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後悔するとしたら、もっと妻を愛せたはず。もっと、もっと、もっと、たくさんたくさん妻を愛せたはず(『僕は、死なない。』第16話)
全身末期がんから生還してわかった
人生に奇跡を起こすサレンダーの法則
16 本当に大切なもの
毎日、胸の中がチクチクと痛むのが普通になった。気道が腫れて胸の中に異物が詰まっているようで苦しくなってきた。喉も常に腫れている感じがして、3センテンス以上話すと痰が絡み、咳き込むようになっていた。思ったように会話ができない。代わりにジェスチャーで応える。胸の奥から痰がせり上がってきて、突然咳き込むようになった。
12月に入り、ついに痰に血が混じり始めた。
なんとか食い止めなくては……。
今の治療は、立川のクリニックと漢方だった。もう一つくらい、何かをプラスしたい。ネットで情報を検索する。すると、手当てのヒーリング治療のサイトを見つけた。なんとがん専門だ。本当に効くんだろうか? いや、効かなかったら止めればいいんだ。とにかく行動だ。さっそく予約を入れた。
12月9日、そのがん専門ヒーラーを訪ねた。ヒーラーは60代半ばだろうか、気難しい顔をした白髪の男性だった。
「山中です」老人は無愛想に自己紹介した。
ヒーリングを受ける前に僕は自分の状況を話した。9月に肺がんステージ4宣告を受けたこと、つい先日、原発がんのある部分がものすごく痛くなったこと、咳が止まらなくなってきたことなど……。そして一番聞きたい質問をした。
「治りますかね?」
山中さんは無愛想に言った。
「わかりません。私の経験では治った人もいますが、亡くなった人もたくさんいらっしゃいます」
「うむむ……」
「ここにうつぶせに寝てください」山中さんはベッドを指差した。僕はそこに横になった。
山中さんは僕の仙骨の部分に軽く手を当てた。しばらくすると言った。
「仰向けに」
僕は言われるまま、仰向けになった。山中さんの手が僕の胸の上を触れるように流れていく。僕がうっすらと目を開けると、山中さんは目をつぶり瞑想しているような表情で僕の胸に手を当てていた。
彼の手が止まり、指先が胸に触れる。そこはチクチクと痛む場所だった。なぜわかるんだろう? 不思議なことに、痛みがすーっと消えて行く。おお、すごい。こんなことってあるんだ。
「どうしてわかるんですか?」約1時間の施術の後、山中さんに聞いた。
「指がね、チクチクするんですよ」彼は無愛想に答えた。
「次の予約を入れたいのですが」僕は自分の効果を確認したので、すぐにでもまた施術を受けたい気持ちになっていた。
「ああ、予約ですね。しばらくは予約でいっぱいだから……次空いているのは21だね」山中さんは商売っ気なく、つっけんどんに答えた。
そんなに先なんだ……気を取り直して21日に予約を入れた。
「その次は?」
「28かな」
「じゃ、そこもお願いします」
がんと戦うアイテムがまた一つ増えた。
12月15日、温泉に入ることと、健康祈願の願掛けに、妻と日光へ日帰りで出かけた。
2人で電車に乗る。考えてみれば子どもたちのいない2人だけの旅なんて、本当に久しぶりだ。浅草から快速に乗って日光へ向かう。
電車の中でお茶を飲む。他愛ない話をする。窓の外の景色を眺める。目の前に微笑む妻がいる。僕はそれだけで幸せだった。いったい今まで、何を見てきたんだろう? 何をしてきたんだろう? 幸せはこんな目の前にあったのに。
12月の日光は寒かった。妻の指導で何枚も着込んできて正解だった。妻の言うことはいつも正しい。今まで、頑固な僕は妻の言うことをほとんど聞かなかった。だからがんになったのかもしれない。
駅を降りると冷たい空気が頬を撫でていく。スカッと晴れ渡った空は気持ちのいいくらい高かった。
2人で東照宮まで歩くことにした。日光の街並みをキョロキョロと見回しながら、あれこれおしゃべりをする。途中でお蕎麦屋さんに入り、ゆば蕎麦を食べる。身体が温まった。
平日だったせいか、東照宮は人がまばらだった。有名な「見ざる・聞かざる・言わざる」はかわいらしく建物の上にいた。
東照宮の中に入り、2人で手を合わせる。
「どうかがんが治りますように」
「どうか生きる時間が続きますように」
帰りの電車の中、疲れて眠っている妻の顔を見て思った。ああ、この人と結婚して本当によかった。何もしていなくても、2人で一緒にいるだけで幸せ。胸が痛かろうが、血を吐こうが、僕は幸せだ。
僕の周りにはたくさんの人がいる。みんな僕を大切に思ってくれている。みんな、全員なんだ。こんなにも僕を大切に思ってくれている人が「いる」ということ。
「いる」んだ、僕には。なんて幸せなことなんだろう。
僕には愛する妻がいる。子どもたちがいる。父や母や姉がいる。会社の仲間がいる。ジムの仲間がいる。いる、いる、いる、いっぱいいるんだ。
12月中旬を過ぎると、胸の痛みはさらに強くなってきた。痛み止めのロキソニンを飲むことが多くなってきた。なるべく飲みたくなかったのだけれど、痛みを我慢していると体力の消耗が激しかった。
立川のクリニックでがんの好転反応のことを聞いてみた。様々な治療が功を奏し、がんが快方に向かっているのであれば、何か好転反応のような兆しがあるのかもしれない。また、そういう兆しが自覚できれば心の支えになる。
「わかりません」ドクターはそっけなく答えた。
なんだ、わからないのか。もしかするとこのドクターはあまり患者の状態を観察したりヒアリングしたりしない人なのかもしれない。そういえば、いつも鍼治療の後で出てきて、3分診療どころか1分くらいで終わっちゃうし。うーん、参考にもなりゃしない。
「先生、がんが時々痛むんです。そういうときは痛み止めを飲んでもいいですか?」痛み止めはもう既に飲んでいたが、確認のために聞いてみた。
「それはダメです。西洋医学では痛みを感じないように……」ドクターは西洋医学の批判を始めた。いやいや、僕、すっごく痛いんですけど……死を覚悟するほど痛いんですけど。ドクターは一通り西洋医学の批判を終え、僕の目を見て言った。
「がんに痛みはありません」
「いや、でも実際、痛いんです」
「私の今までの治療経験で、がんが痛いということはありません」
「じゃあ、なんなんでしょうか?」
「わかりません」
なんだよ、答えになってないじゃないか。食事指導や免疫神経などは専門だけど、がんに対する痛みとか対処とか、そういったものには全く頼りにならないじゃないか。
これは自分でどうにかするしかない。先日会ったヒーラー山中さんのほうが、そういったことはよっぽど詳しかった。
12月の下旬になると、大きく息を吸うだけで胸が痛くなった。そして、喉が腫れ、声が嗄れ始め、すぐに森進一のようなスーパーハスキーボイスになった。もう、以前の声が思い出せなかった。僕の声を聞いた妻は、毎日はちみつ大根を作ってくれた。喉にいいらしい。
毎晩びしょびしょに寝汗をかき、パジャマを3回は替えるようになっていた。咳をすると血が混じることが普通になった。
ある日、久々にジムに顔を出した。真部会長や教えていた選手たちが心配して話しかけてくる。
「大丈夫、必ず治るから!」
にこやかに返すが、嗄れた声が自分でも痛々しく感じた。
僕の嗄れた声を聞くと、みんな一瞬びっくりしたような顔をした。
「俺たち、信じてますから。刀根さんなら絶対に治るって、信じてますから」
ボクサーたちはみんな優しくて気持ちのいい連中なんだ。
ジムにいるみんなが元気に動いていた。サンドバッグを叩く。ロープを飛ぶ。パンチングボールを叩く。向かい合って殴りあう。つい数カ月前まで僕がいた世界。しかし、もう遠くに行ってしまった。
選手や練習生たちの躍動する身体を見ているうちに、涙が出てきた。
僕はもう二度と、こんなふうに身体を動かすことはできないんだ……もう、二度と……。
1人で家にいるとき、ふと気づくと、掛川医師の声が頭の中にこだましていた。
「胸が、痛ーくなります」
「咳が止まらなくなります」
「痰に血が混じります」
まさに、まさにヤツの言った通りになっているじゃないか。じゃあ、次は……。
「水が飲めなくなります」
「だるくなります」
「寝たきりになります」
うわー、いやだ、いやだ。
僕の背後にはいつも死神が立っていた。
「ほら、無駄な努力なんだよ。お前は死ぬんだ」
「いやだ、僕は死なない。死ぬわけにはいかない」
「がんになったらみんな死ぬんだ、諦めろよ」
「絶対に諦めない。最後まで抵抗してやる。この戦いは勝つしかないんだ」
「ははは、お前はもう長くない。春まで生きれると思うか? 無理だね無理。桜なんて見れやしないぜ」
「うるさい! 僕は桜を見てやるんだ。妻と2人で新宿御苑に花見に行ってやる!」
「行けるもんか。桜が咲く頃、お前はもう生きてなんてない」
「やかましい!!!」
無意識に死神と会話をしている自分がいた。
まずい、これ以上ヤツと話すな。底なしネガティブの無間地獄に引きずりこまれるぞ!
考えるな、考えるな、未来のことなんて、考えるな。
今だ、今。今のことだけ、考えるんだ。今できること、今やること、それだけに意識を集中するんだ。
しかし、ふとしたときに死神は僕の背後にやってきて、恐怖で心をわしづかみにするのだった。
2016年の大晦日がやってきた。
まだ、生きている。
体力が落ちているので、大掃除は子どもたちに任せて、僕は昔撮った写真データの整理を始めた。2002年から2003年までの家族の写真でいいものを選んでスライドショーができるように並べ直した。今は大学生で男っぽくなった2人の子どもたちも、まだ小さくあどけない表情で無邪気に笑っていた。僕も妻も若い。
うん、本当に楽しかった。幸せだった。面白かった。いっぱい笑った。いっぱい喜んだ。豊かな人生、本当にいい人生だった。
後悔するとしたら、もっと妻を愛せたはず。もっと、もっと、もっと、たくさんたくさん妻を愛せたはず。写真の中で笑っている妻の顔を見ていると、涙が出た。
本当にありがとう、僕と一緒に生きてくれて。
本当にありがとう、僕と一緒に時間を過ごしてくれて。
本当に、本当に、ありがとう。
次回、「17 転げ落ちるように……」へ続く
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