【#絵から小説】 ノクターンより 【ショートショート】
うららかな陽気の午後。やがて迎える年月の終わりに備え、優衣香は自室の片付けをしていた。息子夫婦と孫娘を交え、掘り出し物の懐かしい写真や息子の成績表などに楽しげな声を上げている。
箪笥の奥にしまっていたブリキ缶を開け、目に付いた一枚の写真を手に取ると優衣香はたちまち懐かしい気持ちを抑え切れなくなった。
老齢の優衣香の背中に飛び乗るようにして、その写真を覗き込んだ孫娘が目を丸くしている。
「えー! 左の人ってお婆ちゃん?」
「そうよ。こんな時代がお婆ちゃんにもあったんだよ」
「お婆ちゃんって昔も可愛かったんだね! ねぇ、右のキレイな人は?」
「この子は、お婆ちゃんの大切なお友達。小夜ちゃん」
「小夜ちゃん? お婆ちゃん、今も小夜ちゃんとはお友達なの?」
「ううん。ずっと前に離れちゃって、それっきり」
「なんで?」
「なんでなんだろうねぇ……大人になったから、かしらね」
「えー? 美希は大人になってもずっとお友達はお友達がいいよ」
その写真をしばらく眺めていると、優衣香を訊ねて見知らぬ男性が家にやって来た。玄関先で名前を確かめられ、優衣香は突然の訪問者に怪訝な目を向けた。痩身で背が高く、優しい目をした男はこう言った。
「突然申し訳ありません。我々は「聖夜の家」の者です。私は、信者の木藤と申します」
聖夜の家は人間関係が希薄になりつつある社会の中で「人との繋がりを信じる」というスローガンを掲げている有名なキリスト教系の新興宗教団体だった。
優衣香はその名を聞いた途端に拒否反応を示し、顔の前で手を横に振った。
「すいません、うちは宗教とかそういうのは無縁なので……」
「いえ、奥野小夜さんからのお手紙を預かっておりまして。本日はそれをお届けにあがりました」
「小夜って、あの小夜ちゃん……?」
木藤の話によると小夜は生涯独身のまま、ひと月ほど前に病により亡くなったのだという。教団内では女性部の本部長を務めていたが、決して人に対して驕ることはなく、いつも控えめで静かな佇まいだったそうだ。
本部近くの教会を任されていた小夜は毎晩一人で、一時間ほど祈りを捧げていた。その姿が印象的で、木藤はたった一度だけ小夜にこんなことを聞いてみたのだという。
「奥野指導員は、いつも何を祈っておられるんですか?」
「……私はただ一人の為に、祈っています。その人の幸せを見ることは出来なくても、こうやって祈ることは出来ますから。ナイショですよ」
「……尊い感情です」
「いえ、ワガママなだけです。きっと、私は神様に怒られてしまいますね」
そんな風に答えた彼女の小さな笑みが今でもずっと頭に残っていると、木藤はどこか嬉しげに優衣香に語り聞かせた。
深々と礼をして去っていった木藤から手渡された手紙を、優衣香は誰もいなくなったリビングでゆっくりと開く。先に亡くした夫の悠人に、心の中で語り掛ける。
<小夜はそちらに行っていますか? どうか、彼女に便りが届いたと伝えて下さいね>
一息置いて、優衣香は手紙に目を落とした。
『拝啓、優衣香様。人生の終わりに、あなたへの感謝を今になってようやく、したためています。
初めて優衣香に声を掛けられた日のことを、私は今でもずっと覚えています。
高校一年の五月でした。友達が出来なかった私はお昼ご飯をどこで食べようか毎日悩んでいました。
音楽室はどうだろう?なんて思いながら、まるで逃げ場所を探すようにたどり着いたその先で、あなたが弾くピアノの音に思わず心を奪われました。
開け放たれた三階の窓からは街を流れる川がキラキラ輝いて見えていて、ピアノにつられて水色の風が吹いて来た、なんて詩人さんみたいなことを思ったりしたの。ぼんやり聴いていた私を見て、あなたは楽しそうに「一緒に弾く?」だなんて。
楽器が苦手な私にそんなこと無理だったけれど、それでも私に声を掛けてくれたことが本当に嬉しかった。
それからは毎日のようにあの音楽室で過ごして、笑い話や恋の話、悩みなんかをいっぱい話しましたね。
同じ大学に入ってそれぞれが大人へと成長して行く中で、私はあなたにこんな話をされたことがありました。
「小夜。私、悠人のことが好きなんだよね」
その言葉を聞いた時、私はとても悲しかった。
あなたが私に釘を刺したことを、すぐに分かってしまったから。私は「どんな形の愛があっても良い」と言われ始めていたあの時代であっても、あなたへの想いをとうとう打ち明けられずにいました。
それでも若い人間とは実に愚かなもので、あなたに黙って悠人さんにわざとコチラに気を持たせるような真似をしてしまったの。
生理的に受け入れられないから身体の関係なんかもちろん無かったけれど、私の思惑通りに悠人さんから想いを打ち明けられて、鼻も掛けず無碍にすることで私はあなたへの嫉妬を潰せた気がして満足していたの。
私とあなたが結ばれないことは分かっていて、それでも引き下がれないから友情を隠れ蓑にしてあなたの愛する人を傷つけたことを、ずっと謝りたかった。
ごめんなさい。
それからすぐにあなた達が結ばれて、私は何度も二人を祝福しなければならないと自分に言い聞かせたの。社会人になって二人が結婚して、その式に呼ばれたあの日だって自分の笑顔を作るだけで精一杯だった。
あなた達に「おめでとう!」って言うたびに泣きそうになっていたことを今さら白状しても仕方ないけれど、これは私の恥ずかしい笑い話。
当然だけど、その頃にはもう昔みたいにずっと一緒に居るなんて出来なくなって、それなのにあなた以上に想える相手はとうとう見つからなかった。
「子供が出来た」と聞いた時、嬉しそうなあなたの声の前で風景の色が次々と失くなって行くのを感じてしまったの。
私はずっと愚かだったから、その時になってようやく大人になるということが「引き返せなくなる」ということなんだと知りました。
それが生きる上での覚悟だと分かって、私は黙ってあなたから離れてしまいました。
それからは現世を離れた浮世のような世界でずっと祈り続け、気が付いたら人生のゴールに近付いていました。それで今になってようやく、あなたに全てを打ち明けることが出来たの。
生涯独身でも、幸せに恵まれた人生でした。それに、あなたに出会えたことがどれほど心強かったことか。
挫けそうになった時も、命を失くしそうになった時も、いつもあなたの笑顔がふと、浮かびました。
その時はいつも、音楽室であなたが弾いていたピアノの音色が響いていた。
たった一人の幸せを想い続けることが出来たこと。祈ることが私の幸せであったこと。そのことに感謝しながら、私はもうすぐ神様の元へと旅立ちます。
あなたが元気でいることを、いつまでも遠くの空から祈らせていてね。
たまには水色の風になって、あなたに会いに行くからね。
あの頃のような綺麗な風になれるか、今からちょっぴり心配だけど。
それでもきっと、優衣香は「久しぶり」って笑ってくれる気がしてる。
たくさんの人に愛されたあなたと出会えたこと、心から愛せたこと、今は友人として誇らしく思っています。
たったひとつの光を与えてくれて、ありがとう。』
手紙と共に添えられていたのは、あちらこちらが擦り切れた優衣香の持っているものと全く同じ一枚の写真だった。
<同じ写真のはずなのに、私達はこんなに楽しそうに笑っていたんだ。>
そんなことを思いながら、優衣香は誰もいないリビングの隅へ向かって深々と頭を下げた。
優衣香が旅立つその日、棺の中には同じ二枚が写真が収められていた。
やがて青い空に一筋の煙が昇ると、誰かがそっと笑い合うようなささやかな風が吹き、悪戯に煙を揺らし始める。
どこからともなく、その風に乗って「久しぶり」と笑い合う声が聞こえて来る。
空から見下ろした街には、そんな誰かの楽しげな声が今日もたくさん零れていた。
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今回は清世さんの企画#絵から小説の第三弾でした。
読了ありがとうございました!
これにてお題の三作品コンプリーツ!となる訳ですが、毛色の全く異なる絵画三作品のおかげで僕なりに全く種類の違う作品が描けたような気がしています。
清世さんご本人とお話をして小説を書いた訳でもないのに、絵を見ているうちに色々な感性の糸口が見えて来て、それをこちらで拾う作業がとても楽しかったです。
改めてとんでもなく凄い方だな、と思いました。
この期間中に本当に沢山の人が参加していて、大枝君はびっくりドンキーさせられっぱなしでした。後追いになってしまいますが、後ほどゆっくり楽しませて頂きます。(あとの祭り型ですいません)
最後に、素敵なお題&この場を与えて下さった清世さん。そして僕と同じくこの企画に参加してくれた皆さん。ありがとうございました!※宣伝記事書いてたからネ!
僕は再びふざけ半分のエッセイと割と人が死ぬ小説に戻りますが、本当に楽しかったです。
また改めて、よろしくお願い申し上げます。
★他のおーえだの参加作品は以下参照★
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