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アンラーン💣リラーン📚ためらわん♫run71

⭐卒業生の姿を見ることは答え合わせみたいで、ワクワク半分・ドキドキ半分⭐️
(これまでの虚栄を解きほぐす「unlearn」のため、頭の中を刷新する「relearn」を躊躇なく進めるための記録)

【記事累積:1915本目、連続投稿:849日目】
<探究対象…卒業生、二十歳のつどい、教育観、メッセージ>

先週末まで日本にいました。年末年始に一時帰国することはいつもですが、今回は年始からの滞在期間が以前よりも長めでした。それは先週末に行われたイベントに顔を出すためだったのです。そのイベントはシンガポール第二期の2018年度に中学3年生の担任をしていた学年の「二十歳のつどい」です。ここ十年くらいは海外に住んでいるため、卒業生と会う機会がなかなかなく、今回のイベントはコロナ収束後にようやく再開され始めた節目のイベントということで、スケジュール調整をして何とか参加することができたのでした。

こうして卒業生と会うと、いつも2つの気持ちが出てきます。それを擬態語として表現する場合は「ワクワク」と「ドキドキ」です。この2つの気持ちは重なり合っている部分もありますが、特徴的な部分に注目すると、前者はポジティブ要素が強調され、後者はネガティブ要素が強調されるものです。さて、どうしてそのような正反対にも思える感情が同時に生まれてくるのでしょうか。

卒業生に会うとき、数年経って彼らがどのように成長しているかを見ることは、間違いなく楽しみなのでそれはポジティブな要素が強調される「ワクワク」の気持ちです。卒業した後の生活の中で、どんなことに力を注ぎ、どんな苦労を経験して、現在の姿になっているのか、その話を聞くことは本当に楽しみです。

しかし卒業生に会うときの気持ちはそれだけではなく、「ドキドキ」の気持ちもあります。彼らが当時の学校生活をどのように受け止め、卒業していき、そしてこういった節目のイベントで、そのときの生活を振り返ったとき、どんな言葉でそれが語られるのか気になってしまいます。生徒たちは担任が誰になるか選べる立場にはないので、当時の担任が私ではなく別のクラスの先生だったら良かったのにと、どれくらい思っているのだろうかといつも考えてしまいます。最近よく聞く言葉に「〇〇ガチャ」というものがありますが、こういったイベントで彼らが当時の話をするときに、自分自身が「担任ガチャで残念」な部類だったかもしれないとドキドキするわけです。生徒への働きかけについて振り返るとき印象に残っているのは、うまくいったというものではなく、大体はもっとこうしておけばよかったというやり直せない反省ばかりです。

そのため彼らに会うことは、自分自身の働きかけの答え合わせのような面があって、ワクワクとドキドキが錯綜しているのです。そのせいでしょうか、この日ホテルをチェックアウトする前に部屋から眺めた朝日や、日中の東京駅あたりの景色は晴れ晴れとしていたのですが、開始時間が近づくにつれて雲行きが怪しくなり、開始1時間前にはみぞれが降ってきて、自分の心の中が天気と共鳴しているようでした。

これまで投稿してきているいくつかのコラムの中でも触れているので、繰り返しになってしまいますが、自分が担当したクラスの生徒に必ず伝えているメッセージとして、「コトバづかいに気をつけてカイワしよう」というものがあります。コトバは「言葉」であると同時に「言刃」なので使い方について気をつける必要があり、責任も伴うという意味でカタカナにしています。またカイワは「快和」や「皆輪」という形で、様々なコミュニケーションの大切さを示すものとしてカタカナにしています。

そのメッセージがどれだけ彼らが学校生活を送っていたときに伝わっていたか、そして彼らの先の人生の中でわずかながらにでも影響を与えているものかなどは、かなりの頻度で伝えていただけに気になるポイントの一つです。

今回の「二十歳のつどい」では、担当していたクラスの生徒は三分の一くらいが参加していました。彼らからは、現在どんな生活をしているか、どんなことに興味を持っているか、将来どんなことを目指したいかなど、色々な話を聞くことができました。当時、個人面談したときの面影はもちろんありますが、しかしそのときよりもしっかりとした口調で自分自身のことを語る姿に頼もしさを感じ、非常に嬉しい気持ちになれました。

また何人かからは「コトバづかい」の話もあり、自分の中で大切な思いをしっかり示し続けると、それは他者の心の中に残ってくれるのかなと思えたのでした。他には、生徒指導の際にかけた言葉を覚えてくれている生徒がいたり、私の黒板にカードをベタベタと貼る授業の思い出を話してくれる生徒がいたりして、働きかけの在り方について改めて考える貴重な時間となりました。

「よい書物を読むことは、過去のもっとも優れた人たちと会話するようなものである」
これはフランスの数学者・哲学者で大陸合理論の祖とされるルネ・デカルトの言葉とされています。

本は時間や空間を超えて、多くの情報と繋がるアイテムであり、そういった本との出会いによって想像力や共感力を豊かなものにしてくれます。また私自身、子どものときに先生などから紹介されたりプレゼントされたりした本というものがとても印象に残っていて、それがその後の自分の生活にも影響を与えてくれた実感があります。現代はネットによって簡単に情報を集めることができる時代ですが、本は単なる情報が刻まれている物体ではなく、そのような本に宿る素敵な力は現代でも健在だと思っています。そのような本との出会いを大切にしてほしいという思いから、離任するときのクラスや卒業で送り出すクラスの生徒には1冊ずつ本をプレゼントするようにしているのですが、そのことについて話してくれる生徒もいました。

彼らは成人となっているので、さすがに面と向かって「あのときの指導は嫌だった」とか「あの説教は今でも納得できない」ということは言われませんが、彼らから近づいてきて声をかけてくれたので、「担任ガチャ」は「超レア」ではないものの、「超ハズレ」でもなかったのかなと都合よく考えています。今後も、このように卒業生に会う際にワクワクだけでドキドキがなくなることはないとは思いますが、できるだけドキドキの負の部分について心当たりが大きくなってしまうことのないように、気を引き締めて児童・生徒へメッセージを伝えたり、働きかけをしたりしていこうと思います。

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