【小説】 物憂げな死神 【ショートショート】

『黄色いパーカー/再考』の関連作品です。
先に読んで頂けるとより一層楽しく読んで頂けると思います。
今回はやや力の抜けた雰囲気のショートショートです。

「係長、この資料もお願いしていいですか?」
「冴村さん、ちょっと……持てると思うけど台車使った方が……」
「この時間はエレベータが空かないので時間の無駄です。はい、お願いします」
「冴村さん、前が見えないよ」
「私が誘導します」

 事務員の冴村に誘導されながら、私は山のような資料を抱え、オフィスを出て書庫へ向かった。
 階段に差し掛かろうとしていると、誘導する冴村の声が聞こえなくなった。
 資料の脇から先を覗き込むと、他部署のナンパ名人村田の毒牙に掛けられている冴村がちらりと見えた。
 どんな場面でも沈着冷静な冴村が真顔で身体を捩らせていて、とても満更じゃなさそうな雰囲気を醸し出している。

「さ、冴村さん、あの、ちょっと誘導を」

 足を前に出すと景色が急回転し、天井が見えた。次に階段、また天井。
 私は見事に足を踏み外して階段を転げてしまったようだった。意識が途切れ、景色が真っ黒になる。
 気が付くと私はドアも何もない真っ白な空間で目を覚ました。病院だろうか。あぁ、会社で醜態を晒してしまったなぁと思っていると、おかしな事に気が付いた。

 目覚めた場所は真っ白な空間なのであるが全ての方面の奥行が無限にあるように感じられた。床も白、壁も天井も全て白。思えば私はベッドに寝かされている訳でもなく、一面真っ白な空間に寝転がっているだけだった。

 ここは何処だろうと思っていると、鉄っぽい匂いと共に目の前に真っ黒な影が浮かび上がった。私は驚いて後ずさりした。
 影はやがてローブを纏った人のような形になり、次第にその外輪がはっきりと形作られていった。あれは、漫画で良く見る死神じゃないか。
 影は大鎌を持った死神へ変わると、死神は腰を抜かしてへたり込んでいる私に向かって指を差した。

「ビックリしました?」
「あの、えっと……はい」
「ですよねぇ。私、これ意外に登場方法が無くて。すいませんね。あのね、あなた死にましたから」
「あの、死んだんですか? もしかして、あの階段で?」
「そうですね。首が折れて即死でした。それでですね、天国か地獄のどっちかに行ってもらう予定なんですけど」
「ちょ、ちょっと待ってください。いきなり過ぎて何が何やら……」
「ははは! 死なんてのは大抵いきなり来るものですよ。幾分前から死臭がしてたんですけどね、生きてる間は気付かなかったでしょう?」
「はぁ、まぁ……」

 冴村に近頃「口が臭いです」と言われたのだが、あれは関係あったのだろうか。思い当たる節を当たっていると、死神は水晶玉を取り出してぱちん、と骨を鳴らしてから私の方へドクロの顔を向けた。

「あなたは特別良い人でもなく、かと言って悪人でもないのでこの水晶玉で天国か地獄か決めたいと思います」
「えっ、どういう意味です?」
「中途半端なあなたにチャンスをやろうって話しですよ。賭けますか?」
「それ、断ったらどうなるんですか?」
「人間の時間でおよそ五百年、この空間でひとりっきりで過ごしてもらいます。なので次回の査定は五百年後になりますね」

 なんと気の長い査定なんだろう。こんな所で五百年も何もないまま過ごすとなれば気が持たない事は明白だった。死んでしまったのは仕方がないにして、もっと良い方法はないものなのだろうか。 

「それは気が持たないというか……なんというか……」
「なぁに、簡単な賭けです」
「どんな賭けなんですか?」

 死神が水晶玉を指差すと、線路沿いの道路を歩く黄色いパーカーを来ている男の姿が映し出された。

「この男がこの先のT字路を右に曲がるか、左に曲がるか決めてもらいます。当たったら天国、外れたら地獄行きです。さぁ、どちらにしますか?」

 男が歩く姿を眺めながら、私は息を呑んで考えた。すると、競輪ギャンブルが好きな私の心に一瞬にして火が灯された。こういうものは悩んでもあまり良い結果にならない。よし、左一点勝負だ。

「左で」
「変更は出来ませんよ。よろしいですか?」
「はい、左で」
「では、共に見届けましょう」

 死神と顔をくっ付けながら私は水晶玉に釘付けになった。死神の顔の骨は氷のように冷たかったが、この後の命運が掛かった大勝負の前ではむしろ心地良い冷たさに感じた。

 固唾を呑んで成り行きを見守り、ついにT字路に差し掛かろうとしていると、男は突然立ち止まった。

「何してるんだ! 左だ! 左に行け! 行けぇ! 黄色、左に行けぇ!」

 熱くなってそう叫んでいると、立ち止まったままの男は何と踵を返して元来た道を戻って行くのだった。

「なんだよチクショウ! 死神さん、こういう場合はどうすれば?」

 死神はいつの間にか電話(蒲鉾板に漢字のような物が書かれた板)を取り出して話し始めていた。

「ええ、そうです。ええ、曲がらずに戻って行きました。ええ、あー、なるほど。じゃあ今後こういう事があったらその手順で対応可能って事でよろしいですか? あ、はいはい。分かりました」

 死神が電話らしき板をしまうと、僕に向かって「すいませんね、冥王ハデスにちょっと」と、頭を下げた。下げたついでに骸骨頭が取れて転がった。
 私は心底驚いたが、頭を拾って元に嵌めた死神が何事もなかったかのように喋り出した。

「あのー、冥王に確認したんですけど、今回は無効だそうです」
「じゃあ、あの、今回の勝負はなし? ここに五百年コースですか?」
「いえ、それはあんまりなので、ここで私の補助をして頂きます」
「死神さんの手伝いって事ですか、そうですか……はぁ。それはあの、どれくらいの期間……?」
「そこは今後、上の方で話し合うって事で。まぁ、今回はイレギュラーだったんで」
「そうですか。あの、具体的に私は何をすればいいんです?」
「えーっと……まず座りませんか?」
「あ、はい」
「名前は確か村岡サトルさん。四十歳。好きな食べ物とかあります?」
「そうですね……おでんの大根ですね」
「あー、大根って上手いですよね。こっちだと希少なんです。あんまり取れないんですよ」
「あー、そうなんですか」
「えぇ、そうなんですよ」
「へぇ……」
「はい……」

 死神との会話はイマイチ盛り上がりに欠けていたが、私は死んだ事をなんとなく受け入れ、冴村と村田のどちらを先に恨むべきかをぼんやりと考え始めた。
 ここへ来た時に、どんな顔で私を見るのかが今から楽しみで仕方がない。

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