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❓❕【哲探進歩/てったんしんぽ】❕❓…10歩目(経験は認識において味方にも敵にもなる)

🐾10歩目(経験は認識において味方にも敵にもなる)🐾
(「散歩」で気づきを得て、「探究+哲学」で考察を重ね、「進路」で学問・仕事と結びつける)

「散歩…気づきの土台・地面」
夜、飲み物を買いに近くの自動販売機に行った。コインを入れると、すぐに返却口に落ちてきてしまった。二、三度繰り返しても、やっぱり落ちてきてしまう。釣り銭切れかもしれないと思い確認するが、そうではないらしい。何か調子が悪いのだろうか。返却レバーを何度か下げてみたり、商品のボタンを押してみたりしてから再びコインを入れてみても結果は変わらない。

自動販売機は2台が並んでいたので、今度はもう一つの方にコインを入れてみた。しかし結果は同じだった。そして、こちらでもレバーを下げたり、ボタンを押してみたりしてから再びコインを入れてみても結果は変わらなかった。

「探究<課題の設定>…気づきの芽」
なぜ何度試してみても自動販売機にコインが入らないのだろうか(❓)。

「探究<情報の収集>…気づきへの無機養分」
これまで飲み物を買うためにコインを入れて上手くいかないとき、自動販売機の中の機械が正しくコインを認識できずに出てきてしまうことがあっても、何度か入れ直すと、角度なのか速度なのか、とにかく機械はコインを正しく認識し、飲み物を購入できる経験が何度となくあった。

これは自動販売機に限ったことではなく、コピー機などでも同様である。コピーを急いでいるときなど、矢継ぎ早にコインを入れると、何枚かがそのまま出てきてしまうことがこれまでもあった。こういったコインを認識する機械は、ある程度ゆっくり入れなければ、コインのいくつかを認識し切れずに、返却口に送ってしまうのだろう。実際、戻ってきたコインを一枚一枚落ち着いて入れると、大抵の場合は、しっかり認識されたという記憶がある。

ゆっくり入れないと戻って来てしまったという経験は、牛丼チェーン店などの券売機にも当てはまるものであった。これはコインだけでなく、紙幣などは少し角度がずれていたりすると戻ってきてしまった記憶がある。

また最近はコンビニでも会計の際、店員に代金を渡さず、自分でコインや紙幣を機械に投入するものが普及してきていて、小銭を一気に入れたとき、いくつかが戻って来てしまうことがある。

「哲学…気づきへの水」
イギリス経験論の祖であるフランシス・ベーコンは、人間が過去の事例を集めて一般法則を導く帰納法を用いるとき、誤った結論を導いてしまわないように偏見や先入観を取り去ることの大切さを主張した。彼はこの偏見・先入観を「イドラ(偶像)」と呼んだ。

ベーコンによればこのイドラは4種類に分けられる。一つ目は「種族のイドラ」と呼ばれ、人間という種族が持つ特徴が原因となって生じる偏見・先入観である。人間の感覚器官によって生じる錯覚が典型的なものであり、例えば、水が入っているコップの中にあるストローが曲がって見えるので、実際にストローが曲がっているのではないかと思い込むものがこれに当たる。二つ目は「洞窟のイドラ」と呼ばれ、個人的な環境の中で得られた経験が原因となって生じる偏見・先入観である。例えば、自分の家で当たり前になっている食べ方が、世間においても常識であると思い込むものがこれに当たる。三つ目は「市場のイドラ」と呼ばれ、人間集団の中で言葉が正しく使用されなかった場合に生じる偏見・先入観である。例えば、誰かが流した根拠もないはずの噂話が、伝言ゲームのように広がっていき、それが事実であるかのように思い込むものがこれに当たる。最後は「劇場のイドラ」と呼ばれ、カリスマ性や権威などが原因となって生じる偏見・先入観である。例えば、芸能人やその分野で知られている専門家などが、ある食べ物によって新型コロナウイルスに感染しないと発言したことを受け、それが間違いのないことと盲目的に思い込むものがこれに当たる。

「探究<整理・分析>…気づきの剪定」
実際、自動販売機などコインを認識する機械には、1日に相当な数のコインが投入されているわけで、コインと機械の摩擦もかなりのものであり、新品に比べると認識する精度は徐々に下がっていくもののように思われる。だから、コインが戻って来てしまうということの「『根本的』な原因は自動販売機である」と考えられる。

また、ゆっくり投入するなど入れ方さえ気をつければコインが認識されるというのも、「『直接的』な原因は人間によるコインの入れ方にある」かもしれないが、その受け皿となっている自動販売機が正しく認識できるかどうかの問題が元々あるわけで、やはり「『根本的』な原因は自動販売機の側にある」ということになるだろう。

私はこうしてこれまでの経験則に基づき、「根本的な原因は自動販売機の側にある」と完全に思い込んでいた。

しかし本当に「『根本的』な原因は自動販売機の側にある」のだろうか、いつも以上にコインを入れ直しているうちに、私の頭の中にはそんな疑念が浮かび上がってきた。そして、疑念の矛先は手元のコインに向かった。

そこで、私はここまでの内容も含めキャンディ・チャートを使いながら、考察をスライドにまとめることにした。

最初はこれまでの経験から、自動販売機のせいにしてきた。しかし、機械は自ら途中で仕様を変えられるはずはない。もし仕様が変わるとすれば人間が手を加える必要がある。それはコインについても同じことがいえる。そしてコインの方には、人為による仕様変更の痕跡がはっきりと見てとれた。

コインは今までのものとは違っていた。今までならば、縁のギザギザは均等だったが、このコインのそれは不均等だった。また今までならば合金か特定の金属かに関わらず、同じ種類のコインならばその一枚の色は統一されていたが、これは明らかに二色で彩られていた。

私の手元にあったのは新しい「500円硬貨」だったのである。これが流通し始めたのは最近だったはずである。だから、コインの側の仕様が新しくなって、世の中に仲間入りしたというわけである。そのため自動販売機はこの新参者を受け入れる準備ができておらず、コインを認識することができなかったということになる。

それにもかかわらず、自動販売機にコインが拒絶される出来事を、今まで存在していたコインと同じように捉えて、自動販売機のせい(不調、不具合)と決めつけてしまうのは前提が間違っているわけである。

私は当初、自分自身の狭い経験だけで自動販売機の側に根本的な原因を押しつけていた。それはまさにベーコンがいうところの「洞窟のイドラ」の状態だったといえる。

「探究<まとめ・表現>…気づきの花」
ある出来事の一瞬の場面だけを切り取ると、どこに原因があるか正しく認識されないことがある。今回の場合、コインに比べ、複雑な構造を持つ自動販売機の方が不調や何らかの変化が起こる可能性が高く、また何度か入れ直せば購入できる経験もあって、原因は自動販売機にあると決めつけやすい。しかし原因がどこにあるかは、偏見や先入観を排除してフラットに事象を見つめ、あらゆる可能性を分析することが大切である。

こうして自動販売機にコインが拒絶される原因は明らかになり、疑問は解決した。しかし飲み物を買いたいという問題は解決していないし、何か工夫をすればこの場で解決できるというものでもない。

結局、新500円硬貨一枚しか持っていない私は、寂しく家に帰ることにした。

「進路…気づきの果実」
今回の考察によって、自分の経験や表面的な問題だけを材料にせず、偏見・先入観を排除した推論が大切であることが明らかになった。ここから、学問の一例として「機械工学、貨幣学、金属工学、デザイン学」など、仕事の一例として「自動販売機製造・管理運営業、自販機補充員、鋳物工」などが連想される。

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