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靴紐が結べない人 【エッセイ】

日曜の夜です。こんばんは。
いつも読んで頂いている、僕の愛する人達よこんばんは。
あぁ……逃げないで!待って待って!せめてスキボタンだけ押していって……!!嗚呼ッッッッッ!!

はい、仕切り直しまして。

世の中には大人になっても靴紐が結べない人がいる。

外国の映画なんかでは割と目にするシーンだったりするけど、この日本でもそういった人はある程度存在している。

その人達が面倒臭がって靴紐の習熟を諦めたのかと言えば決してそういう事ではなく、靴紐を結ぶ理屈が頭で理解出来ない部分が大きいのだと思う。
これらは「発達障害」として世に認知されている。

「結べないならマジックテープでいいんじゃないの?」

極論そうだと思うけれど、彼女、彼らだってお洒落なスニーカーを履きたい気持ちはあるだろう。もちろん、マジックテープで心が事足りるならそれでも良い。
「結べないならスニーカーを履きたいと思うな!」と怒る人達はもちろん、いるだろうけど。それでも認めてあげてチョーよ!って所です。人間、気持ちが大事。

実は僕自身も紐を結ぶのが大の苦手だった。小六まで片結びで誤魔化していたけれど、

「おまえが中学に入ったら原宿に連れて行ってやろうと思っていたけど、靴紐を結べないならおまえは生涯「靴流通センター」へ通うが良い」

という優しい兄によるスパルタンX指導によって無事、結べるようになった。

で、今回思ったのはこの「靴紐を結べない」部分は誰しも実は思い当たる所があるんじゃないかって事だ。

「あれま。大枝の野郎、急に普通の自己啓発系noteみたいな記事書いてどうしてくれちゃったの?100%フォロバしとく?投資の収支報告しちゃう?」

そう思った方も多いだろう。

僕は自身のエッセイや記事で人の心を励ましたり前向きに出来るとは1ミリも思ってない。小説に至っては束の間の地獄を見せてやろうとさえ思っている。

これはあくまでも自分の話だけど、「人の為になるぞ!」と、そう思うのは自身の「想像」であって、それを感じるのは読んでくれた人達だ。決めるのは自分じゃない。だけど、

前向きになってもらいたい、少しでも希望を与えたい。

そう願いを込めて真剣に書かれている方の事は尊敬しているので、その辺りは誤解のないように。
当然、僕だって人間だからそういう願いを込める事だってある。
あー!うるせえうるせえ!こいつキチガイだ!あー言えば何とかの人だ!
読んでてそう思われる人もいると思う。実際、僕はうるさい。

実はこの話自体が、僕にとっての「靴紐が結べない」なのだ。

極端にあまのじゃくな性格なので、「1」を「1」のまま話せばいいのに、もったいぶって「0.5」で話したり、サービス精神旺盛なので「7」くらいに盛大に持って話す事がある。

向かい合って座ったまま、薄笑いを浮かべた彼女。

「誰よりも優しい顔して、本当のあんたは他人を必要としてないんだよ」

以前付き合っていた恋人に言われた、そんな言葉を今でも時折思い出す。
露骨に認めてしまえば全くその通りだし、自分にしか興味がないから他人に対しても素直になれないのだと思う。
何の防具も武器も身に付けず、向き合って話が出来る相手は世の中に少ない。

恋人という親しい関係にありながら、そんな言葉を吐かせてしまった。
吐かせてしまった、と思いながらもあれは彼女なりの優しさだったんだろう、とご都合主義で考えてしまう自分もいる。
当時も「何故そんな言葉に至ったのか?」という部分に目を瞑っていた。

「相手を想像する能力の欠如」

これに尽きる。

今では数人の友人を除き、常日頃から連絡を取り合うような相手は持たないようにしている。
性格が変なので元々友達出来ないよっ!という方が大きいんだろうけど。
交友関係を新規開拓しないのは自分が疲れてしまうのと、サービス精神旺盛なので後々

「あれ、こんな人だったっけ……」

と思われるのが面倒臭いからだ。
ある意味ではとても素直になれている訳だけど、これが素直なんだからやっぱりロクでもない性格なんだろうな、とは感じている。

けれど、やっぱり人間だものみつを丸!なので興味を持つ相手もいたりする。

これから仲良くなりたいな、と思う人とは密に連絡を取ったり無理に距離を縮める事はしない。
数年前から一方的にファンになったアーティストの男性がいるのだけれど、彼と連絡を取る回数は一年で片手に収まってしまう。
それくらいで丁度良いのだ。
その間に忘れ去られても、自分でそう選んだのだから後悔もない。
けれど、僕は覚えているからねー(にやぁ)というドラマ版佐野史郎気質な部分もしっかりある。しっかりあるからこそ、小説の作風もあんな感じなのだ。

以下。自身でも、身の回りの人を思い浮かべるでも良い。

・誰かとの接触の仕方が全く想像も出来ず、分からない。
・神経質になり過ぎ!と分かっているのに、つい声を出してしまう。
・謝ればすぐに済む話なのに、どうしても謝れない。
・相手の喜ぶ顔が見たい。自分が泣いてでも見たい。
・疲れているけど、皆の方がきっともっと疲れている。

etc

どうだろうか。
そんな結べない靴紐達が世の中には溢れているんじゃないかと思う。

毎日顔を合わせる相手だって、多分そういった部分はあるはずだ。
色んな人を見て来たけれど、漫画やドラマに出てくるような「まとも」な人間には僕は生まれてこの方、一度も出会った事がない。

まともで清廉潔白な人がいたのなら、それは無菌室のようなものだと思う。
本人にとってそれが心地良いのであれば、それで良いと思う。けれど僕はそのストイックさにやはり「異常だ」と感じてしまうだろう。

苦手な事、意識しても出来ない事があるのは当たり前。
それを個性にするのは個人の力。
誰かの怒りにもなれば、誰かの笑いになる事だってある。

だけど、靴紐は結べなくても靴は履いておいた方が良い。
裸足で歩くと、人生は痛いのだ。

それではまた。

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