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水無月に子は去て

数年前に小説を始めたきっかけは、死んだ友人がかつて生きていた標を遺しておくためだった。友人達と四人で話し合い、何となく「書けそうだから」という理由で僕から書こうと決めた。
友人が事故で亡くなったのは僕らが二十一の頃の六月で、病院の入口で項垂れながら、訪れた者達でじっと汗を掻きつつ、命が急かないように祈っていた記憶が今でも強く蘇る。
やっと大人になり、自分の道を見つけた矢先の出来事だった。
中学の頃に転校して来た友人はいつも何処か控えめで、有志が参加するステージに嬉々として上がる目立ちたがりの僕とはまるで違い、決して前へ出る性格では無かった。
その性格故に、同じ高校へ入ると僕らはちょっとの仲違いを起こした。
僕はバンド活動に明け暮れ、学校の中でも外でも音楽関係の仲間と常に行動を共にしていた。そんな僕とは対照的に、友人は高校三年生になるとクラスで孤立した。

友人は誰とも口を利かなくなり、一人の世界に篭るようになった。卒業後は進学も就職もせず、本当に世間から引き篭もるようになってしまった。
外の世界へ引き摺り出す訳にもいかず、卒業後の二年間くらいは時々部屋を訪れてゲームをしたり他愛もない話で夜を明かしたりしていた。 

ある同級生が広めの部屋を借り受けたのがきっかけで、友人も含めて昔馴染みの仲間達で集まり、毎晩のように連む日々が始まった。
思いつきで誰もやったことのない硬式テニスを始めてみたり、若者のそれらしくバーベキューをやってみたり、男女で首を揃えて大真面目に悩みを相談し合ってみたり、昼夜問わず楽しい時間の中に身を置いていた。
世界から篭っていた友人も徐々に外へ出るようになると、やがて働き始め、かねてから好きだったヒップホップに打ち込み始めた。
バンドを解散してやることが無かった僕と新しいバンドを組むことになり、楽器を買いに行ったりスタジオを予約したりもした。
目に見えて「希望」というものが目の前に現れ、それに向かって突き進んで行く実感さえあった。
その翌週、友人は不慮の事故で亡くなった。

記憶というものは酷く曖昧になって行くもので、友人達と小説を作るために話し合っていると、記憶力は人よりも長けていると思っている僕でさえも思い出せていないことが多々あった。
後から聞いて驚くような話まであり、そんなことをまるで昨日のように話していたものだから友人が亡くなっていることさえつい、忘れてしまいそうになる。

「マジかよ。今度本人に直接聞いてみようぜ」

そんな風に言い掛けて、死んでいたことを思い出した。

友人が亡くなってから数年の間はご実家の方にも足を運ばせて頂いていた。僕ひとりでも行くことがあり、行く度にご両親には息子代わりのように可愛がってもらえた思い出がある。
小説を書く報告と、かつての記憶を探りに友人達と四人で訪れた。
実に十年ぶりほどの邂逅だったが、髪の毛に白いものが見え隠れする程度でご両親はご健在だった。

久方ぶりの時間の中で今までにあったことや、友人達が今の暮らしぶりなどを話していると、父は愉しげに話してくれていたものの、母は台所へ行ったきり、居間へ戻って来なくなった。
洗い物をする音だけが延々と聞こえて来る中で、僕は不味いことをしでかしたと感じていた。
友人達も同様に、それまではしゃいでいた声を納め、父と他愛もない粒のような会話を繰り返し始める。

僕以外の友人達は家庭を持ち、子供もあった。
そんな話をした矢先、母は台所へ行ったきり戻らなくなった。
もし、子が生きていたらと想像する痛みを、僕らはまるで想像出来ていなかったのだ。

最後に友人の部屋を案内して頂いたが、部屋の様相はすっかり変わっていて、今では父の仕事場として利用しているのだと聞かされた。
友人の一人がこう、訊ねた。

「もう、〇〇君の物は残ってないんですか?」

友人の趣味ではない、天井から吊り下げられた飛行機の模型を弄りながら、父は「もう、な」と言ったきり黙り込んでしまった。
僕らは父に挨拶をして家を出た。母は最後まで、台所からその姿を現さなかった。延々と響く水を流す音が、その場にいると次第に心に歪な痛みを感じさせた。

蒸した歩道の上で、一人の友人が呟いた。

「なんか、悪いことしちまったな」

僕らは静かに頷いて、もうご実家へは足を運ばないようにしようと約束した。ご両親にそんなことは頼まれてはいなかったけれど、そうする他ないような気がしていた。
それからここ数年は、墓前に供える花や物で、ご両親と会話の代わりを続けている。
姿形を変え、その間を取り持っているのは今はもう亡くなってしまった友人だ。
そう思えば、あいつもまだ生きていて、こうして助けられていると感じることがある。

小説という表現を時として恨むこともある。
この時は、とても因果で痛いものだと感じてしまった。
しかし、書き抜いてやろうとも思えた。 
痛いと感じる心こそ、生きている証なのだ。
それは友人の標としての小説ではなく、僕が生きる証としての小説なのだ。

時折思い出して、考える。
この季節に亡くなった友人は、延々と流れ続ける水の音に守られていたのかもしれない。
そんな確かめようもないことを考えるのも、また小説を続ける愉しみの一つでもある。
やはり、因果だと思う。

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