見出し画像

❖街はそれ自体が生命体❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2022年2月22日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)

◆街はそれ自体が生命体◆
この前、久しぶりに訪れた相模大野の街には8年間住んでいた。その間も、街では「栄枯盛衰」が繰り返されていて、姿を消す店や建物があれば、新たに現れるものもあった。

一番印象的なのは、良く利用していたネットカフェが入っていた高層ビルが丸々無くなったことだろうか。そのビルの周りの西側地区は、いい感じの飲み屋などがあったが、それらも再開発の名の下、姿を消した。もう一つの高層ビルは残っていたが、ラオックスが姿を消し、アドアーズが台頭した。その目まぐるしい移り変わりはまさに「諸行無常」であった。(現在はアドアーズも姿を消し、快活CLUBがビルを占拠していた)

それからシンガポールに移り住み、相模大野を離れた後も、街は「弱肉強食」の舞台であり続け、一時帰国でレンタル倉庫を訪れるたびに、街は変わっていた。

西側地区の再開発が進み、跡地には、数々の飲み屋さんを踏み台にしてボーノ相模大野が誕生した。これは複数の高層ビルを結合させた巨大な商業施設であった。これによって相模大野の盛り上がりが大いに期待されていた。しかし現実は厳しいもので、開業して半年もしないうちから、店舗の撤退が相次いだようである。そして2022年2月だけでも8店舗が撤退するらしい。これは一つ一つの店舗の問題ではなく、そもそもボーノ相模大野という商業施設自体が「競争原理」の矢面に立たされている気がしてならない。

先日、久しぶりに相模大野に降り立ったが、相模大野という街そのものが「自然淘汰」の真っ只中に置かれている雰囲気を感じた。

かつて駅ビルと双璧をなしていた伊勢丹が2019年に閉店したことはネットニュースで知っていたが、先日近くを通りかかると、建物が取り壊され跡地となり、その奥のグリーンホールがそのまま見える状態だった。かつて当たり前あったはずのものが姿を消してしまっていることの寂しさや、隣り小田急相模原駅の勢いと結びつく「政権交代」の厳しさを感じた。

こうして街は「新陳代謝」している。生き物が、新しいものを取り込み古いものは排除するメカニズムによって、生命活動を継続するのと同じように、街も変化している。街は単なる空間でも物体でもなく、人間の生活や生存と結びつき、人間の様々な欲求に引きずられ、まるで生命体のように「新陳代謝」している。

スペインの建築家であるアントニオ・ガウディは、街という人為も、自然を土台としており、結局のところ生命体の一部分であることを次のような言葉で表現している。

「全ては偉大な自然の営みを学ぶことから生まれる。人間が新たに作ろうとするものも、既にその偉大な営みの中にある」

こうして懐かしき相模大野は色々変わっていたが、駅の改札内にあるピザ屋がそのままだった。私はそれを見て、何となくホッとした。

それから、駅前にシンガポールでよく見かけた「Gong Cha(ゴンチャ)」もあった。これはこれで懐かしかった。

#アントニオガウディ   #新陳代謝
#栄枯盛衰   #諸行無常
#弱肉強食   #競争原理
#自然淘汰   #政権交代
#相模大野駅   #ボーノ相模大野
#この街がすき   #GongCha

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?