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【小説】 空ははいいろ 【ショートショート】

 これは負け戦だと、先の大戦で戦ったという大爺様が言っておりました。

「配給もままならんし、今から日本がどうこう出来る訳がない」

 そう言っていましたが、私ら農地の人間に戦争はそれはそれは遠いものだったのです。
 何がなんやら、大爺様は少し呆けて来たのではないのかと村中で話し合ってました。

 しかし、この三ヶ月ばかりで大爺様が言っていたことは少しずつ実感を伴って来たのです。
 隣の集落では東京から疎開へやって来た者や、家中の鉄という鉄が集められたり、いよいよ決戦も近いぞ、なんて噂話が流れたり、だんだんと不穏な空気が漂い始めたのです。

 いつものように、雲の多いこの村の空を緑色の戦闘機が飛んで行きます。    
 私は土を掘る手を止めて、手ぬぐいを空に向けて大きく振るのです。

「兵隊さーん! 頑張ってこーい!」

 村中のあちらこちらで、同じように手ぬぐいが振り回されておりました。
 それはまるで白い風車のようで、風のない日のそんな光景を、私は不思議なものだとぼんやり眺めておりました。

 暑さも佳境に差し掛かる頃合いで、大爺様が亡くなりました。
 燃料がないというので、私達の手で見送りました。
 大爺様は最後の最後まで、この戦争は負けだとおっしゃっておりました。
 村中の人達も、それをひしひしと感じているようでした。

 私にはなんの実感もありませんでした。
 ラジオでは勇猛果敢に戦う兵隊さん達の活躍が聞こえて来るし、赤い鬼のような敵の姿が海を越え、山を越えてこの村へやって来るような気配は一向になかったからです。

 夏の盛りに、やはりいつものように私は土を掘っていると、隣の家の爺様にこんなことを伝えられました。

「与野さん、前橋がBにやられたって聞いたかい?」
「前橋が? すぐそこじゃないですか」

 前橋といえばここからそう遠くはない大きな街でしたが、そんな近い場所がBにヤラれたと聞いて、私は心底驚きました。
 時刻は昼間でありましたが、昨日落とされたという新型爆弾のことをラジオは伝えておりましたので、寝耳に水でした。

 すぐそこまで、戦争はやって来ているのだろうか。
 そう思いましたが、私はただ心を無くしたようなフリをしながら土を掘ることしか出来ませんでした。

 必勝! 必勝! 必勝! 必勝! 必勝!

 そんな文字ばかり、ずっと見続けていたんですから、まさかこの戦が負けることなどあるはずがないのだと、私は思い込んでいたのでしょう。

 そんなことを思っている間にもう一度、新型爆弾が落とされたと知りました。
 いよいよ、これは危ないのかもしれない。次は新潟だとか、小倉だとか、いや、横浜だとか、こんな小さな村のあちこちで噂になっておりました。
 そんな井戸端会議の真ん中で、私はぽつりと呟いたのです。

「この戦争は、どこで行われているのでしょうか」

 すると、みんなスンと黙りでしまいました。
 そして、燃え上がるスチールウールのようにワッと突然私を方々から怒鳴りつけたのです。
 皇国の軍人様に失礼だ、バチが当たるぞ、気でも狂ったか、この非国民め!

 不思議でした。桑や鋤を手にしても、怒鳴り散らす人達の誰も銃を手にしていなかったからです。

 怒り狂って死ぬくらいなら、いっそ爆雷の下で。

 そんなことを私は考えながら、怒鳴られておりました。
 そこまで他人様を無遠慮に叱りつける度胸も、気力も私にはありませんでした。
 生来のものでしょう。
 こんな私は非国民と呼ばれても仕方のないものなのだろうな。

 ふと見上げた灰色の空。村の外れで燃やされた狼煙を横切らんとばかりに、飛行機が見えて参りました。
 ブーン、と音を立てながら姿を現した鈍く光る飛行機に、私の他の者達は手ぬぐいを振り、歓喜狂乱とばかりに声を張り上げ、おーいおーいと叫び続けておりました。

 私は、あれは違うのではないのだろうかと思ったので手ぬぐいは振りませんでした。
 その飛行機は緑色でも白でもなければ、そもそも戦闘機ではないように見えたのです。
 機影がぐんぐん近付いて来たあたりで、私は隣の家の爺様に肩を小突かれました。

「与野さん! 必死に頑張る兵隊さんに手を振らないとはどのような心算りなのですか!?」
「いえ、斎藤さん。あれは日本軍の飛行機なのでしょうか?」
「当たり前です! 単騎でこれから敵共に乗り込んで行こうとしているんです!」
「いや、あれは逸れたBではないですか?」
「ええっ?」

 灰色の空にくっきりと、星のマークが見えました。
 大きな大きなジュラルミンの機体が、村の上空へ姿を見せました。
 もしも墜落したならば、村ごと潰されてしまいそうな大きさでした。
 私はあれがBなのか、とぼんやり突っ立ったまま見上げておりましたが、村の人達は手ぬぐいも放り出してみんな家の中へすっ飛んで行きました。

 地面に落ちた手ぬぐいはどれもこれも、今土に汚れたのか、それとも元から汚れているのか区別のない風合いでした。
 雷鳴や地鳴りのようなプロペラ音が頭の上を掠めて行くと、曇りの日なのにも関わらず、私の周りには影が出来ました。

 Bは爆弾を村に落とすこともなく、そのまま通り過ぎて行きました。
 プロペラ音が遠ざかると、村の人達はひとり、またひとりと外へ出てあたりをキョロキョロし始めました。
 なにごともありませんでしたが、私はこの日初めて大爺様が言っていたことを本当なのだと思うようになりました。

 それからすぐに、日本は大爺様が言っていた通りになりました。
 それは暑い暑い夏の日で、音を失くした昼間の出来事でした。

【あとがき】

小さな頃に隣の家の祖父さんから聞いたお話を脚色し、書きました。
実際にB29が飛んで来たのは終戦の前日で、その真夜中に熊谷は日本最後の空襲の地になりました。
村からは夜の空が赤く染まるのがはっきり見え、恐怖を覚えたそうです。
その時のB29なのかどうかは分かりませんが、翌朝に村の外れで不発弾が発見され、ちょっとした騒ぎになったそうです。
僕自身も小さな頃に「ここで見つかったんだ」と教わりましたが、それは村の川沿いに作られた防空壕のすぐ近くでした。


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