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▶無『意』味・感想〔80〕◀(2024年1月20日)

(気楽で無責任なシリーズ。純粋に何となく綴った短文の塊。ほとんど意味はない感想。)

目白にしても赤羽にしても、街を歩いていると意外とタイ料理のお店があることに気づきます。そのように気づくのは、自分とタイという国との間に、以前にはなかった繋がりのようなものが生まれたからかもしれません。

1年だけではありますが、タイで生活したことでタイの国旗を見たとき、他の国の国旗を見たときとは異なる特別な感情が生まれているのは確かです。それによってそこにお店があることにも気づくことになり、それがタイ料理のお店が多いという印象と結びついているわけです。

しかしその推論に厳密な形で従うと、タイ料理のお店が多いという結論は成り立たない可能性が出てきます。ここまでの話だと、お店が多いと感じているのは、お店の存在に気づいたことに依拠していることになっています。そしてお店の存在に気づいたのは、タイの国旗が目に入ったからですが、それは私がタイに住んだことがあるからということでした。

ここで二つの2つの疑いが出てきました。
一つは、私がタイ以外の国旗があったとしても、あまり気づいていないとすると、タイ料理以外のお店の数が下回っているかどうかは全く明らかになっていないということです。

もう一つは、料理屋さんの中で国旗を掲げていないお店と掲げているお店のどちらが多いのかが分からず、こちらについてもタイ料理以外のお店の数が下回っているかどうかは全く明らかになっていないということです。

私は自分の目に飛び込んできた情報だけを頼りにして、タイ料理のお店が多いという結論を導いてしまっています。イギリス経験論の祖とされるフランシス・ベーコンは、このような狭い経験に囚われて判断をしてしまう状況を、「洞窟のイドラ(偶像)」と表現しています。

このような誤った認識を土台にして更なる推論を重ねていき、一定の結論を得ようとすると、かなり捻じ曲がった話になってしまうので注意が必要ですね。

赤羽でタイ料理屋を例えば「5軒」見つけたとして、その事実については疑う余地はないとは思います。しかしその「5軒」が多いか少ないかという相対的な判断をする場合は、比較の物差しに正当性があるかどうかを慎重に検討しなければなりませんね。

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