019)  ジェレミー・クラパン監督


 本作は、Netflixが世界配信するフランスのアニメーション映画です。カンヌ国際映画の国際批評家週間で賞を獲得し、またアカデミー賞長編アニメーション部門にノミネートされました。

 この映画の原作小説の作者は、『アメリ』の脚本を担当したギョーム・ローランで、本作でもジェレミー・クラパン監督と共同で脚本のクレジットがされています。

  特に、この作品ですばらしい点は、作品のテーマにも重なる、見る側の感覚を刺激するような、効果的な映像や音楽の配置がなされている点です。

 また、脚本が良く練られていて、抽象的で、哲学的で、寓話的なストーリーが緻密に、展開されています。

以下、『失くした体』の作品解釈・考察になります。

 (現在、Netflixで配信されています。) 

 
 『失くした体』は、作品を通じて、「孤独な運命を背負った青年が、身体を通して、新しい世界と邂逅する」過程を描いた作品です。

 まず、映画のプロットを大まかに要約しますと、 不慮の事故で、切断されてしまった青年ナウフェルの片手が、彼を助けるために(彼に何かを伝えるために)、医療施設を脱走して、困難を乗り越え、彼のもとを目指すストーリーと、彼が手を失うまでの回想シーンが、平行して展開されます。

1 メルロ=ポンティの身体図式とゲシュタルト心理学


  一見、突拍子のない話のように見えますが、フランスの哲学者モーリス・メルロー=ポンティの身体図式から考えると論理的な話の構成になっています。

 一般的に、私たちが知覚している表象とは、各感覚器官からの信号を、脳にある中央制御室みたいな場所で、視覚や聴覚などとして別々に認識され、それを統覚したものだと考えられがちです。

 しかし、メルロー=ポンティの身体図式では、ゲシュタルト心理学をもとに、各感覚器官から送られた信号が合わさって構築物(形態=ゲシュタルト)を形成し、それを表象として知覚し、自己の意識に影響を与えているとされます。

 ゲシュタルト心理学では、この根拠として、幻影肢が挙げられており、主人公の状況がまさにこれと一致します。  

 孤独の中を生きていた青年のナウフェルは、手をなくしたことで、より手の存在を認識することになります。

 そして、手を通して感じていた両親によって愛されていた幼少期の幸せな日々を思い出させ、孤独ではなかったことを再認識することになります。

2 聴覚を通した世界から触覚を通した世界へ

 主人公のナウフェルは、幼少期において、宇宙飛行士とピアニストを夢みる少年であり、手がナウフェルの元にゆく幻想的な描写にも有効に使われています。

 そして、この作品で、最も重要なのは、ナウフェルが、感覚に敏感な人物として綿密に描かれている点です。

 特に聴覚が繊細で、音に異常なほどの関心を示す人物として描かれています。

 その象徴として、幼少期から、常にマイクレコーダーをよく携帯しており、これがもとで不慮の事故にも結びつきます。
 
 また、インターフォンを通して、ガブリエルの声に恋心を抱くことになりますが、特に声は、内面の現前性を強く帯びていることから、音に敏感なナウフェルにとっては、恋をする充分な理由に、成り得えたわけです。

 つまり、手を失う前は、ナウフェルは、特に聴覚を通して、世界と繋がっている人物として描かれていました。

 そして、この作品が凄いのは、前述の通り、見ている側の感覚を刺激する点です。

 ナウフェルの敏感な聴覚を体現する音声表現だけではなく、新たに覚醒し始めた触覚が、ナウフェルのもとへ向かう手を通して表現されています。

ナウフェルの手がいろいろなものに触れていることによって、私たちの脳裡に、その触覚を効果的に想起させているのです。

 このことからも、この映画が、身体を通して私たちが世界と繋がっていることを描いた作品であることは、明らかだと言えます。

3 荘子の物化論と新しい世界


 そして、もう一つ大事なメッセージが、この作品には、込められています。

 それが、最大に感じられるのが、クレーンに飛び移るナウフェルが描かれている最後の場面です。

 これは、荘子の物化論が念頭にあると思われますが、ナウフェルが精神を風の音に集中させ、彼の呼吸を風に合わせることで、風と一体化し、飛び移ることに成功します。

 このことによって、ナウフェルは、以前ガブリエルに宣言した通り、孤独な運命から逃れるための新しい世界(あるいは、新しい自分)を発見することに成功します。

4 テープレコーダーに残された間身体性と世界の共感


 そして、ここで最も重要なのは、彼自身が感じた孤独の運命から逃れた新しい世界を、カセットレコーダーの音声を通して、彼女に伝えようとした点です。

これは、メルロ=ポンティの間主観性(間身体性)=共感の実践とも考えられ、当然、それは、私たちに向けてのメッセージにもなっています。

 そして、もう一つ付け加えておかなければいけないのは、効果的に描写されているハエです。

一見、不吉なことが起こる予兆のように見えますが、「塞翁が馬」のように、それは、新しい世界への入り口の象徴でもあると言えます。

5 happy hand


 そして、彼の手は、両親に愛され幸せだった日々の記憶をナウフェルに取り戻させ、ナウフェル自身が孤独な運命を乗り越えるための新しい世界を発見する手助けをし、やがて去っていきます。

 原作のタイトルは、『Happy Hand』であり、私たちが、身体を通して、世界や他者とつながっているという奇跡(軌跡)を改めて感じさせてくれる素晴らしい作品です。

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