![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55670400/rectangle_large_type_2_2efecb567f182dbf46e43d5edecb553b.png?width=800)
「これはね、刀根君が自分で決めて、自分で起こしていることなのよ」(『僕は、死なない。』第22話)
全身末期がんから生還してわかった
人生に奇跡を起こすサレンダーの法則
22 魂の計画
入院を決めた6月8日の夜、フェイスブックに書き込みを入れた。
実は僕は肺がんステージ4のことは、周囲の人にほとんど知らせていなかった。親しい人にしか話していなかった。
僕が肺がん、しかもステージ4と聞き、「ああーもうすぐ死ぬな、この人」みたいな目で見られたくなかったし、特別扱いされたくもなかった。
がんを治してから「いや実は肺がんステージ4だったのですが、治しましたよー」とさり気なく発表したかった。
しかしそんなことを言っていられる状況ではなくなってしまった。今、僕は限りなく絶望的な状態に置かれていた。
昨年、寺山先生のワークショップで知り合ったがん仲間が1月に他界した。10月には一緒に山登りをするほど元気だったのに、11月に脳転移が見つかり、12月に入院。放射線治療を行なったものの、1月下旬から連絡が取れなくなった。
彼女とのラインのやり取りが忘れられない。
「このライングループは私にとって光でした」
「私はもう、いいかなって思っちゃってます」
「みんなはきっと治るって信じてます」
……それきりラインが途絶えた。その約2週間後、知人を介して彼女が新たな世界に旅立ったことを知った。
なんで……なんで諦めたんだよ! 諦めちゃ、終わりじゃんか!
悔しくて、悲しくて、僕は彼女の笑顔を思い描いて、泣いた。
しかし、同じ病気を患っている僕もその可能性があると、すぐに気づいた。脳に転移したらやばい、脳転移したら生きて退院できない。しかしそれが僕の現実となってしまった。
僕の病気を知らない人にとって、次の連絡が死亡通知じゃ申し訳ない。せめて現状だけでも伝えよう。
「皆様にご報告があります。
昨年9月1日に肺がんが見つかり、しかもそれがいきなりステージ4でした。
当時の最新の薬は効かず、従来の抗がん剤しか方法がないと言われたのでそれを断り、食事を中心とした代替医療をやってきました。
自分的にはまあまあ体調はよいかと感じてたのですが、最近ちょっと息苦しかったりしたこともあり、先月久々にCTを撮ってみたら脳に腫瘍が見つかりました。
肺がんも進行していたようですが、ドクターからは肺よりも待ったなしの状態で、すぐに放射線治療をするべきとのことでした。
おそらく来週中には入院治療に入ると思います。病院は東大病院です。
フェイスブックでは治ってから完治の報告を皆様にしようと思っていたのですが、ちょっと先になりそうなので、とりあえず中間報告という形にしました。
いきなりのことで皆様にはご心配をかけると思いますが、僕としてはここからが本領発揮のいい機会になるのではないかと思っています。ここからの逆転V字復活をご期待ください。
ただし、僕はがんとは戦いません。がんも自分の身体の一部ですからね。役目を終えて静かに消えていってもらえばいいと思っています」
すると、あっという間にコメントが入り始めた。疎遠になっていた人たちからも、どんどんコメントが入ってくる。
「刀根先生、大変ショックです。先生のおかげで心理学は私のスキルの一つになり、現在キャリアコンサルタントをしていますが、大変役に立っています。必ず回復してください。退院したら会いに行きます!」
「とにかく完治を祈ることしかできませんが、現状と向き合う刀根さんの心意気がよき方向に向かうことを祈念いたします。朗報お待ちしております」
「無理せず、本当にキツイときはいつでも言ってください。古い仲ですから(笑)、何か力になれますよ!」
そして、寺山先生からも入っていた。
「報告をありがとうございました。とてもよい機会です。本領を発揮されますことを祈っています。脳に腫瘍とのこと、膿で血液が汚れ、ストレスを与え続けたのでしょうね。いよいよ本領を発揮して、真剣に癒しのことを感じてくださいね。がんは治る病気です。今の医療では、とても難しい病気だといわれています。治る方法は、とても簡単です。頭の中を空・無にできるかにかかっています。全てを腑に落とすことです。成功を祈ります。寺山心一翁」
コメントの数は100を超えていた。
こんなにもたくさんの人が心配してくれているということを、僕は思いもしなかった。全くの予想外だった。コメントの一つひとつを読み、相手の顔を思い浮かべる。思い起こすみんなの顔はなぜか笑顔だった。ありがとう、ありがとう、みんな、ありがとう。読みながら手を合わせた。
僕は全てを1人で背負い、1人で戦わなければならないと思っていたのかもしれない。僕は今までいったい何に対して意地を張っていたのだろうか。もっと早く『助けて』と言えばよかったんだ。もっと早く『苦しい』って言えばよかったんだ。プライド? そんなプライドなんてクソだ。カッコつけて何になるっていうんだ。プライドなんて捨てよう。もっと素直になろう。
ふと見ると、メッセンジャーにメールが入っていた。
「刀根君に会いたいです。近日中に会っていただけますか?」
それは20年以上会っていない友人、フジコさんからだった。
僕は翌日、入院に備えて中野の健保協会に『限度額適用認定証』をもらいに行く予定だった。すぐに返信をした。
「明日、午後に中野へ行く用事がありますが、その後なら時間が取れます」
「会いましょう! 私は吉祥寺です」フジコさんは中野のすぐ近く、吉祥寺に住んでいるようだった。
「時間がわかったら連絡しますね」
「そうしてください。必ずだよ。がんという病気はものすごいギフトだと私は受け取っています。刀根君のこと、慰めたいとかそんなんではないの。でも、なぜそれを選択したのか、そこに寄り添いたい、奇跡に立ち会いたいです。病気は、医者にもセラピストにも治せないと思います。なぜなら、そこに意味があるから。そこまでして、魂からのメッセージを受け取ろうとしてる、刀根君の力になりたいです」
翌日、2017年6月9日。
僕は中野の健保協会で『限度額適用認定証』の申請を終えると、中野駅改札でフジコさんと待ち合わせた。
24年前、自己啓発系のセミナーで知り合ったときの彼女は、全身黒ずくめの衣装を身にまとい、鋭い眼光と本質を突く言葉で、皆に恐れられている存在だった。その後、彼女が結婚してから一度会ったきり、フェイスブックだけのつながりになっていた。
「刀根くーん!」
手を振りながら歩いてきた彼女は20数年前とは全く違っていた。以前のカミソリのような鋭さはなく、洋服も白とピンクを基調とした温かくて柔らかなものになっていた。
喫茶店に入るとフジコさんは言った。
「刀根君の記事読んで、これは私だと思ったの」
そして僕の目をじっと見て言った。
「あなたは、私なの……」
その言葉を聞いた瞬間、僕の胸の奥から熱いものがせり上がってきて、涙がどっとあふれ出した。
「泣きたかったんだね」
彼女は慈母のような眼差しで言った。
決壊したダムのように涙がとめどなくあふれ出していた。まるで迷子の子どもが母親に抱かれ、安心して流す涙のようだった。僕は泣いた。人目もはばからず、しゃくりあげ、とことん、泣いた。
少し落ち着いた頃を見計らって、フジコさんは言った。
「どういうことが起こってるか、わかる?」
どういうことって、がんのステージ4ってことで……。
「いや、よくわからないけど……」
フジコさんは僕の目をまじまじと見つめて言った。
「これはマスターレベルのことなのよ」
「マスター……?」
「そう。でなければ、こんなことは起こらない。いきなりステージ4とか、脳転移で緊急入院とか、そういうこと」
いわゆるスピリチュアルという世界では、魂が成長するために様々な課題を自分に課すと言われている。そのなかで最高難度、一番ハードなヤツが、マスターレベル。
だからこんなにハードなのか……。
フジコさんは言葉を区切るように、ゆっくりと言った。
「これはね、刀根君が自分で決めて、自分で起こしていることなのよ」
え?
これが?
自分で決めて、自分で起こしている?
もしかして……これは……。
僕の……僕の、「魂の計画」ってこと?
『魂』は人生の青写真を描いて生まれてくるという。今生で体験する重要な出来事や大切な人との出会い、それら全ては生まれる前に計画してくるというのだ。ということは、今回の僕の肺がんステージ4もフジコさんの言う通り、僕の計画だったということになる。
瞬間、僕の中で全ての出来事が一つの線上につながった。
そうか、わかったぞ。
なぜ、いきなり肺がんステージ4だったのか。
なぜ、他でもない僕だったのか。
なぜ、全力で立ち向かったのに、跳ね返されたのか。
そうか! そうか! だからか!
肺がんステージ4は、僕の魂の計画だったんだ!
次の瞬間、心の深いところから声が聞こえた。
「自分で作った計画なんだから、越えられるんじゃね? 越えられない計画は、作らないでしょ」
別れ際、フジコさんは言った。
「今日は会ってくれてありがとう。私の知っているヒーラーで河野さんという伊勢に住んでいる人がいるの。本物のヒーラーよ」
「そうなんだ。本物なんだ」
「うん。時々東京に出てきてるみたいだから、退院したらヒーリングしてもらったら? すごくいいと思うし、刀根君には必要だと思う」
「ありがとうございます。退院したら、行ってみますね」
でも、そのとき僕は退院するイメージは持てなかった。
次回、「23 悲しみよ、さようなら」へ続く
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?