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◆バイキング採用試験化計画◆ まいに知・あらび基・おもいつ記(2022年12月26日)

物々しいタイトルですが、何のことはありません。バイキングでのトレーの使い方とか、動き方とかを観察すると、その人の性格とか行動パターンの一端が見えてくるような気がするというだけです。だから、それ自体を採用試験ですと公言するかどうかは別として、途中に食事を挟むグループワークなどの際に、その様子を見ることで、かしこまった面接のやり取りだけでは見えてこない特徴も知ることができるかもしれないので、採用試験の一つにしてみたら面白いかもという荒唐無稽な提案です。

確かどこかのバラエティ番組で、引き返すのは禁止で、どのようにトレー上にバイキングの料理を並べていくかを競う企画があったと思います。有吉やおぎやはぎなどが出ていたような気がします。

その企画では一人ずつの動きを観察する形で、トレーに大皿や小皿などをどう配置するか、どんな料理をどれくらいの量とっていくかなど、コンセプトやらバランスやらを他の参加者がモニター室で批評するものでした。大皿2枚使う人もいれば、大皿1枚にして残りのスペースに小皿を多めに置く人もいました。ただこの企画の場合、ハプニング要素を多くするため、先にどんな料理があるのか知らないことになっていて、後半に魅力的な料理が登場し、それを置く場所がなく苦悩したり、強引に他の料理に上によそったりして、笑いを誘っていましたね。

なぜ今日はそんな話をするのかというと、先日、日本に一時帰国してからは朝食バイキングを提供してくれるホテルの一つ東横INNに宿泊していて、バイキングが身近になっているため、ふと思ったわけです。ちなみに「バイキング」と似たような概念として「ビュッフェ」があります。後者はフランス語からきていて、セルフサービス形式で料理をとり、取った分に対して料金が決まってくるものです(国やお店によっては食べ放題の場合があるようですが、ビュッフェが自動的に「食べ放題」を意味するわけではないようです)。分かりやすいイメージとしては、オリジン弁当のお惣菜コーナーが構造上それに当たると思います。

これに対して前者は、セルフサービス形式で食事をとる点では後者と同じですが、こちらは多く取っても、少なく取っても料金が変わるものではなく、「食べ放題」の意味合いが当然に含まれるものと言えます。なお、調べてみるとバイキングという概念は日本発祥であり、別の国では通用しない可能性があるようです。

さて概念上の話はそれくらいにして、バイキングから見えてくるその人の特徴という論点に話を戻します。私の場合、目の前にきた料理をとにかくできるだけ選ぼうというタイプではありません。ここから「チャレンジ精神や思い切りはどちらかというと弱め」と言えるでしょう。

しかも時間をかけてから取らないではなく、何となくスルーしている感じです。ここから、判断スピードは速い方だが、明確な基準に基づくものというよりは、「インスピレーション頼み」と言えるでしょう。

しかし、通り過ぎた後にやっぱりさっきの料理をとればよかったと引き返すことが多いです。ここから一度決めたら毅然と進むというよりも、クヨクヨとさっきの判断の是非を「引きずるタイプ」で、さらには、混んでいたとしても引き返したくなるので、「自己中心的」と言えるでしょう。

それからお皿の使い方について考えると、最初はきれいに配置することにこだわっているかのような感じですが、取りたい料理との出会いが次々にやってきてしまい、サラダやオムレツなどで席が埋まっているにも関わらず、配置という原理を途中で放棄して、それらの上に麻婆豆腐を乗せてしまうようなカオスに舵を切ることもあります。ここから、余裕があるときは理性的にふるまうものの、焦ってくると一気に場当たり的な行動に出てしまう「にわか理性主義者」と言えるでしょう。

また、いつもバイキングで頭を悩ませるものとして「カレー問題」への対処にも私の特徴が表れています。たいていのバイキングならば、カレーコーナーがあることは分かっているはずなのですが、ご飯のすぐ近くになかったりすると、とりあえずその場で一つの完結をめざそうとしてしまいます。その結果、白いご飯とわかめご飯の選択で、わかめご飯をお茶碗に入れたにもかかわらず、そのあとにカレーを発見した場合、一度わかめご飯を食べ終わってから、次のターンで白いご飯を取り、そのときにカレーをかければいいものを、「わかめご飯を食べる」ことと、「カレーを食べる」ことについて優先順位をつけられず、同時達成を目指す暴挙に出てしまいます。その結果、わかめご飯の上にカレーをかけてしまいます。

「三つの実存領域がある・・・美的領域、倫理的領域、宗教的領域である。・・・美的領域は直接性の領域であり、倫理的領域は要請の領域であり・・・、宗教的領域は完成の領域である。」
これはデンマークの哲学者で実存主義のカテゴリーに属するセーレン・オービュ・キェルケゴールの言葉です。キェルケゴールがここで述べている美的領域というのは、自分の快楽・欲望・願望といったものに導かれて行動する段階です。この段階は俗に「あれもこれも」と表現されます。さきほど述べた私の状態はまさにこの「あれもこれも」だったと思います。ここから、自分が欲するものあると、とにかくすぐに手に入れてしまいたくなる「わがまま、欲張り」と言えるでしょう。そして、アルゴリズムを意識して自分の衝動をコントロールするのが苦手であり、「せっかち、短気」と言えるでしょう。

ここまでの考察で見えてきた私の特徴を、「キャンディチャート」をつかって整理すると添付の画像のようになりますね(まとめてみると、自分の特徴がなかなか悲しい感じだったので、表現の補正をしたスライドも作ってみました)。

さらに、こうしたバイキングから見えてくる私の特徴を別の尺度でも捉えてみました。別の尺度というのは、キリスト教における『7つの大罪』です。これに基づけば、引くに引けない「傲慢」、何でも手に入れたい「強欲」、あるだけ食べようとする「暴食」、なぜ分かりやすくご飯の横にカレーがないのだとホテル側への敵意を示す「憤怒」というように、7つの大罪のうち4つが同時に生じていることになります。そして、この状態を自己分析のため「以前に作ったレーダーチャート」で表現し直してみました。普通のレーダーチャートだと面白味に欠けるので、ヒエロニムス・ボスの絵画『七つの大罪と四終』とレーダーチャートを組み合わせたものになっています。

それだけならば特別なわけではないと思われる「バイキング」という事象であっても、それを見つめる視点を工夫しさえすれば、そこには奥深い探究の世界が見つかりますね。つまり、あらゆる事象が探究の対象なのです。たかがバイキングなどと侮ってはいけませんね。日本滞在中は引き続き朝食バイキングと関わることになるため、「バイキング考」は続きます。

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