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【小説】 公衆便所、発進! 【ショートショート】

 近所を散歩をしていたら急におなかが痛くなってしまい、僕は馴染みの公衆トイレへ駆け込んだ。
 幸い個室は空いていて、便座に腰を下ろして昨日から今朝までの食べた物をすぐに反芻し始める。 

 あ、そうか。昨日の夜はラーメン「激怒亭」の「諸星一号」という鬼も泣くレベルの辛いラーメンにチャレンジしたから、あの名残なのかもしれない……こんな時間差で腹にくるなんて、鬼も泣くはずだ……と思っていると、床にドドドという振動を感じた。

「えっ、ちょっとちょっと待って!」

 僕は個室で絶叫しながらパニックに陥り、トイレットペーパーをガラガラと引き出していた。
 だって、公衆トイレがあきらかに何処かへ向かって走り出してしまったんだから。
 謎だった。一体どんな仕組みになっているかは不明だったけれど、公衆トイレは確かに僕を乗せてどこかへ走り出したのだ。

 一体どこへ連れて行かれるのだろうと思いながら数分経つと、走る気配がピタリと止んだ。
 僕は個室の扉を開けて、恐る恐る外の景色を確かめてみた。

 公衆トイレの外は、まるで桃源郷のような美しい花々が咲く草原が広がっていた。

「……どこ、ここ」

 あまりの絶景にそんな風に呟くと、草原の遥か向こうから二人組がこちらへ駆け寄って来るのが見えて来た。
 サングラスをかけた二人組はかなり厳ついタトゥーを首筋までびっしりと入れていて、どう見ても平和そうな人種ではないことはすぐに分かった。

 けれど、二人はなんだか楽しそうにこっちへ向かって大きく手を振っていた。 
 やがて彼らが公衆トイレまでたどり着くと、息を切らしながらこんなことを僕に言って来た。

「あの、こいつはトラックメーカーのメイビスで、俺、MCのミク・イン・ザ・イワサキっていうんすけど」
「ダセェ……いや、は……はい」
「急なお願いで、マジビビると思うんですけど、リリック書いてもらえないっすか?」
「はい!?」
「俺らと一緒に、ジャパニーズヒップホップのてっぺん目指しませんか?」
「え、いや……無理です」
「音楽とか、興味ないっすか?」
「聴きますけど……」
「え、何系っすか?」
「昭和歌謡とか、演歌……」
「マージか! メイちゃん、次行こう。次!」
「あ、じゃあ……」
「やっぱやりてぇ! ってなったら、またお願いします。これ、約束っす」
「……ええ?」
「あと、うんこはしたら流さないとマジでダメっす! これ、常識なんで」
「あ! 忘れてました……すいません」
「じゃあ、また!」

 ミク・イン・ザ・イワサキは僕に金のブリブリを渡すと、メイビスを連れて草原の向こうへ駆け出して行った。

 と、僕はハッと息をして顔を上げてみた。
 景色はいつの間にか個室に戻っていて、僕は言われた通りしっかりうんこを流すと再び公衆トイレの外へ出てみた。
 なんだ、夢だったのか……そう思ったけれど、少しだけバッグに重みを感じた。
 バッグの中には、あの金のブリブリが入っていた。
 まさか、夢じゃなかったのか?
 僕は不思議な出来事と出会いの記念に公衆トイレをスマホで撮影し、金のブリブリはハードオフへ売りへ出した。なんと、三千円で売れた。
 良い休日になったなぁと満足したけれど、激辛ラーメンは体調の良い時に食べることを固く誓い、その日は眠りに就いた。 

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