【小説】 恐怖マン 【ショートショートート】
平和な街に悪の組織が送り込んだ怪人ゲルゲの脅威に人々は逃げ惑い、パニックに陥っていた。
ビルや車は破壊され、ゲルゲの子分達が略奪を始めると、街から人々の姿は消え始めた。
それでも、人々は希望を諦めなかった。何故なら、恐怖マンが世界を救ってくれると信じていたからである。
恐怖マンは悪の組織に対抗する世界研究所が作り出した人造人間であり、元の性格は人を人とも微塵も思わないサイコパスであった。
その為、人々は恐怖マンに期待はしつつも出来れば会いたくはない……というアンニュイな感情を抱いているのである。
そんな事はとっくに理解している恐怖マンが人の消えた街角にひっそりと現れる。真っ赤なジャムパンをむしゃむしゃしながら、「世界の射殺から」というグロサイトを閲覧しながらである。
そこら辺の一般人と何ら変わらない風貌の恐怖マンが現れると、怪人ゲルゲは待ってましたと言わんばかりに咆哮を上げた。
「うぉおおおおお! 出たな、恐怖マン!」
「うーん……やはり戦場モノはいくらでも見れてしまうなぁ」
「おまえの対策はもう済んでいる! おまえがどんな言葉を吐こうが、俺には効きやしない! 何故なら、耳栓をしているからな! がはははは!」
「メキシコがメッカだったのももう一昔前になるなぁ……コロンビアの射殺体が今、アツイ。なるほど」
「さぁ、どこからでもかかって来い!!」
「あれ、もう着いちゃったのか」
怪人ゲルゲは勘違いをしているが、恐怖マンが呪詛の言葉で相手に恐怖を植え付けるかと思いきや、そうでないのである。
恐怖マンが発する恐怖電波はたちまち相手の脳を犯し、精神状態を激しく乱れさせ、0.03秒というスピードで相手の自律神経を根元から破壊するのであった。
「うぃ~……くしゅんっ!」
恐怖マンがくしゃみを発すると同時に怪人ゲルゲはそれまで感じたことのない寒気に襲われた。次に膝の力が抜けると呼吸が浅くなり、息を吸う度に視界が歪み、身体は冷え切った感覚なのに頭部のみに異常な発熱を感じ始めた。目の眼輪筋が激しく痙攣し出し、頭部が痺れ、たちまち嘔吐し、すぐさまその場で倒れてしまった。
しかし、怪人ゲルゲが真の恐怖を覚えるのはまだこれからであった。
恐怖マンが一歩、また一歩と指先ひとつ動かせない怪人ゲルゲへ近づく度、視界が揺らぎ真っ暗な闇の奥へと引き摺り込まれる感覚に陥った。
「はっ……はっ……はっ……」
自律神経の壊れた怪人ゲルゲは声を出すことも叶わず、これから先に自分を待ち受ける運命を悟り始めた。
このまま身体が四散し、粒体となった挙句、ブラックホールへと向かう手前で落下による強烈なGを永遠に受けながら、怪人ゲルゲは死のうにも死ねない未来がハッキリと見えていたのである。
それは無限地獄そのものであり、光さえも飲み込んでしまう闇へ落下し続け、永久に停止した時間の中で発狂すら許されないというものであった。
そんな恐怖にゲルゲの脳が混乱をし始めると、やがてその元へたどり着いた恐怖マンが何の対策にもならなかった耳栓を外し、そっと優しく語り掛け始めた。
「怖いか?」
「…………」
「怖いよなぁ。でもな、ひとつだけ恐怖の運命を免れる方法がある」
「…………?」
怪人ゲルゲは恐怖マンに肩を叩かれるとふらふらと立ち上がり、よろよろとビルのエレベーターで屋上を目指し、屋上の鉄柵に手を掛けると真下を見下ろした。
すると、眼下の恐怖マンは満足気な表情で腕で大きな丸を描いた。
それを確認した怪人ゲルゲは極めて穏やかな表情で鉄柵を乗り越え、飛び降りた。その最中、小さな涙を流しながら「恐怖マン、ありがとう」という言葉さえ残して。
その後は怪人ゲルゲの落下体の写真を真顔で撮り始めた恐怖マンであったが、安堵の表情を浮かべながら街へ戻って来た人々を気にも掛けず写真を撮り続けていた。
人々もまた、撮影を続ける恐怖マンに声を掛ける者は一人もいなかった。