Netflixオリジナル『瞳の奥に』を原作販売担当が観てみた話
2月17日から配信されたNetflixオリジナルドラマシリーズの『瞳の奥に」は皆様ご覧になりましたでしょうか?
予告はこちら。英語なので何を言ってるのか分からない部分も多いと思いますが、とりあえず何かやばそうなことが起きそうな雰囲気がビンビン感じられる予告です。
この記事はドラマ『瞳の奥に』を同名の原作小説販売担当が観てみた感想と、原作との違い、関連するオススメ作品などについて触れるものです。
この作品は(ドラマにせよ小説にせよ)少しでもネタバレをしてしまうと面白さが半減してしまう作品です。まだドラマや原作小説を未読の方はすぐにこの記事を閉じることをおすすめします。
ドラマを未見の方はまずは観ていただいて。
https://www.netflix.com/title/80244630?s=i&trkid=14170032
そして原作小説を未読の方も(というかこれを書いてる時点ではまだ日本語翻訳版が出版されていないのでほとんどの方が未読でしょうが)3月2日より発売になります。すでに全国の書店とネット書店で予約購入ができますのでこちらも是非買ってみてください。
これ以降、ドラマの展開についてネタバレをします。繰り返しますがこの作品は事前情報なしに観ないと面白さが激減してしまう可能性が高いので、未読の方はすぐに記事を閉じてくださいませ。(原作小説だけの展開についてはまだ発売前なのでなるべくネタバレをしないようにします)
ドラマ『瞳の奥に』の感想(ネタバレ注意)
実は公開前に、ドラマは原作小説と展開が異なるという情報を聞いていたのですが、観てみるとびっくり、メインストーリーはほぼ同じ展開でした。
とは言っても、映像作品と文字作品では表現方法が大きく変わります。それぞれ表現できる範囲が違うからです。
一般に文字作品では登場人物の内面描写を細かく描くことが可能です。映像作品においてそれをやろうとするとモノローグ(一人語り)が必要になりますが、過剰なモノローグ演出は敬遠される傾向にあります。(第6の壁を超え、画面に向かって語りかけるという演出で心の声を見える化させる『ハウス・オブ・カード』などの作品もありますが)
ところが映像作品と比べると情報量が少なくなってしまうという欠点もあります。映像では一つの画面の中に複数の登場人物や背景が同時に展開され、時間経過とともにそれらが動いていきますが、文字作品の場合はそれらが難しくなっています。
今回の『瞳の奥に」の場合も、それぞれの媒体における特性を生かした演出がなされているように感じました。
原作小説では主人公ルイーズと、上司の妻アデルの視点が交互に描かれ、その間にアデルの過去の回想が挟み込まれる構造になっています。
全て一人称視点で描かれるためルイーズが上司と不倫をしてしまう葛藤や、子供アダムが離れていってしまう恐怖、そして何より友人であるアデルをなんとか助けたい、上司夫婦の間に何が起きてるのか知りたいという強い気持ちが丁寧に描かれ、それが物語の推進力となっています。
一方アデルの視点においては物語の序盤から、彼女が何かを企んでいることがはっきり分かるようになっています。もっともドラマ同様、最後までアデル()の計画がどのようなものなのかは分からないわけですが。
しかしながらこのことも読者を計画の全貌解明に駆り立て、いわばルイーズとアデルのダブルエンジンにより物語が進んでいく構造になっています。
一方でドラマでは基本的にルイーズの行動に大きな焦点が当てられており、アデルが何を考えているのかということは全く描かれていません。アデルが登場する際は基本的に何かやばそうなことをしていることが示唆される場合か、あるいはルイーズを通して観たアデルの行動だけで、彼女が計画を通じてどのような思いを持っているのかといったことには触れられないのです。
このようなことから、視聴者はルイーズとともにデイヴィッド・アデルの夫妻どちらもを怪しみながら、第5話の最後まで連れていかれてしまいます。
そしてルイーズと同じように「You lying bitch!(あのウソつき女め)」と言うはめになるわけです。(ルイーズのセリフから一瞬アデルが写り、エンディングに入るのすごいかっこよかったですよね)
ドラマ版での全6話のうち5話までが助走として、5話の最後でアデルの本性が判明した後の最終話が結末パートになっていますが、原作小説ではドラマでの5話までに当たる部分がかなり長くなっています。その代わり、ドラマには出てこなかったいくつかの要素・エピソードなどが追加されています。(ここでは原作のネタバレになるので詳しくは書きませんが、それらは例えば妊娠や猫に関する出来事です)
570ページという大ボリュームのうちのほとんどがいわゆる助走に当てられているため、ちょっと長すぎると感じる人もいるかもしれません。特に小説の場合は自分で読み進めていく必要があるためより長さを感じやすいと思います。対して映像では観ているだけで勝手に進んでいってしまうので5話とはいえあっという間なのではないでしょうか。
逆に最後の結末に関するパートでは、アデルの計画の全貌が判明する+最後のもう一捻りという件が最後の1話に凝縮されてしまっているためドラマ版は駆け足のような印象を受けました。実際すでに原作を読んで展開を知っているにもかかわらず、巻き戻して観たシーンがいくつかありました。
最後の結末の理解しやすさ、ゾッとする感じは小説版の方が上です。さらに付け加えると、ドラマでは描かれなかった(匂わされてはいましたが)とあるモノローグ(独白)で物語が終わります。この最後の一言でさらにゾッとさせられるのです。(ネタバレになるので詳しくは言いませんが、これも妊娠に関することです)
逆にドラマ版は最初からアデルの企みが描かれない代わりに、後から見直した時にそれと分かるような描写がなされています。具体的にはアデルが例のアレをしている時には、上をフワフワ漂うようなカメラワークになり、女性の息を呑むような微かな声が入るのです。この演出はルイーズがデイヴィッドとオフィスで初めてあったシーンからなされており、ああもうすでにこの時から……と思わされます。
また例のアレの演出を映像ではどうするのかと思っていたのですが、人によってアレの色を変えることで解決したのはなるほどなと思わされました。
過去編の描写からアデルのそれはピンクであるはずなのに、部屋の片隅で待ち受けていたそれの色が違った時の「え?え??」という感情は映像ならではの描写でした。
『瞳の奥に』が面白かったあなたにオススメの作品(ネタバレ注意)
どこがどう似ているのかを説明してしまうと、それだけでネタバレになってしまうので、詳しい説明はしないようにします。『瞳の奥に』という作品は過去のいろんな作品の展開に似ているように見せかけ、最後の最後に全く違うジャンルに連れていってしまうという作品なので、「あそこはアレに似ているな」などと想起する作品がいっぱいあると思います。
ここで挙げる作品以外に思いつくものがあればぜひ教えてください。
『カササギ殺人事件』はここ3年連続でこのミスを掻っ攫っているアンソニー・ホロヴィッツの作品です。最近の流行りなのか主人公が独身(ないしシングルマザー)の女性というところが共通しています。
『沼の王の娘』も同じくシングルマザーの女性が主人公で、ものすごい強いんですけど、刑務所を脱獄だか出所したさらに強い父親と戦う話です笑 面白いんですけどクライマックスの駆け足感がちょっと強くてそこが残念だった記憶があります。
『ケイトが恐れるすべて』も独身の女性が主人公。こっちの主人公も確か睡眠障害だかを患っていて、若干の信用できない主人公感が似ています。
『完璧な家』には美しく完璧そうに見えて、危うい夫婦が登場します。彼らがどうなるのか、『瞳の奥に』を経験したあなたには見破れるでしょうか。
元祖やばい夫婦物語こと『ゴーン・ガール』はもはや説明不要。映画の方が有名ね。
『偽りの楽園』にもヤバい夫婦が登場しますがそれは主人公の両親である点が違います。作者のトム・ロブ・スミスの『チャイルド44』三部作が大好きなのですが、本作はAmazonだと新品がなくなってしまってるようですね。
初めから全て仕組まれていた系の作品『沈黙の少女』北欧ミステリの時点でヤダみが深い。
同じく全ては最初から邪悪な奴の掌の上系の奇才アリ・アスターによる『ミッドサマー』と『ヘレディタリー継承』どっちも二度と観たくないと思えるほどおっかないです。
どこが似てるかと言ってしまうとネタバレになっちゃうアレ。ジョーダン・ピール監督もきっと性格が悪い(褒めてます)
最後にダメおしで『瞳の奥に』を貼っておくのでぜひ小説も読んでみてください!!
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