★我楽多だらけの製哲書(27)★~ラオスの記念日とハンティントン~
(これは2年前の12月1日に別のSNSに投稿した内容である)
9月終わりから考察的投稿が止まっていた。
(10月のインドボランティアは写真と簡単なコメントで、11月はラオスに来てくれた高校時代の友人による関連記事のみであった)
11月11日にはラオスのお祭りとしても最も大きいものの一つである「タートルアン祭り」があったが、その記事についても投稿の形をとれていない。
投稿が滞っている原因の99%は間違いなく「怠惰」である。ただ残り1%として、とてもありがたいことなのであるが、10月下旬から、大学入試共通テスト対策の問題集や模擬試験への問題・解説の提供が続いており、現在、並行して3つの原稿執筆に追われていることが影響していることは否定できない。
しかし月が変わり、今年もあと1カ月というところなので、節目であることと、明日12月2日がラオスにとって大切な日であることから、推敲不十分にはなるが投稿しておこうと思う。
今から44年前の1975年12月2日、ラオスでは1950年代半ばから続いていたラオス王国と人民革命党との内戦が終結し、そのとき開かれた全国人民代表者大会において王制の廃止とともに、「ラオス人民民主共和国(Lao P.D.R.)」の樹立が宣言されたのである。
つまり、12月2日はラオスの建国記念日なのである。11月下旬から、街の至る所に2つの旗が目立つようになってきていた。一つはラオスの国旗である。中央に円のデザインで日本国旗との共通性があり、何となく親近感を覚える。
もう一つの旗は、真っ赤な布地に黄色のマーク。そのマークは、工場労働者の象徴である槌(ハンマー)と農民の象徴である鎌(シックル)が交差したものであり、かつてのソ連の国旗を連想するが、これはラオス人民革命党の党旗である。
それから建国記念に関わるメッセージが書かれた横断幕も、政府関連の建物に掲げられている。また夜にはパトゥーサイ(凱旋門)やタートルアン近くの戦没者記念塔がある公園の周囲もライトアップされている。
人民革命党の党旗は、普段も店や家によっては掲げているので、珍しいわけではないのだが、真新しい国旗と党旗、そして真っ赤な横断幕の数の増え方から、自分が社会主義の国に住んでいることを改めて感じることができた。
歴史を遡ってみると、フランスや日本の支配、フランスの再植民地化などを経験したラオスであるが、第二次世界大戦後の1953年になってようやく王国としてフランスから独立を果たしたのである。それから第二次世界大戦後の世界が直面していたイデオロギー対立という潮流の中にラオスも当然に巻き込まれ、マルクス・レーニン主義を掲げる人民革命党の設立、そしてラオスはイデオロギー対立の前線の一つとして内戦に突入した。
そして先ほど述べたように、1975年12月2日、形式上はラオスにおけるイデオロギー対立が終結したのである。1975年の建国後、ラオスは社会主義国でありながら、中国やベトナムなどと同様、現実的に市場経済の原理を部分的に導入している。1979年に導入を決定し、1986年には「チンタナカーン・マイ(新思考)」というスローガンの下で「新経済管理メカニズム」を推し進め、1991年制定の憲法でもそれを規定している。(1975年建国後、1991年になって初めて憲法が制定されたということからも、1975年に内戦が終結したとはいえ、その後の道のりは平坦ではなかったということが創造できる)
ラオスが建国後初めて憲法を制定するちょうどその頃、世界全体としてもイデオロギー対立が終わろうとしていた。1989年11月9日に東西冷戦の象徴であったベルリンの壁が取り壊され、1989年12月2日から3日のマルタ会談で冷戦終結が宣言され、1990年10月3日には東西ドイツが統一を果たし、1991年12月25日のソビエト連邦解体という大変革があったわけである。
アメリカの国際政治学者サミュエル・フィリップス・ハンティントンは、ソビエト解体から5年ほど経った1996年に『文明の衝突』を著わし、その中で、冷戦時代のイデオロギー対立に代わる、新しい時代の対立軸は「文明」であると述べた。彼によれば、冷戦というイデオロギー対立の時代が終わった現代では、8つほどに分けられる世界の文明圏(言語・文化・宗教などを含む広い概念)同士が接する場所(「断層線(fault line)」と表現されている)において対立・衝突が起こり、これが新しい時代の対立軸ということであった。
イデオロギー対立の中で「世界で最も多くの爆弾が投下された国」と言われ多くの犠牲が生まれたラオスは、ハンティントンがいう文明圏ではないものの、彼の考え方の枠組みを借りるならば、中国・ミャンマー・タイ・カンボジア・ベトナムという異なる言語・文化・宗教の国々と接しているわけで、冷戦終結で平和になるどころか、むしろ文明の衝突という捉え方をすればさらに複雑な構造になっているのである。よっぽど自由主義陣営と社会・共産主義陣営という二元論の方が衝突の構造が単純である。
実際、様々な国々と接しているため、多くの外国資本が流入し、商業地開発・都市開発など着実に変化を遂げ、それゆえ文明の衝突のリスクが高まっているのではないかと思えてしまうラオスであるが、それでも圧倒的な上座部仏教の存在感のおかげなのか、首都ビエンチャンであっても、かつて西欧文明が専売特許とし、近年ではグローバルスタンダードという上着を羽織ったアメリカンスタンダードの専売特許である「商業主義的合理性」という悪魔または怪物に乗っ取られることなく、のんびりとした雰囲気に満ちていて、牧歌的な平和がここでは保たれている。ただ、中国資本の影響は日に日に増しているので、これから先のラオスが現在のまま続くことはないだろう。
(以下、2019年に撮影した建国記念日のビエンチャンの様子)
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