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❖デタラメなデカルトーク【セッション6】❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2024年8月16日)

(デカルトの著作を使ってタラタラとデタラメな考察)

【記事累積:2128本目、連続投稿:1062日目】
<探究対象…デカルト、哲学、探究と探求>

【課題の設定】…本日の一文で特に考えたい部分です。
本日の一文は、デカルト著『方法序説』の序文です。「(前回の文のつづきから)そして最終部〔第六部〕では、私が自然の探究においてさらに先に進むために何が必要だと考えるか、またどんな理由でわたしが本書を執筆するにいたったか、見ることができる」。ここで、「ナゼ(疑問を持った)・ナゾ(気になった)・アンテナ」に反応した部分は、「私が自然の探究において」です。本日はここを中心に考察します。

【情報の収集】…出てくる言葉の意味・定義などをいくつか確認してから考察を開始します。

「自然」は、人為によらない、それ自体ありのままである状態のことです。また精神と区別された物質的な世界を指す言葉でもあります。

「探究」は、物事の意義・本質について検証や論証を通して見究めることです。英語だとinquiryという言葉で表現されます。

【整理・分析】…考察で活用した「考える技法」や「シンキングツール」と呼ばれる類のものの確認です。
○データチャート(L型マトリクス)…今回の「探究」と前回の「探求」との比較について

【まとめ・表現】…実際に考察した内容を綴ります。
本日気になったのは、「私が自然の探究において」という部分に登場する「探究」という言葉の意味です。

前回取り上げた内容には、「第五部ではわたしが探求した自然学の諸問題の秩序」という一節があり、そこに「探求」という言葉があったのです。前回は「探求した」+「自然学」であり、今回は「自然」+「探究」となっています。

まず「探求」という言葉の意味についても確認しておくと、探求は「個人的な興味や関心から始まるより具体的な目標達成を目指すもの」、「あるものを得ようとして探し求めること」などと説明している辞書やサイトを目にする機会が多くあります。

また前回の「探求した」+「自然学」と、今回の「自然」+「探究」を比較するにあたり、気をつけておきたいのは、前回の「探求」は動詞としての表現であるのに対して、今回の「探究」は名詞(もしくは体言止めのようなニュアンス)としての表現であることです。それから、「探求」と「探究」それぞれの対象となっているものも、前回は「自然学」という学問としての表現であるのに対して、今回は「自然」という学問に限定されない表現になっていることも意識しておく必要があります。

両者の比較について、辞書的な意味で考えると、今回の「探究」は「検証・論証」を通じて「物事の意義・本質に迫る活動」である一方、前回の「探求」は「個人的な興味・関心を起点」として「何かしらのものを得ようとする活動」であることが分かります。

ここから「探究」はどちらかというと「客観」との結びつきが強く、「探求」はどちらかというと「主観」との結びつきが強いものと特徴づけることができそうです。

そしてそれぞれの対象について確認してみると、「自然学」の方が専門的で限定された範囲に関わるもので、「自然」の方が一般的で広い範囲に関わるものといえます。前者については、厳密には「自然学の諸問題の秩序」なので、自然学そのものではなく、その学問における諸問題の秩序であり、さらに限定された範囲となります。

ここまでの考察をまとめたものがデータチャート(L型マトリクス)のスライドです。このまとめの中に示した前回の「探求した」+「自然学」と、今回の「自然」+「探究」は、第五部と第六部という連続した展開の話なので、それぞれは無関係ではないと思います。

では実際に両者をデカルトはどのような関係で捉えているのでしょうか。本日のトークでようやく「序文」の考察が終わり、次からは第一部の考察に移っていくわけですが、両者の関係の話は第五部と第六部なので、それが明らかになるのはかなり先になりますね。

今後ものんびりゆっくりタラタラと『方法序説』の一文一文を取り上げながら、デタラメトークを続けていきます。

#探究   #探究学習
#哲学   #デカルト

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