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●オリムピックこぼれ話●~その伍~

★1964年10月16日の朝日新聞…演出者不在のテレビ中継
1964年の東京オリンピックは衛星などを駆使して、映像が世界の人々に伝えられる「テレビオリンピック」とも呼ばれた。テレビカメラは、目の前で起こっている出来事をそのまま映し出してくれる。

そしてこの記事では、オリンピックというものが「勝つこと」や「記録」よりも、「それを目指して死闘する『人間のぎりぎりの努力・苦悩』を重視すべき」ではないかと述べている。続けて「対象を客観的に映し出すだけなら機械だけでも出来ることだ」とも述べている。

この点に注目するならば、「客観的」であることはマイナスなものと捉えられていることになる。記事の前半でも、「客観的なアングル」が選手と視聴者を大きく隔ててしまっているとも述べている。そして、対象(選手)の中から人間の生命の躍動と誇りと失意を「抽出する(取り出す)」必要性を訴えていて、記事ではそれを「演出」という言葉で表現している。そこから「演出」はプラスのものと捉えられていることが分かる。

しかし、注意しなければならないのは「演出」の全てがプラスではないということである。対象の活動は事実であり、その中から取り出した躍動・誇り・失意も同様に事実なのであるが、取り出す前の事実はありのままのものなので「100という全体」であるのに対して、取り出したものは「20や30といった部分的なもの」なのである。それにも関わらず、その部分的なものだけを繰り返して放送するような形で、100の状態に引き延ばしたとしたら、それは本来持っていた意味とは異なってしまうのである。

このような「引き延ばした100の演出」は、もともとの事実とは異なる印象を視聴者に与えてしまう。例えば、ある選手が金メダルを獲得し誇らしげに振舞っている「20」の場面を取り出して、それを5回繰り返したならば「100」になるが、それは金メダルを獲得した選手ばかりがクローズアップされてしまう。

これに対して、金メダルを獲得した「誇りの20」、予選敗退だが自己ベストを更新できた「誇りの20」、初出場でベスト8に入った「躍動の20」、世界選手権王者だったがこの大会ではベスト8という結果となった「失意の20」、前回・前々回とメダル獲得だったが今回は予選敗退となった「失意の20」を「組み合わせた100の演出」は、特定の選手に偏ることなく大会全体の迫力を凝縮させたものといえる。

私は「後者の演出」こそ、オリンピックの報道に求められるものであって、躍動・誇り・失意といった人間味を取り出した「演出」でありながらも、大会全体を見事に俯瞰している「客観的なもの」でもあるといえ、プラスとマイナスで打ち消し合うというものにはならずに、むしろ「演出と客観の相乗効果」が認められると考えている。

現在行われているオリンピックにおいても、このような「客観的」な「演出」によって、オリンピックが本来目指す大会の在り方を実現してくれることを信じたい。

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★1964年10月16日の朝日新聞…キング牧師に、今年度ノーベル平和賞
1776年7月4日、アメリカはイギリスの植民地から独立し、自由や平等を政治の根本に置く新しい国としてスタートしたが、真の意味で全ての人が平等に扱われているわけではなかった。封建的な身分関係を打破した独立革命によってできた国ではあったが、社会的な地位の差は依然として残っており、また黒人奴隷やネイティブアメリカンなどに対する差別も残念ながら維持されていた。

その後、南北戦争において北部を率いるリンカーン大統領は1863年1月1日に奴隷解放宣言を出したが、これは奴隷制を指示する南部の力を削ぐことに成功したが、本質的に奴隷制を廃絶するものではなく、あくまでも南北戦争で北部が戦いを有利に進めるための戦略的なものであったと考えられる。そのため南北戦争終了後も、黒人やネイティブアメリカンに対する差別意識は残り、特に南部の州ではその傾向が強かった。

そのような黒人などに対する差別を撤廃しようとして1954年頃から始まったのが「公民権運動」であった。この公民権運動の指導者は何人もいたが、その中でも積極的に非暴力を訴えながら差別撤廃の運動を導いたのが、1964年12月にノーベル平和賞を受賞したマーティン・ルーサー・キングであった。彼の活動の中でも代表的なものが、1963年のワシントン大行進において行った演説である。この演説はリンカーン記念堂で行われ、その一節はあまりにも有名である。

I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character. 
I have a dream today!

また、次の一節で展開される表現はやや詩的であるが、個人的には気に入っている。

With this faith, we will be able to hew out of the mountain of despair a stone of hope. With this faith, we will be able to transform the jangling discords of our nation into a beautiful symphony of brotherhood. With this faith, we will be able to work together, to pray together, to struggle together, to go to jail together, to stand up for freedom together, knowing that we will be free one day.(この信念があれば、われわれは、絶望の山から希望の石を切り出すことができるだろう。この信念があれば、われわれは、この国の騒然たる不協和音を、兄弟愛の美しい交響曲に変えることができるだろう。この信念があれば、われわれ は、いつの日か自由になると信じて、共に働き、共に祈り、共に闘い、共に牢獄に入り、共に自由のために立ち上がることができるだろう。)

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★1964年10月16日の朝日新聞…量のマークで保証 分量の正しいカン詰など
戦後の国際社会では、大量生産・大量消費社会が進み、消費者は生産者が効率重視で生産した商品を半ば性善説に立って購入せざるを得ない状況にあった。そのため、1950年代後半から、日本でも世界でも品質に問題がある商品が世の中に出回り、それに伴う苦情・トラブル・事故・健康被害などが発生するようになっていた。

このような「消費者問題」から消費者を守るため、例えば、アメリカではケネディ大統領が1962年に連邦議会に対する特別教書において「消費者の四つの権利」を提唱した。その四つとは、安全である権利、知らされる権利、選択できる権利、意見を反映させる権利である。これらの権利は、それまで完全に受動的な立場で商品を購入せざるを得なかった消費者が、生産者に対して積極的に権利を主張したり、情報を求めたりすることができる能動的な存在になり得ることを明らかにしたものである。

また日本でも、消費者の利益を守り、消費生活の安定と向上を図るため、1968年に消費者保護基本法が制定された。この法律をきっかけに、消費者行政の充実が進められ、1970年には国レベルで商品テストや消費者相談などを行う国民生活センターが設立されることになる。

その後、消費者行政のさらなる推進のため、消費者保護基本法は2004年に消費者基本法として改正された。改正法では、それまで「保護」対象とされてきた消費者が、「自立」した存在として消費生活を送ることができるように、生産者や社会に対して消費者側から働きかけるための様々な権利を規定している。つまり、消費者は単なる弱い存在として守られる立場から、進んで問題解決を行う主体的な立場と捉えられるようになったことを意味している。

さらに消費者行政を一元的に扱うため、2009年には消費者問題の調査・分析などを行う「消費者庁」が設立されている。

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